常呂遺跡の発見

2017年8月7日

日本有数規模の遺跡発見 それは、ひとりの男の執念だった

常呂遺跡の発見

常呂町内には竪穴式住居跡が数万カ所にわたって点在している。

石器時代から縄文、弥生と続く本州の歴史と異なり、北海道の歴史は縄文から続縄文、そして擦文、アイヌ時代へと進む。

この常呂遺跡からは太古からアイヌ時代へと続くすべての時代の遺跡が発見されている。

さらに、この時代からはオホーツク文化という特異な文化の遺物も多数発掘されている。

オホーツク文化は擦文と平行して、オホーツク沿岸で発達した文化だが、この文化の担い手はアイヌ民族の先祖とされている擦文文化の担い手とは明らかに異なった民族と考えられている。

常呂遺跡はオホーツク文化の研究に豊富な資料を提供し、この文化が大陸と強いつながりを持った文化であることが明らかにした。

しかし、その民族がどこから来たのか、そして、どこへ消えたのかはいまだに謎のままである。

 

常呂町の市外からサロマ湖へ向かう道沿いに低い雑木林が続く。

史跡常呂遺跡は、この林を中心に広がっている。

この常呂遺跡を発見したのは故大西信武氏である。

大正13年、土木工事の現場監督として常呂町を訪れたときに発見した。

大西氏はこの遺跡を残すため、孤軍奮闘した。

時代は開拓から間もない時代、戦争へという流れのときであった。

地元の人や役場から理解は得られない。

昭和22年頃から常呂遺跡保護のために、大西氏は奔走した。

旅費を工面し、北海道大学へ何度も赴いた。

しかし理解が得られなかった。

東北大学にも出かけたが門前払いをくらうだけであった。

昭和29年、転機が訪れる。

アイヌ語の調査のため常呂町に来ていた東京大学の服部四郎博士との出会いであった。

この出会いがきっかけとなり、昭和32年から東京大学による常呂遺跡の発掘調査が始まったのである。

昭和40年、常呂郷土資料館に東京大学文学部の常呂研究所が設置された。

昭和42年には資料館が完成し、翌年には学生宿舎ができた。

昭和48年、研究室は東京大学文学部付属北海道研究常呂実習施設として正式に設置された。

東京大学文学部の研究所が東京以外にあるのは、ここ1カ所だけである。それだけ、この常呂遺跡は考古学的価値が高かった。

もちろん、この影には大西氏の尽力があったことは言うまでもない。

 

(ところ通信1989→1999より抜粋)

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