ヌプンケシ220号

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市史編さんニュースN0.220

 

タイトル ヌプンケシ

 

平成23年8月1日発行

 

 


 

外科星病院の写真

 外科星病院について、市民の方はほとんどご存じないと思います。筆者も平成20(2008)に、野付牛町時代のオンネメーム(現・とん田東町)で馬場酒造店を経営していた馬場昌久氏のご遺族からご寄贈のあった多数の写真の中で、同病院の写真2枚を眼にするまで知りませんでした。下の写真が、その病院を正面から撮ったものです。なかなか立派な大病院です。紙面の都合で割愛しましたが、別の一枚は病院の正面玄関で院長家族も参加した記念写真でした。

星病院の写真

◇『北見医師会創立記念誌―100年の医療史―』に「星病院」記載なし

 この2枚の写真には、撮影年月日や場所を記した裏書は全くありません。それで同病院が野付牛にあったかどうかを確認することから調査をはじめました。最初に見たのは、平成14(2002)3月発行の『北見医師会創立記念誌―100年の医療史―』でしたが、ここには星病院の名前はどこにも見当たりませんでした。そんなことで調査は一時中断したのですが、後日、市史編さん主幹が昭和13(1938)11月発行の『野付牛商工名鑑』の「病院」の項に「大通東六 星病院」とあるのを見つけ、これで同病院が野付牛に存在していたことを確認できました。

 次に今度は前の『北見市史』の編集委員長であった()鈴木三郎先生が遺された手書き資料『病院の変遷』に当ってみることにしました。すると、そこには次の記事がありました。

   開院年月日=S13.8  病医院名=星医院  院長名=星 静  科 名= 内

    病院のあゆみ=大通東6(上杉医院跡)、昭和14年7月2日 2条東1に移転

 この「昭和14年7月2日 2条東1」に移転し、経営を拡大して「外科星病院」になった時の記念写真が前ページのものでしょう。問題なのは、写真にはご覧のとおり「外科」とあるのに、鈴木先生の資料では転記ミスをしたのか「内」科としていることでした。

 星医院が移転した「2条東1丁目」は「野付牛病院」が以前からあった場所なのですが、資料『病院の変遷』には安藤病院が昭和16(1941)2月に「野付牛病院跡」に開業した記述だけで、星医院との関係を示す情報は何も出てきません。結局は当該写真に関する情報がこれ以上なくて、『「北乃天」馬場酒造店の写真紹介』(平成21年発行)には掲載しませんでした。

◇昭和13年8月の『北見毎日新聞』記事から

 しかし、この間、暇をみて中央図書館で戦前の『北見毎日新聞』記事を調査しているのですが、その昭和13年8・9月の新聞の中に、星医院に関する一連の記事と広告を見つけました。

 同年8月25日付新聞に、次の見出しがありました。「恩賜の銀時計輝く秀才/星医学博士愈開業/お医者街の野付牛刀圭界の/錦上更に一輪の名華を飾る/廿八日より大通東五丁目で」

 これで星医院の開業日が昭和13年8月28日だと分かりました。本文記事は次のとおりです。

 「大阪小澤医科教室外科医局長兼講師 医学博士星静氏 先輩並に近親の奨めにより今回帰町し野付牛大通東五丁目元上杉病院跡で来る二十八日から開業することとなつた 氏は当町星千代吉の令息で昭和四年三月大阪帝国大学医学部を卒業し特待生として恩賜の銀時計拝受の光栄に浴した秀才で 卒業後小澤外科教室に入り一般外科殊に内臓外科を研究し 昭和十年医学博士の学位を授与され外科医局長として臨床上の才腕を揮はれた方である 本年三十六歳温厚な人格者でお医者街の野付牛刀圭界の錦上更に名華を副へたものである」

開院廣告 記事と同時に掲載の新聞広告は、左にあるとおりです。診療科目が「外科一般」からはじまって「レントゲン科」まで7科目あり、色街野付牛の事情を反映して花柳病(性病のこと―引用者)まで治療対象にしています。この広告と記事で星医院が「内科」でなくて、「外科」医院だったことが確定しました。

 前掲の記事に続いて、『北見毎日新聞』には8月30日~9月1日「星さんの一門に輝く一族三博士」という、星一族がいかに優秀であるかを紹介したいわゆる「提灯記事」が3回連載されています。それを要約すると、桜町に住んでいた星家の星千代吉・米子夫妻には3人の娘がいて、長女・愛子さんは北大卒の農学博士中島顕三氏に嫁ぎ、次女・喜美子さんは星家の養子で医学博士になった静氏と結婚し、三女千栄子さんと結婚した大阪砲兵工廠附属陸軍病院副院長の宮川幹雄氏は博士の学位を受ける予定で、「婿運の良い星家であるが是も土台星さん自身が若い頃は道庁のお役人で研究心に富んだことに応報したのだらう」とありました。この星千代吉氏について筆者は知りませんでしたので、調べてみました。

 『北見の今昔』に次の紹介記事がありました。「星 千代吉/明治9年1126日父多利蔵の長男として宮城県名取郡玉浦村で生まれ、同36年渡道、道庁に奉職 大正6年辞任、同年10月北見に移住、製材会社を創業 社長に就任、のち土木建築請負業を営む、また大正13年から6年間町議会議員、昭和8年から5年間野付牛鉄道指名請負人組合などを勤め町発展ならびに業界発展のために貢献したが、昭和15年仙台市に転住した。」相当な有力者だったのですね。

 『北見の今昔』の記事をそのまま鵜呑みに解釈すると、千代吉氏と一緒に養子の静氏一家も転居して星病院は短命に終わり、一般市民の記憶に残らなかったということでしょうか。()

《分庁舎だより》☆このコーナーの名称が変りました。当室が7月末に第1分庁舎1階に引越して8月1日から業務開始だからです。これまでも本庁3階の「窓際だより」から1階の「中庭だより」へと移転ごとに名称を変更してきました。今後も楽しくお便りしますので、よろしく。

 

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