ところ遺跡の館展示案内:続縄文時代

2015年7月29日

続縄文時代

 約2400~1400年前に相当する時代です。約2400年前以降、本州では広い範囲に農耕文化が普及し弥生時代を迎えますが、当時農耕に適さなかった北海道では縄文文化の伝統を残した、狩猟・採集を生業とする文化が続きました。
 縄文時代から全く変化がなかったわけではなく、本州から盛んに鉄製品が持ち込まれたことにより、鉄器と石器が併用されるようになりました。また、サハリンや千島列島など、北方の広い範囲との交流が認められるようになるのもこの時代の特徴です。
 展示では続縄文時代を特徴づける土器とともに、広域的な交流の証拠となる装飾品なども展示しています。

続縄文時代の土器

続縄文土器
【写真1 続縄文時代の土器(注口土器)】

 続縄文時代には、縄文土器の伝統を引き継いだ縄文のある土器が作り続けられていました。とは言え、約1000年続いた続縄文時代の間に、作られる土器は少しずつその姿を変えていきました。
 比較的古い土器では、全面に縄文を施し、土器の上端の部分に小さな丸い出っ張りを列状に一回り付けています。その後、細い粘土紐を貼り付けて装飾した土器が多くなります。はじめは粘土紐の間が縄文で埋められていましたが、やがて縄文が少なくなっていきます。
 続縄文時代の終わり頃には縄文を全く付けない土器が現れます。この頃の本州ではすでに土器に縄文は使われなくなっていましたが、その影響が北海道まで伝わってきたものと考えられています。

 

墓地の副葬品と広域交流

琥珀
【写真2 琥珀製の玉】

ガラス玉
【写真3 ガラス玉】

 続縄文時代には、縄文時代の終わり頃にも増して豪華な副葬品をもつお墓がつくられました。土器や石器などの生活用品の他、首飾りなどの装身具も見つかっています。特徴的なものとしては琥珀製の玉(写真2)を連ねた首飾りがあります。数百~数千の玉を連ねて作られたもので、材料の琥珀はサハリンからもたらされたものの可能性が高いとされています。こうした多数の副葬品はどの墓にも納められているわけではなく、村の指導者や呪術師など、特別な地位にあった人の墓に収められたものと考えられています。その他、続縄文時代の後半になると、本州から手に入れたと見られるガラス玉(写真3)を遺体と一緒に葬った墓の事例も見つかっています。

不思議な形の石器

異形石器
【写真4 異形石器】

 続縄文時代には、縄文時代と同様、矢じり、ナイフ、斧などの石器が多く使われていました。一方、少し変わったものとして「異形石器(いけいせっき)」と呼ばれる不思議な形の石器がしばしば見つかります(写真4)。矢じりやナイフのような、刃物として使うふつうの石器と違い実用品ではなく、まじないやお祈りのために作ったものとされています。

 これらの石器の形は人や動物をかたどったものと言われていますが、はっきりしたことは分かっていません。写真4は左から鳥、ムササビ、ヒトの形ではないかと言われています。

 

 

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