常呂町日吉・吉野地区の記念碑・石碑

2012年7月7日

  

                                            常呂町日吉・吉野・登地区の記念碑・石碑

 

                                日吉地区開基百年記念碑                                                

 日吉地区開基百年記念碑.jpg

 日吉開基百年年譜.jpg

 

■「ところ通信」(2001年1月号)から抜粋

  「日吉地区の入植100年を祝う記念碑の除幕式が日吉公園で行われました。この地区の住民ら110人が出席し、

  日吉小学校の児童8人と井原町長が除幕しました。記念碑は高さ2.5メートルあり、いつまでも和やかに、楽しい

  集落でありたいとの願いを込めた「悠久」の文字が刻まれています。」

 

※日吉地区に関する所蔵資料

 「手師學村史」(大正12年)

 「手師學村から100年 フォトメッセージ」(平成13年) *日吉地区開基100年記念誌

 

         日吉の馬頭観世音碑                   

      日吉小学校開校80周年記念           

日吉神社馬頭観世音碑.jpg

 

 

日吉小開校80周年記念碑.jpg

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■日吉神社と馬頭観世音

  日吉神社は、「手師學村史」によると、明治42(1909)年

 10月に現在地の大神宮の標柱を建てて祀ったことに始まり

 ます。44年に拝殿が建立され、手師學神社と称号しました。

  昭和16(1941)年には、日吉神社と改称し、34年拝殿を

 新築しています。

  日吉神社の境内には、昭和12年10月、日吉集落一同が

 馬の慰霊供養のために建立した馬頭観世音の石碑があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

■日吉小学校開校80周年記念碑

   日吉小学校は、明治42(1909)に開校し、平成元

 (1989)年に開校80周年を迎えました。そのときの記念

 事業協賛会が記念碑を建立しました。

 

  題字の「不撓不屈」について

   開校80周年記念誌「山なみ 川なみ」に寄せている

 記念事業協賛会長奥泉良広氏のあいさつ文「不撓不屈」では、

 「明治42年の開校以来、幾多の変遷の波にもまれながら、困苦、

 欠乏に耐え、あらゆる試練と闘いながら、地域の発展と教育の

 充実に心血を傾注された先輩の「不撓不屈」の開拓精神は、

 現在の私たちに受け継がれ、本校児童に正しく理解され、継承し、

 それをもとに未来に向かって力強く発展・充実させてくれることを

 期待する」ととあります。

 

※日吉小学校に関する常呂図書館所蔵資料

 「日吉小学校六十周年・日吉中学校二十周年記念誌」

                        昭和42(1967)年

 「日吉小学校開校80周年記念誌 学校沿革詳細

                        平成2(1990)年

 「開校80周年記念誌 山なみ川なみ」 平成2(1990)年

 

             隈川特別教授所跡木柱               

         隈川特別教授所跡木柱と昆虫の家             

 隈川特別教授所跡木柱.jpg

 隈川特別教授所跡と昆虫の家.jpg

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■隈川特別教授所跡木柱

   吉野小学校は、大正8(1919)年4月に開校した手師學

  尋常小学校附属隈川特別教授場に始まります。それまで

  隈川地区の児童は6~8km離れた手師學小学校へ

  通学しており、地区住民の強い要望によって設けられた

  わけです。校舎は笠原農場の草葺きの事務所が充てられ

  ましたが、11年に木造の校舎が新築され、昭和2(1927)

  年4月、隈川尋常小学校へと校名が改称されました。

   この地区への入植者の増加に伴い児童数も増加し、8年

  には校舎の増築がなされ、16年4月隈川国民学校と改称

  し、翌17年4月に字名地番改正により吉野国民学校と改称、

  22年4月の学制改革により吉野小学校と校名を変えています。

  40年代に入ると地域の人口の流出が続き、51年3月をもって

  閉校となり、児童は日吉小学校へ通学することとなりました。

   常呂町開基100年の昭和58年には「隈川特別教授所跡」

  の木柱が建てられています。

 

※吉野地区・吉野小学校・登小学校に関する所蔵資料

 「閉校に当たって 思いで」 

       吉野小学校・登小学校」 昭和51(1976)年3月

 「常呂町吉野50年の歩み」 昭和41(1966)年11月

 

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■隈川特別教授所跡木柱と昆虫の家

   吉野小学校の校舎跡は平成元(1989)年から滝沢始氏が

  自費で買い取り、「昆虫の家」作りを始めましたが、3年暮れ、

  夢半ばで他界したため、その意志を継いで、ボランティア

  グループ「虫夢友の会」が会員を募集して運営しています。

 

*現在は、NPO法人自然体験村「虫夢ところ昆虫の家」が

  豊かな自然を生かし、青少年対象の自然体験施設として

  運営しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                                       小笠原の森碑                                    

 小笠原の森.jpg

 小笠原の森説明.jpg

 ■小笠原の森碑

    昆虫の家から吉野浄水場へと続く道路の中間にあり、右側の少し奥まった

  場所に設置されています。

    裏側には、この「小笠原の森」を設置した想いが記されています。

 

   *第4代の常呂漁業協同組合代表理事組合長だった小笠原敬氏が果たした

    ホタテ養殖技術の振興と外海地まきホタテ漁業の発展に尽力した功績と

    二宮尊徳の「報徳思想」を指導理念として、「水を守り育むことが、この豊かな

    川と海を守り、大きな恵をもたらす」との持論のもと進めてきた常呂漁協の

    森づくり運動に尽くした氏の遺徳を受け継ぎ、常呂漁協が組合員総意で

    平成11年10月に 「小笠原の森」を設置しました。

     

              吉野馬頭観世音                

               登馬頭観世音                 

 吉野馬頭観世音.jpg

 登神社馬頭観世音.jpg

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■吉野馬頭観世音

   吉野に馬頭観世音が祀られたのは昭和5(1930)年の

  ことで、隈川神社建立とともに馬頭観世音を祀る要望が

  出され、浄水場の少し上流に標木を立てたことに始まり

  ます。その後10年に、伊藤作蔵氏が馬頭観世音の

  石碑を寄贈し、同じ場所に建立しましたが、建立場所が

  不適当であるとのことから、25年、浄水場手前の現在地

  に移転しました。

 

 *浄水場手前の道路の右側にあります。

 

 

 

 「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■登馬頭観世音

  登小学校跡の西側の山の中腹に登神社が

 あります。

  登神社の鳥居のかたわらには、登集落有志

 一同が馬の慰霊供養のために、昭和8(1933)

 年9月に建立した馬頭観世音の石碑が建って

 います。

 

 

 

 

 

 

               吉野の地神                   

               手師学駅逓跡の木柱              

 吉野の地神.jpg

 手師学駅逓跡木柱.jpg

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■吉野の地神

     吉野浄水場手前の交差点から登方面に向かって坂を登り切った

 左手に吉野集落一同が昭和40(1965)年に建立した地神と掘られた

  石碑があります。

 

 ※吉野地区関連の所蔵資料

    「常呂町吉野50年のあゆみ」昭和41(1966)年11月

    「閉校に当って 思いで 吉野小学校・登小学校」

                      昭和51(1976)年3月

 

 

 

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■手師学駅逓跡の木柱

  手師学駅逓は、明治14(1911)年12月に太茶苗から移転した

 もので取扱人は石橋平四郎氏といわれています。昭和5(1930)年

 6月に廃止されるまで、旅人の宿泊や馬の継ぎ立て、軍用旅舎として

 利用されました。現在の日吉花木センター付近にあったもので、近年

 まで農作業小屋として駅逓の建物が使われていましたが、老朽が

 激しく崩壊してしまいました。

  常呂町開基100年の昭和58年に「手師学駅逓跡」の木柱が建て

 られています。
  *現在は、駅逓のあった場所の道路を挟んだ向かい側の

    民地に移っています。

 

 ※「郷土ところ」の駅諦観する資料「常呂の駅逓」(佐々木覚)を

  ご覧ください。

        常呂の駅逓56.pdf(766KBytes)

       常呂の駅逓57.pdf(727KBytes)

       常呂の駅逓58.pdf(630KBytes)

 

                                 登小学校跡の木柱                                                             
登小学校跡木柱 昭和36年11月11日登小体育館落成・創立10周年

  左上の木柱は、常呂町の開基百年だった昭和58年10月に、町内各地に設置した木柱の一つです。登り神社の10mほど右下の

 道路から少し奥まったところにあります。

 登地区は、昭和元年村界変更によって端野町から常呂町に編入し、当時の地名「登位加」は、昭和16年の字名地番の

 改正によって「登」に改称しました。子どもたちは、端野町北登、豊実の両校や日吉・吉野小学校に通っていましたが、

 地域の中から学校設立の要望が高まり、昭和27年11月11日に1学級30名で開校しました。

 右上は、開校して10年後に僻地集会室(体育館)が落成し、学校創立10周年を迎えた頃の写真です。

 昭和34年度に在籍児童数61名となりピークを迎えますが、以後児童数が減少し、昭和51年3月22日の卒業式と

 閉校式を行い、閉校となりました。卒業生は累計で134名でした。

 ■登小学校の資料 「閉校に当たって 思い出 吉野小学校・登小学校」(常呂町教育委員会 昭和51年3月)

 

 

                        グーグルの地図で9つの記念碑・石碑の場所がわかります

 

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