常呂町市街地区(中央町・開進町・栄町・南町・北進町・豊浜)の記念碑・石碑

2012年7月15日

   

                                 常呂町市街地区(中央町・開進町・栄町・南町・北進町・豊浜)の記念碑・石碑

 

        常呂町開基九十周年記念町民憲章碑                                              

               忠魂碑                                                  

 開基90年記念町民憲章碑.jpg

 忠魂碑.jpg

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■常呂町開基九十周年記念町民憲章碑

   (この町民憲章碑は、常呂総合支所と常呂町公民館の間に設置

  されています。)明治16(1883)年に戸長役場が設置されたのを

  常呂の開基として、昭和48(1973)年に90周年を記念して

   「町民憲章}が制定されました。同時にナナカマドの町木と

  クレマチスの町花も制定されています。

 

   *寄贈者は、横浜市在住の関野昭氏、昭和49年7月に建立されました。

 

※町民憲章に関する所蔵資料

 「広報ところ」 昭和48年11月号(開基90周年特集)

 「常呂町憲章推進協議会20年のあゆみ(1976-1996)」

                        平成9(1997)年3月

 「常呂町憲章推進協議会20年のあゆみ」 平成11(1999)年4月

 

「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■忠魂碑

   この忠魂碑は、明治の末期あたりから高さ5mくらいの

  桂の大木の碑が現在の場所に建っています。その後、

  大正9年8月に在郷軍人会と常呂青年団が木柱を建て

  替えていますが、翌10年10月、石造の忠魂碑が建立

  されました。昭和48(1973)年9月には、石碑が建立

  されて50年以上経過し、台座に損壊を生じ、危険に

  なったため、碑の主柱と玉石台は従来のものを生かし、

  台座を取り替えて再建しています。

 

※忠魂碑関連の所蔵資料

 「鎮魂」 昭和48(1973)年9月

 

 

                 甜菜紙筒栽培発祥之地碑                           

     常呂小百周年記念モニュメントとシダレヤナギ               

 甜菜紙筒栽培発祥之地碑.jpg

 

 

 常呂小開校百年記念モニュメントと学校木.jpg

  「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■甜菜紙筒栽培発祥之地碑

   この碑は、昭和55(1980)年10月に常呂町農業協同組合前に、

  常呂町・常呂町農業協同組合・日本甜菜KKの3者によって建立

  されたものです。昭和35年、常呂町において日甜農務部技術者の

  指導により本道ビート耕作史上初めての紙筒移植によるビートの

  大面積栽培が試みられ、予想以上の成果を収めました。これに

  より、常呂移植ビートの名声は全道に高まり、各方面指導機関の

  多数の視察を受け、道内各地にこの移植栽培が行われるように

  なったのです。

 

*甜菜栽培及び常呂町農業協同組合に関する所蔵資料

 「常呂町甜菜対策協議会 設立50周年記念式典」 平成21(2009)年2月

 「創立二十年記念史」(呂町農業協同組合) 昭和45(1970)年3月

 「農協創立三十年のあゆみ」(同上) 昭和54(1979)年4月

 「農協50年史」(同上) 平成10(1998)年11月

 「常呂町農民同盟50年のあゆみ」 平成10(1998)年12月

 「常呂町農協青年部50周年記念誌 協心」 平成14(2002)年4月

 「常呂町農協女性部50周年記念誌 あゆみ」 平成18(2006)年2月

 

■常呂小学校開校百周年記念モニュメントとシダレヤナギ

    モニュメントのすぐ横には百年記念事業を紹介するプレートが

  ありますが、そのプレートに「シダレヤナギ」のことを詳しく紹介

  されているので紹介します。

 

   ~学校木「シダレヤナギ」のお話~

   …常呂小学校の歴史を見つめ続けて135年の木…

    常呂小学校の「主」がここにいます。シダレヤナギの木が

   それです。この100年の間に次々と人も校舎もみんな変わり

   ました。しかし、このシダレヤナギだけは変わることなく子供

   たちの姿を見守ってきました。

    この間、オホーツクの風雪に耐えてきましたが、長年の

   風で幹が傾き、内部に虫や鳥が入り腐ってきました。また、

   根元も踏み固められ根の成長にも影響が出るなど痛々しい

   姿になっていました。

    今回の百年事業として、樹木医の鈴木順策氏による再生

   治療を行いました。その結果、見事に蘇りました。

    常呂小学校の主であり、心の灯台であるこの「畏敬の木」

   をこれからも大切に育てていきたいものです。

 

 ※このシダレヤナギは、平成21年4月1日に北見市から

  保存樹木として指定されました。 

 

         常呂小学校開校百周年記念モニュメント              

          常呂小百周年記念事業紹介プレート               

 常呂小百周年記念モニュメント.jpg

 常呂小百年記念事業紹介プレート.jpg

 ■常呂小学校開校百周年記念モニュメント

  このニュメントのデザインは、網走市在住の銅板画家の

  清水敦さん。内径1.5メートルのコンクリート製の輪に

  子どもたちが描いた絵を元に焼き上げた銅板を貼り付けた

  もので、上部に「環」の文字があり、白鳥のブロンズ像が

  あります。

   平成7(1995)年11月9日に除幕式が行われました

 

※常呂小学校関連の所蔵資料

 「七十年のあゆみ」 昭和39(1964)年11月

 「八十年のあゆみ」 昭和50(1975)年11月

 「九十周年のあゆみ」 昭和60(1985)年11月

 「常呂小学校百周年記念誌 オホーツクの地に百年

   二十一世紀のとびらを開け ところっこ」 平成7(1995)年11月 

 

 ■記念事業を紹介しているプレート

   記念事業のシンボルマークと記念事業の紹介、

  校庭に集まっている全校児童を上空から撮影した

  写真、学校木「シダレヤナギ」のことなど、百周年

  を迎えた喜びを表しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           常呂中学校十周年記念モニュメント             

                親鸞聖人御像                 

 常呂中開校10年記念モニュメント.jpg

 常楽寺の親鸞聖人御像.jpg

 ■常呂中学校十周年記念モニュメント

    昭和49(1974)年3月31日をもって、常呂中学校・川沿中学校

   ・日吉中学校が廃止され、同年4月1日に統合した常呂中学校が

   開校しました。このモニュメントは、統合した常呂中学校が10年を

   迎えた記念に協賛会一同によって昭和60(1985)年4月吉日に

   建てられました。題字には「躍進」の文字があり、常呂中学校の

   広い前庭、校門に近いところにあります。

 

※常呂中学校に関する所蔵資料

 「常呂中学校開校十周年記念誌」 昭和58(1983)年11月

 

 ■親鸞聖人御像

   紫雲山常楽寺境内にある親鸞聖人像で、上杉隆昌氏に

  より昭和59(1984)年9月に建立されたものです。

 

※常楽寺に関する所蔵資料

 「常呂町百年史」平成元(1989)年3月

 「常呂町紫雲山常楽寺開教八十年」昭和57(1982)年7月

 「常楽寺開教百年史」平成14(2002)年1月

 「岐阜開基百年記念史 闘墾」平成9(1997)年12月

 

 

                                                                                           常呂中学校校門

常呂中学校校門1

 統合した中学校の開校を記念して、統合前の旧常呂中学校の同窓生が

 寄贈した校門。左右一対です。

常呂中学校校門2

                                        一字一石法華塔と聖徳太子碑                             

 天龍寺一字一石法華塔.jpg

 天龍寺聖徳太子碑.jpg

 「ところ文庫10 常呂町歴史散歩」から抜粋

(常呂町郷土研究同好会/刊 1994/2/25)

 

■一字一石法華塔と聖徳太子碑

   曹洞宗大雲山天龍寺の境内には、昭和10年9月に村中安全祈願のために水谷大学氏が建立した

   「一字一石法華塔」と大正3年8月に建立された「聖徳太子碑」があります。

   聖徳太子は寺院建築史上大きな功績があったことから建築に係わる職人の信仰の対象となったもので、

   この碑も常呂町の建築関係者が祀っているのです。

 

*天龍寺に関する所蔵資料

 「常呂町百年史」平成元(1989)年3月

 

               排水溝逆水門跡碑                    

 

 排水逆水門.jpg

 

 ■排水溝逆水門跡碑

    常呂川3号樋門のすぐ近くの土手にあります。この水門跡碑は、
   「碑の趣意」によると、数多くの洪水を防ぎ、安全と発展に貢献した
   旧水門(大正12年12月建立)の名板を記念して、平成元(1989)

   年12月に建立されました。

    

 

                                           藤山ハルさん記念碑                                 

 藤山ハル碑.jpg

 藤山ハルさんの碑2.jpg

■藤山ハルさん記念碑
   藤山ハルさんは明治33(1900)年、樺太に生まれ、戦後常呂町で暮らしていました。

  昭和30(1955)年に言語学者の服部四郎氏と知り合い、49年に亡くなるまで、樺太

  アイヌ語のすぐれた話し手として、服部四郎氏とともに樺太アイヌ語の記録に取り組み

  ました。

   この石碑は、藤山ハルさんの墓が自然葬だったため、場所がわかりにくく墓参りが難しい

  状況だったため、服部四郎氏の長男/旦さんと藤山さんの次女/白川八重子さんが

  常呂霊園に平成20(2008)年11月3日に建立、除幕したものです。

   矢印は、ハルさんの故郷樺太の西海岸エストリを示しています。

 

      記念碑を建てた服部旦氏が建立当時の写真を公開しています。 →こちらからどうぞ

 

*藤山ハルさんに関する所蔵資料

 司馬遼太郎「街道を行くゆく38 オホーツク街道」(朝日新聞社)

  「アイヌ語という川」に藤山ハルさんのこと、服部四郎氏との出会いや調査のことが綴られています。

 

 村崎恭子「藤山ハルさんのこと」

   (常呂町文化連盟機関紙「にいばり第14号 昭和54年3月)

  樺太アイヌ語の研究者である村木恭さんが藤山ハルさんとの出会いやハルさんの話し手としての

  すばらしさを親しみを込めて綴っています。藤山ハルさんの民族衣装姿も収めています。

 

 「北海道東部に残る樺太アイヌ文化1」萩中美枝・宇田川洋/編(1996 常呂町樺太アイヌ文化保存会)

  萩中美枝氏が藤山ハルさんと出会ったとこのこと、ハルさんが歌い、踊っているところ、トンコリや太鼓を

 演奏しているところを録音した思い出が温かな文で綴られています。

  千葉伸彦氏は、藤山ハルさんが演奏し、歌うトンコリの調弦や演奏法を採譜しながら細かく解説しています。  

 

                                            聖観音菩薩像                               

 聖観音菩薩像1.jpg

 聖観音菩薩像2.jpg

 聖観音菩薩像碑文.jpg

 ■聖観音菩薩像z

  「広報ところ」昭和55(1980)年12月号から

  先住民族の霊よ安らかに…と、このほど常呂霊園に聖観音像が

 建立されました。

  この聖観音像は、大通り西(現中央町)の榎本誠・榎本國さん

 夫妻(お二人とも故人)から寄贈されたもので、ブロンズ製の高さ

 2メートル、大理石の台座を含めると4メートルにもなる立派なもの。

  「常呂町の開発に献身した先住民族の霊を慰めるとともに、

 交通事故で生死の境をさまよった時にお世話になったっpくの人

 への恩返しという、榎本さん夫妻の心を込めた聖観音像。

  11月10日の開眼式には、上杉町長をはじめ20人が集まり、

 献火を行いました。

 

 

 

 

  

                                    ヲキザル船つき場跡木柱 
ヲキザル船つき場跡木柱

■ヲキザル船つき場跡木柱

 昭和58年10月に、常呂町開基百年を記念して町内各地に

設置した木柱の一つですが、現在はありません。

「常呂町史」(325p)では、「明治26年小樽の藤山要吉、網走の

荘子豊治が相次いでポントマリで鰊建網漁を開始した。

 この頃まで宿屋を兼業する島崎梅造を除いて、藤野関係者以外に

倭人の漁業経営者はなかった。

 藤野は、オキザル、ポントマリ、常呂川口等に建網場を有し、常呂川

口西岸に事務所を設けて監督に当たらせていたが、25年これを

オキザルに移した」とあります。

「ヲキザル」の地名は、「常呂町百年史 第5節 常呂町アイヌ語

地名の記録(山田秀三・村崎恭子)」では、「常呂川口の東岸から

少し先の海岸あたりまでの地名として覚えられている。アイヌ語

からきたものらしいが語義不明。オ・キサルの音なら「川口・耳」

とも「川口・茅原」とも聞こえる。川口のあたりに耳形にくびれこんだ

いたところでもあったか、あるいは小さい茅原でもあったかして

できた名か。語尾のところが省略された地名らしい」とあります。

「常呂町のアイヌ語地名」(伊藤せいち)では、「常呂地図

(明治30年頃)に「オキザル」とあるもので、旧字名に「オキザル、

ヲキザル、ヲキサル」などと語り継がれたもの。海岸の耳のように

入り組んでいる所の意」とあります。

 木柱があった場所は、旧ヲキザル1番地」、現在の常呂町字常呂

27番地付近。(グーグルのマップでご確認を)

 

 

 

                         グーグルの地図で11ヶ所の記念碑・石碑の場所がわかります

 

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