「ところ遺跡の森」便り【2016年4月号~2016年9月号】

2017年5月17日

 「ところ遺跡の森」便りは北見市常呂自治区内で市報に折込で配布されている社会教育情報内に毎号掲載しているものです。
 イベント案内をはじめ、考古・自然など「ところ遺跡の森」に関連する情報を毎月お届けしています。
 (毎月初め更新予定。ここに掲載したものは、写真・文章は当初掲載時のものから一部変更している場合があります。)

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2016年4月号

~北見文化財マップ~

 ところ遺跡の森では3月から「北見文化財マップ」平成27年度版の配布を実施しています。市内の歴史・文化・名所を地図にまとめてご紹介する内容で、昨年配布したものの増補改訂版となります。

 特に遺跡の森に関連する内容は「先史」の地図のページで、代表的な遺跡の場所やアイヌ語に由来する地名がまとめられています。

 よく知られていることですが、常呂(川)、ワッカ、サロマ湖といった地名はアイヌ語に由来しています。このうち常呂については「トゥコロ:尾根を持つ」と「トコロ:湖を持つ」、2つの意味が紹介されています。「トゥコロ」は常呂川が現在森林公園などのある尾根に沿って流れていることから「トゥ・コロ・ペッ:尾根・持つ・川」と呼ばれたことに由来し、「トコロ」はかつて常呂川がサロマ湖とつながっていたため「ト・コロ・ペッ:湖・持つ・川」と呼ばれたことに由来する名前とされています。古い文献ほど「ツコロ」、「ツゥコロ」といった表記が多く採られているため、本来は「トゥコロ」という地名だったものが時代とともに「トコロ」に変化し、それに合わせて地名の由来の解釈も変わっていったようです(※註)。

 身近な地名にもこのように秘密が隠れています。「北見文化財マップ」をご希望の方はところ遺跡の館、埋蔵文化財センターの受付までお越しください(なくなり次第配布終了)。
 

(※註)文献上に見られる「常呂」の地名の変遷をもう少し詳しく説明しておくと、以下の通りになります。まず、『松前蝦夷図』(1667年)、『元禄郷帳』(1700年)、新井白石『蝦夷志』(1720年)といった比較的古い時期の地図や文献には「ツコロ」と記されています。この地名の由来が書かれたものとしては上原熊次郎の『松前并東西蝦夷地場所之地名荒増和解休泊里数山道行程等大概書』(1824年)があり、「ツゥコロ」という地名が「山崎」の「有る」という意味であると記述されています。この「山崎」とは、常呂川の東岸に沿って細長くのびている尾根のことと考えられます。さらに年代が下った松浦武四郎『西部登古呂誌』(1858年)でも「往古はヅウコロと言しより也」という記述とともに同様の由来が説明されています。ここで「往古は」と記されているように、18世紀末以降は「トコロ」という表記の文献のほうが多く、高橋荘四郎『松前東西地利』(1797年)、磯谷則吉『蝦夷道中記』(1801年)など多くの文献で「トコロ」の表記が採られています。
 この「トコロ」が「湖を持つ」という意味であるという説を最初に示したのは明治時代に北海道のアイヌ語地名を調査した永田方正の『北海道蝦夷語地名解』(1891年)とされています。この文献では、現在のライトコロ川がかつて常呂川の本流でサロマ湖に注いでいたことからトコロは湖を持つという意味であり、従来の山崎を持つとする説は誤りであると断じられています。が、古い時代の文献や地名の意味まで記録している文献が「ツコロ」・「ツゥコロ」等の表記を採用していることを考えると、本来は「トゥコロ」であったものが、江戸時代後期、本土の日本人がこの地方に多く訪れるようになった頃に「トコロ」という呼び方に変化していったと見るのが正しいようです。
 【参考文献】 佐々木覚(1993年)『常呂町の古記録(1)』ところ文庫9、常呂町郷土研究同好会編(1994年)『常呂町歴史散歩』ところ文庫10、永田方正(1891年)『北海道蝦夷語地名解』

 

2016年5月号

~北見文化財ガイドブック~

 4月から「北見文化財ガイドブック」の無料配布を実施しています。同じく配布中の「北見文化財マップ」に掲載されているポイントを、写真等を交えながら解説しています。大昔の遺跡や開拓関係の旧跡は常呂の市街地周辺にも数多くあることが分かり、町の歴史を身近に感じるきっかけになるかもしれません。

 今回はその中から、「ところ遺跡の森」以外の見学しやすい遺跡を2箇所、ご紹介しようと思います。

 1つ目は栄浦第二遺跡で、オホーツク海岸沿いに東西に細長く伸びた丘の上に広がっている遺跡です。市営バスの西5線バス停付近に解説の看板が設置されています。道内でも有数の規模をもつ大きな遺跡で、約千年以上前にさかのぼる集落の跡が丘の上を埋め尽くすように広がっているのを見ることができます。

 もう1つはトコロ貝塚で、常呂川東岸を走る道路沿い、常呂川の河口から約1.5kmの場所にあります。縄文時代の人が捨てた貝殻(カキが多い)が大量に埋まっている様子を現在でも見ることができます。

 (※もう少し詳しいご紹介は「常呂の遺跡」のコーナーをご覧ください。)

 「北見文化財ガイドブック」「北見文化財マップ」の無料配布は、常呂自治区内ではところ遺跡の館、埋蔵文化財センターの受付にておこなっています。ご希望の方は各受付にてご請求ください(なくなり次第配布終了)。

北見文化財ガイドブック

2016年6月号

~『大島2遺跡の研究』報告書刊行~

 大島2遺跡は常呂川東岸の丘陵上にある遺跡で、平成21年度から毎年発掘調査がおこなわれています。今回、これまでの調査成果の一部が、『擦文(さつもん)文化期における環オホーツク海地域の交流と社会変動:大島2遺跡の研究(1)』として東京大学常呂実習施設により刊行されました。

 今回の報告書では竪穴住居跡2基の調査成果が掲載されています。2基の住居はいずれも建物が火災で焼けていることが分かっており、使わなくなった住居を意図的に燃やした可能性が指摘されています。擦文時代の建物は現存しないため、その構造には謎も多いのですが、焼け落ちた屋根材の状態から大島2遺跡では茅(かや)の上に土をかぶせていたことが推定されています。また、炭化した屋根材から年代測定が実施され、12世紀前半頃の可能性が高いという結果が示されました。

 住居内からは土器など(写真左)の生活用品も見つかりました。出土品の中でも少し変わったものとしては、長さ約21cmの大きな木製フォークがあります(写真右)。用途は不明ですが、サハリンアイヌの「アイヌ葱(ねぎ)を煮るフォーク」によく似ているとのことです。

 この報告書は市立図書館で閲覧いただけるほか、インターネット上(東京大学学術機関リポジトリ内)でも公開される予定です。

擦文土器フォーク状木製品
擦文時代の土器(左)・木製のフォーク(右)

2016年7月号

~ところ文庫「トコロチャシ跡遺跡群の発掘」~

 「ところ文庫」は常呂町郷土研究同好会により郷土の自然・歴史・文化をテーマにした内容で刊行が続けられています。今回、32冊目として「トコロチャシ跡遺跡群の発掘」(著者:熊木俊朗・東京大学准教授、82頁・価格800円)が刊行されました。

 トコロチャシ跡遺跡群は現在では国史跡「常呂遺跡」の一部となっていますが、史跡指定以前の昭和35年から東京大学考古学研究室により発掘調査が実施され、遺跡の基本的な性格が明らかにされてきました。この本はこうしたトコロチャシ跡遺跡群の調査の全容を解説したはじめてのものになります。

 この遺跡では縄文時代からアイヌ文化期まで様々な時代の生活のあとが見つかっており、石刃鏃(せきじんぞく)文化やオホーツク文化など、北海道独特の特徴を示す文化の資料も発見されました。この本ではそうした発見を通して、北海道の歴史について語られています。

 既刊分も含めた「ところ文庫」の販売は遺跡の館の受付でも取り扱っておりますので、お気軽に声をおかけ下さい。

オホーツク文化の住居跡
トコロチャシ跡遺跡で発掘されたオホーツク文化の住居跡

2016年8月号

~「遺跡見学・発掘体験教室」のお知らせ~(受付終了しました)

 「遺跡見学・発掘体験教室」を実施します。今回はトコロチャシ跡遺跡(国指定史跡「常呂遺跡」の一部)と、東京大学により発掘調査中の大島2遺跡の現地をめぐり、大島2遺跡では竪穴住居(たてあなじゅうきょ)の跡の発掘も体験していただきます。

 普段見ることのできない遺跡の発掘の様子を体験できる数少ない機会です。参加をご希望の方は下記までお申込みをお願いします(定員になりしだい、申込みを締め切りますのでご了承ください定員に達したため受付を終了しました)。

○申込・問合せ: ところ埋蔵文化財センター
  電話0152-54-3167(月曜休館)   8月2日(火)~25日(木)申込受付

○定員:申込み順に先着10名まで

○日時:平成28年8月27日(土)    午前10:00~12:30

○集合:常呂町公民館前 午前10:00

○講師:熊木俊朗氏(東京大学准教授)

○その他:小学生以下は保護者同伴でご参加ください。 当日は汚れてもよい服装で、軍手・タオル・飲み物・虫除けスプレー等をご持参ください。詳細は申込時にお尋ね下さい。

 

2016年9月号

~土器の底面 《「遺跡の館」展示品から》~

 遺跡の館には、遺跡から発見された様々な時代の土器が数多く展示されています。ほとんどの土器は壊れた状態で見つかりますが、破片を貼り合わせ、元の形に戻して展示しています。

 展示してある土器は通常、底を下にして置かれているため、土器の底面を見ることはあまりないかと思います。使用時には見えない場所なので模様も何もないことも多いのですが、中には土器作りのときに土器の下に敷いた敷物のあとが残っているものもあります。

擦文土器の底部
【写真:擦文土器の底面】

 写真は12世紀頃に作られた擦文土器(さつもんどき)の底面ですが、木の葉のあとがくっきりついています。葉の上に粘土を置いて土器を作ったもののようで、落葉広葉樹の葉を使っていることからこの土器が夏ころに作られたことも推定できます。 このように、細かいところにも土器の作り方や当時の生活を知るヒントが隠れています。

 

 

お問い合わせ

北見市教育委員会常呂教育事務所
ところ遺跡の森

〒093-0216
北海道北見市常呂町字栄浦371番地
電話:0152-54-3393
FAX:0152-54-3538