常呂の遺跡:大島2遺跡

2016年5月23日

大島2遺跡

竪穴
【窪みとなって残る竪穴住居】

 大島2遺跡は北見市常呂町東浜地区の、オホーツク海に臨む丘陵上に広がる遺跡です。現在「常呂森林公園」がある丘陵上で、常呂の海岸地域を一望する見晴らしのいい立地にあります。常呂地域では標高5~20mの低い砂丘や台地上で多くの集落遺跡が見つかっていますが、この大島2遺跡は標高50m以上と、他の遺跡に比べてひときわ高い場所にあることが特徴です。

 大島2遺跡では周辺の遺跡とともに1970年、東京大学により測量調査が実施され、58基の竪穴の存在が確認されました。史跡常呂遺跡と同様、この遺跡でも多数の竪穴住居跡が埋まりきらずに残っていたのです。測量調査で確認された竪穴の一部はその後失われてしまいましたが、谷を隔てて東側に広がる大島1遺跡(TK-10遺跡)と合わせると、このオホーツク海に面した丘陵上に残っている竪穴の数は200基以上にのぼります。

 大規模な遺跡であるにもかかわらず、大島2遺跡では長らく本格的な発掘調査が行われてこなかったのですが、2009(平成21)年から東京大学常呂研究室・北見市教育委員会の共同で発掘調査が実施されています。

 

 

遺跡データ
 遺跡名 大島2遺跡
(TK-11遺跡)
 所在地 北見市常呂町東浜
 立 地 常呂川・オホーツク海に臨む標高50~65mの丘陵上
 時 代 縄文(中期)・続縄文・擦文・トビニタイ
 遺構・遺物 竪穴住居跡
土器・石器・炭化材(建築材・木製品)
 現 況 樹林
 文 献 

東京大学文学部考古学研究室 1972『常呂』
東京大学大学院人文社会系研究科附属北海文化研究常呂実習施設 2016 『擦文文化期における環オホーツク海地域の交流と社会変動―大島2遺跡の研究(1)―』

 

擦文時代の竪穴住居の調査

1号住居炭化材
【1号住居炭化材出土状況】

1号住居
【1号住居(炭化材など出土品の回収後)】

土器出土状況
【住居内の土器の出土状況】

 

 2009(平成21)年から実施されている発掘調査では擦文時代の竪穴住居跡が調査されています。

 この時代の住居はほぼ正方形の掘り込み(竪穴)をもっています。発掘された住居跡は建物が焼けており、木材等が炭化した状態で見つかりました。特に1号住居では多くの炭化材が見つかっており、柱と見られる太い丸太材、壁材などと見られる板材、カヤと見られる植物の茎(屋根材か床の敷物などの可能性がある)など、各種の建築材が含まれています。

 さらに炭化材を回収し、床面を精査したところ、竪穴の四隅から柱穴の跡が見つかりました。この住居跡では柱穴の位置がやや特殊で、ほぼ壁際に寄った場所にあり(遺跡の森・擦文の村で発掘された擦文時代の1号住居跡と比較するとよく分かります)、屋根の構造が他とは異なっていた可能性があります。

 このように発掘調査では、竪穴住居の上屋構造を知る上で貴重なデータが得られており、今後の分析が待たれます。

 1号住居出土の炭化材で放射性炭素年代測定が実施されました。年輪が数えられる炭化材試料から得られた複数のサンプルを測定することによって測定年代を絞り込む分析がおこなわれており、11世紀後半から12世紀前半の年代が得られています(下の表参照)。この年代は出土している土器の型式から推定される年代とも矛盾しないため、1号住居が使われていたころの年代として妥当なものと考えられます。

 

1号住居炭化材試料の放射性炭素年代値
試料 暦年較正年代値(1σ年代範囲) 暦年較正年代値(2σ年代範囲)
1号竪穴・炭化材No.310 1102-1120 calAD(18.1%)
1132-1154 calAD(50.1%)
1060-1155 calAD(95.4%)
1号竪穴・炭化材No.104 1055-1078 calAD(43.4%)
1133-1137 calAD(4.2%)
1152-1164 calAD(20.6%)
1050-1099 calAD(55.0%)
1125-1170 calAD(40.4%)

※國木田 大(2016)「大島2遺跡出土炭化材試料の放射性炭素年代測定および土器付着炭化物の炭素・窒素同位体分析」 『擦文文化期における環オホーツク海地域の交流と社会変動―大島2遺跡の研究(1)―』より抜粋

 

お問い合わせ

北見市教育委員会常呂教育事務所
ところ遺跡の森

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地図

大島2遺跡