ヌプンケシ181号

2011年2月8日

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.181
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平成21年12月15日発行

◎小公園は何時からあったのか?

 先日、市民の方から「市役所の前の小公園はいつか昭和4年7月発行の『野付牛明細図』らあったのですか?」との問合せがありましたので、今号はその調査結果をレポートしたいと思います。
◇昭和4年7月発行の『野付牛明細図』では・・・
 昭和4年(1929)7月発行の『野付牛明細図』ではご覧のとおり現在の小公園の場所には、大正6年(1917)11月に建設された「町役場」庁舎が建っていました。また、現在の郵便局のところは予定地で空き地でしたから、グランドとして野球試合が行われていました。(ちなみに現在地に郵便局が建設されたのは、昭和5年でした。)この役場は市史編さんニュース96号でレポートしたとおり、昭和7年(1932)5月23日、不審火で全焼してしまいました。当初は放火として捜査され、町職員が逮捕されましたが、最終的には証拠不十分で無罪放免になりました。焼失直後は郵便局横にあった登記所を仮庁舎にして執務し、その後バラックを建てました。
◇昭和8年12月発行の『大日本職業別明細図』では・・・
 
火事のあった翌年 昭和8年12月発行の『大日本職業別明細図』では、郵便局の横に野付牛昭和8年12月発行の『大日本職業別明細図』役場が示されてあり、焼け跡は「役場用地」として確保されていました。この時点では町としては何れそこに役場を再建する予定だったのでしょう。
◇昭和11年8月発行の『野付牛阿寒連絡観光地図』では...
  ところが、右下段の昭和11年(1936)8月発行の『野付牛阿寒連絡観光地図』では、「役場用地」のところが「小公園」に変っています。この昭和8年から11年の間に政策変更があって、誰の命名か不明ですが、「小公園」が誕生したと見られます。
 この経緯については、昭和30年(1955)11月25日付の『北見新聞』に「庁舎の歴史」という記事があり、次のように書いてあります。
 「御手洗町長時代(昭和七年八月)となり、同小公園内に建直し計画が樹てられ、議会にはかったが、凶作の年であったため現代議士の永井勝次郎氏ら二、三議員から猛烈な反対が出てお流れとなった。御手洗町長は行政手腕にたけ、先の見通しをみる眼が鋭く、今ここで新築しなければ向う十年間はできないだろうと関係者に訴えていたというが、その通りであったと一古老は語っている。」
昭和11年8月発行の『野付牛阿寒連絡観光地図』 その上、再建を考えた御手洗町長は昭和8年(1933)10月16日に病死したので、この計画は消えてしまったのでしょう。昭和14年(1939)6月、郵便局横に町役場が建て直されました。したがって「役場用地」は昭和9年以降に通称「小公園」として定着していったと考えられます。
◇昭和27年の観光絵葉書

 下に掲載したのは昭和27年(1952)の観光絵葉書の一枚、「小公園風景」の写真部分です。その説明には次のように書かれています。
 「ここはビジネスセンターの一角市の中央高台街を展望する緑のオアシスである。図書館、公民館、遊園地を擁して市民散策の好地であり社交広場である。明治三十年熊咆える原始林に開拓の斧を揮って五十有余星霜、雄魂永へに前田翁も今昔の感一人深いものがあらう。」
       前田駒次の銅像と旧庁舎写真
 正面に見えるのは前田駒次の銅像です。その左に旧庁舎が見えます。右の黒い大きな建物は昭和23年(1948)11月に建設された公民館で図書館と併設されていました。その他、忠魂碑や開拓記念碑も「小公園」内にありました。広い野原でしたから、昭和30年(1955)2月8日には特設スケートリンクが造ら有坂隆祐と稲田悦子両オリンピック選手の写真れ、有坂隆祐・稲田悦子両オリンピック選手によるアイススケートショーが開催されたりしました。(右はその写真)
◇現庁舎の建設と小公園
 昭和29年8月15日から現庁舎の新築工事が開始されるのですが、事前に建設予定地にあった図書館・公民館は中央小学校前(現・NTTの所)に移築され、前田駒次の銅像、開拓記念碑もとん田公園に移設されました。 忠魂碑は一年後の昭和30年に野付牛公園に移設されました。
 庁舎の竣工(昭和30年11月)にあわせて、昭和30年度から「小公園」は「前庭」として整地され本格的な整備は昭和31年5月以降で、同年8月5日設置、同月8日、北見市開基60年・市制施行15年記念祭を機会に市民にお披露目されました。当時としては噴水のある公園は珍しかったので、小学生であった筆者も授業で「小公園」へ写生にきた思い出があります。はじめは鯉などの魚も噴水池の中で飼育していましたが、悪戯が絶えないので止めてしまったようです。
 正式に小公園となったのは、都市公園法による供用を開始した昭和38年(1963)8月5日からでした。それまでは通称「小公園」だったことになります。「小公園」のことを一つ取上げてもこれだけの歴史があるのです。(完) 

《中庭だより》☆11月中旬、旅に出かけました。行先は秩父事件の井上伝蔵の出生地、吉田町(現在は合併して秩父市)。池袋から西武秩父線に乗り、西武秩父駅で本数の少ないバスに乗継いでやっと到着。山間の人気のない集落を迷いながら歩き、椋神社や伝蔵の墓も訪ねてきました。