ヌプンケシ22号

2011年2月8日

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-23-7111(代)


市史編さんニュース NO.22
タイトルヌプンケシ
平成14年4月15日発行

◎北見市の市名由来を文書確認!
画像本を呼んでいる男のひと 2月13日に図書館から移管のあった公文書類を概略整理したら、昭和17年(1942)の市制施行に関係した『市制施行上申書』と『北海道常呂郡野付牛町市制施行実地調査書』という簿冊が出てきました。
 『市制施行上申書』は、『北見市史』年表編の「昭和17年2.24」に「野付牛町会、野付牛市制上申案を満場一致拍手をもって可決」され、同年3月15日に「高橋峯治町長、湯沢三千男内務大臣に野付牛市制施行を正式上申」されたものでしょう。
 『北海道常呂郡野付牛町市制施行実地調査書』は、その後、内務大臣より諮問された北海道会参事会が実地調査に来た際に、野付牛町側が用意した「下書き」のようです。
 前から筆者が気にしていたのが北見市の正式な市名由来の説明で、この『実地調査書』には「十四.市名及市役所位置」という章があり、その中で「本町ガ北見國ニ於ケル運輸交通ノ要衝タル自然的要素ニ恵マレ今日ノ盛況ヲ見ルニ至リタルト 北見國ニ於ケル當初ノ市制施行地タルニ鑑ミ北見國ノ『北見』ニ因ミ/北見市/ト定メントスルモノ」「ナリ」を「ニシテ」、さらに「去ル四月十五日町会ニ於テ出席議員二十一名満場一致ヲ以テ議決ヲナシ又一般住民ニハ反対意見ヲ有スルモノ全然ナシ」と書き加えてありました。
 つまり、この文書によれば、市名は4月15日の町会の議決をへて、礼文・利尻・宗谷・枝幸・紋別・常呂・網走・斜里の八郡をまとめた「北見国」の「運輸交通の大切なカナメの地点たる自然的要素に恵まれて景気がよかったこと」と、「北見国で初めて市制を施行すること」を考え、北見国の「北見」に因んで「北見市」にしたことがわかりました。 現議会には古い時代の議決文書がなく、市名についても推測でしか説明できなかったことが、こうして文書で確認できるのは大変貴重です。図書館から移管のあった公文書類はもっと時間をかけて調査したら、今まで不明だったことが解明されるかも知れません。


画像なかよし一年生

◎旭川市市史編集課を視察
 3月26日、旭川市役所総務部市史編集課を視察してきました。場所は、旭川市庁舎から2、300mほど離れた4階だて民間ビルで、全館を借りあげ、1階を管理人室として、2階を事務室、3階以上が書庫・マイクロフィルム保管室(マイクロフィルムリーダー機器有り)・編集長室などになっていました。エレベターのない古いビルでしたが、仕事で自由に使える空間があり、筆者には羨ましい施設でした。
 年度末の、しかも発刊なったばかりの『新旭川市史 第二巻/通史二』の発送にお忙しい中、玉井市史編集課長さん、浜課長補佐さんから市史編集状況について懇切丁寧なご説明頂き、その後、ビル内をご案内してもらいました。原田編集長さんにも、お仕事中、お邪魔して、貴重なお話をお聞きすることができ、誠にありがとうございました。
 旭川市の市史編集体制は、開基100年記念事業の一つとして市史を刊行する目的で昭和62年(1987)4月に総務部内に臨時的に市史編集事務局が設置され、平成9年(1997)12月に機構改革により市史編集課に名称を変更しました。
 現在の職員体制は、事務局として課長1・課長補佐1・係員1・常勤嘱託5・臨時1の計9名で、これに編集会議として編集長(常勤嘱託)1・編集員(非常勤嘱託)5・編集調査員(事務局常勤嘱託兼務)1の計6名・兼務1名となっており、全体実質15名体制です。
 私どもの体制が主幹1・常勤嘱託1・臨時1の3名ですから、事務局段階で比較しても3倍の開きがあり、予算に至っては13年度で単純に比較すると、旭川市が41,058千円で、当市が 4,053千円と10倍の違いがあります。
 非現用公文書保管については、市史編集課が常設されなかった時期には、基本的に総務課長の所管で「旭川市事務取扱規程」の第60条で「前条の規定により廃棄する場合、総務課長が市史編集資料として必要と認めたものは、別に保存しなければならない」とされていましたが、機構改革をうけて平成10年6月「旭川市史編集資料の収集保存に関する規則」及び「保存文書移管等事務処理要領」改正により、5年・10年保存年限の過ぎた公文書を市史編集課で選択し、引継ぐこととし、平成11年度から毎年 600冊の簿冊を引継いでいるとのことでした。これからの課題は、原課にある永年保存簿冊等の管理把握だそうです。 当市の文書管理は、市史編さんと同様、十年以上停止状態で、情報公開の土壇場になって動きはじめたわけで、機構が整備されている旭川市と比較になりませんが、全庁に対応できる書庫の確保など、将来のあり方も含めて早急に検討・対応が必要と思いました。


◎仮称『きたみ現代史』編集委員会発足 画像友だち
 先に策定された北見市史編さん基本計画に基づき、平成3年4月1日から実施されてきた「北見市制史研究委員設置要綱」を廃止し、仮称『きたみ現代史』編集委員会設置要綱を定め、仮称『きたみ現代史』の平成18年度発刊に向け、編集委員4名(小林正氏・清水昭典氏・前川満夫氏・吉田邦子氏)をこの4月1日付で委嘱し、4月10日午後1時30分より第1回目の編集委員会を、本庁別館1階入札室で開催し、編集委員長を互選、清水委員が選出されました。なお、委員の任期は平成18年度末の平成19年3月31日までであります。 これでいよいよ市史も編集計画の樹立、目次内容の検討など、より具体的な作業に入っていくことになり、事務担当者としても、これまで以上に計画的に事業を進行させていかなくては、と気を引き締めているところです。皆様の一層のご協力をお願いいたします。

 《中庭だより》 画像赤いチューリップ
☆3月28日、小山田恭一氏が79歳で急逝されました。小山田氏は大正14年4月に山形県天童市に生まれ、郵便職員であった父と来道、郵便一筋に過ごされ、昭和38年から平成元年まで北見とん田郵便局長であり、各種公職にもつかれていました。その後、ご自分で北見雑学研究所を設立、北海道の郵便の歴史について、関係者から地道に聞き取りをされ、資料を収集して、自費で貴重な研究成果を出版されてきました。同氏が馴染みの居酒屋で親しくお声をかけて頂いていた筆者としては、訃報に接し、誠に寂しく、残念でした。最後のご労作は、平成13年5月30日発行の『第三八一野戦郵便局・・・アッツ島で玉砕・散華された北海道のポストマン・・・』でありました。ご冥福をお祈りいたします。