カーリングの歴史

2011年4月19日

ひょうじょうのあついたたかい
彼らは日本中に感動を与えた
ゆめをおいもとめて
彼女たちは夢の舞台へ立った
せかいをかける
いま新しい歴史を歩みだす

 

カーリング  カーリング
小さなまちの大きな挑戦

 

昭和55年、北海道とカナダ・アルバータ州のスポーツ交流の一環として、あるスポーツ講習会が十勝管内・池田町で行なわれた。
常呂町からも数人が参加し、石を氷の上で滑らせるカナダ人を不思議そうに見ていた。
これが常呂とカーリングの初めての出会いになる。
帰町した参加者は、正式な用具もないまま、手作りの用具とスケートリンクの片隅に円を描き、ほうきを持ってカーリングを始めた。この年には常呂町カーリング協会も設立した。
翌56年には、専用リンクを造り、元世界チャンピオンを招き講習会を行なうとともに、「第1回NHK杯カーリング大会」を開催。この大会を契機に常呂のカーリング人口は急激に増えていった。
昭和59年、常呂のカーラーたちはカナダに初めて海外遠征を行なった。
昭和61年、北海道知事がNHK杯を観戦し、予想以上のカーリングの普及に驚き、3年後に開催される「はまなす国体」でカーリングをデモンストレーション競技に採用すると発表。開催地には常呂町が指定を受けた。
当時、カーリング専用屋内ホールはどこにもなく、日本初の屋内専用ホール建設となった。
昭和63年1月7日、「常呂町カーリングホール」がオープン。国際規格に合致した5つのレーンを備え、氷温の調節できるパイピング方式を採用した。
これにより、気候に左右されず、安定したリンクコンディションの中で、十分な練習環境を持った常呂のチームは、国内の大会を圧倒的な強さで制していった。
平成4年、冬季オリンピックでカーリングが正式種目に採用された。
次の目標は「オリンピック」となった。
 
 
 
 
  
  平成7年、常呂の女子チームが世界選手権に日本代表として出場し、日本代表としてはじめて2勝をあげた。
同じ年、ジュニアのチームも国際大会に出場。男子は2勝、女子は準優勝した。
1998年に長野県で行なわれる冬季オリンピックの強化選手として常呂から17人が選ばれた。男子9人、女子8人。いずれもごく普通の人たちだ。実業団や高校大学時代から選抜されたわけではない。常呂でカーリングと出会ったことが、オリンピックへとつながった。
この強化選手の中から長野オリンピックには男子3人、女子2人の5人が代表選手に選ばれた。ほかの代表選手も道内から選出された。
長野オリンピックには、常呂からはたくさんの応援団が駆けつけた。町内にはたくさんの報道が押し寄せた。わずか5000人の町から、5人ものオリンピック選手を出したことも話題となった。
男子は予選を終え、日本、スウェーデン、アメリカが同点で並び4位決定戦を行なった。
対アメリカ戦は最終エンド、最終ショットまでもつれ込む激戦となった。日本は見事な最終ショットで勝利を確信した。しかし、アメリカのミラクルな最終ショットで惜敗。わずか2センチにも満たない接戦だった。
このときの試合はテレビ放映され、カーリングを全国に知らしめるゲームとなった。
メダルの期待がかかっていた女子も、5位と健闘した。
常呂でカーリングが始められてわずか18年。
カーリングへの情熱と環境、そしてチャンスを手にしたことが夢の舞台「オリンピック」出場へとつながった。

 
 
 
 
  

常呂では、小・中・高校生のときから講習会や体育の授業などを通じカーリングと接していく。
町内リーグ戦では、子どもから高齢者のチームまでがクラス別に試合を行なっており、中・高校生のチームが大人のチームに勝つこともよくある。
長野の次に行なわれる2002年ソルトレイクシティ冬季オリンピックを目指した女子チーム「シムソンズ」も、小・中学生のときからカーリングを始めている。
長野オリンピックでは、国内の強化選手から代表を選出し、日本代表として新たなチームで試合に臨んだ。
しかし、ソルトレイクシティオリンピックでは今までの成績などから前年度全日本選手権優勝の北見のチームと、今年度(平成13年)同大会優勝の常呂の「シムソンズ」で、代表決定戦となる「オリンピックトライアル」を行なった。
試合はもつれ最終第5戦、3点差をつけていた北見チームに対し第10エンドで「シムソンズ」が同点に追いついた。延長の末「シムソンズ」が接戦を制し、オリンピック代表に内定。
2002年ソルトレイクシティオリンピックでは、接戦を制することができず苦戦を強いられる。やはりオリンピックという大舞台には魔物が潜んでいるのだろうか。実力が十分に発揮されていなかったのは一目瞭然だった。
常呂からの応援団が見守る中、対ロシア戦では初勝利をあげることができたものの、結果は10チーム中8位。
このときの悔しさが、2006年トリノオリンピックを目指す原動力となった。
2006年、トリノオリンピックには「チーム青森」が出場する。
しかし、メンバー5
人は北海道出身。うち3人は常呂町の選手で、しかも2人は元シムソンズのメンバーである。

引き続き、2010年のバンクーバーオリンピックにおいても「チーム青森」が出場し、このときはメンバー中2名が常呂町の選手であった。
 

 
 
 
 
   
    屋内カーリングホールを持つ自治体は道内外に増えてきた。
北見市常呂町からは、国内のみならずアジアへも指導者を派遣し、カーリングの普及に努めている。
「常呂町カーリングホール」で育った選手達がこれからも全国、世界で活躍してくれることを期待している。
   

 



 

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