ヌプンケシ91号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157‐25‐1039


市史編さんニュース NO.91
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平成17年3月1日発行

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◎常呂村外6ケ村戸長役場

 前号に引き続き、今号も北見市の行政の起源を調べてみましょう
大小区制
 それでは、ここでまず前号で説明し足りなかったことを、レポートしておこうと思います。本州では明治4年(1871)の戸籍法に基づいて、戸籍編成の単位として「四五丁若シクハ七八村ヲ組合」せて区を機械的に設定し、各区に官選戸長・副戸長をおいて戸籍登録の責任者としました。北海道においては、前号に書いたとおり、アイヌコタンしかないような土地が大部分ですから、各郡を本州の区とみなし、有力者の協力で戸長を任用し、戸籍編製をさせました。
 ところが「明治9年9月に至ると、すでに道内の凾館など江戸幕藩時代から町並みが形成され始めた大区・小区の制が北海道全域に普及し、道内は30の大区とその細分である166の小区に区画され、網走外三郡は第二十七大区として一括され、その下に斜里郡を一小区、網走郡を二小区、常呂郡を三少区、紋別郡を四小区として小さく区画した。そして前述の各町村はそれぞれ小区の中に組み込まれた。」
◇郡区町村編成法と戸長役場
 しかし、この大小区制については、内務卿大久保利通が「数百年慣習ノ郡制ヲ破リ、新規ニ奇異ノ区画ヲ設ケタルヲ以テ、頗ル人心ニ適セス。又便宜ヲ欠キ人情絶テ利益ナキノミナラス、只弊害アルノミ」と批判するほど不評で、「明治11年7月22日、本州等府県下では、大区・小区が廃止され、太政官布告第17号をもって郡区町村編制法が定められた。」これは「伝来の郡町村の区画や制を復活し、別に人のにぎわう『人民輻奏ノ地』に区を設け、郡長、区長と町村に新しい制度の戸長を置く郡区町村制を定めたものであった。そして同日、『地方税ヲ以テ支弁スベキ経費ノ予算及ヒ其徴収方法ヲ議定スル』ための府県会の成立を認めた太政官布告第18号府県会規則と地方税制を整備した太政官布告第19号地方税規則も定められた。これらは1セットで新三法といわれた。(中略)ことばを代えると、明治政府は府県と区町村に地方税制を整備して、新設の府県会や区町村会でこれを議決する近代的議会制を一応認めたものである。」
 この郡区町村編成法によって、行政の末端組織として設置されたのが「戸長役場」で、その職務は布告や布達の徹底、徴税・徴兵・戸籍調査・地券台帳整備などでした。
 北海道では先の新三法のうち、郡区町村編成法が明治12年7月施行されただけで、地方議会も開設されず税も全て国税として扱われそうです。

tokoro この郡区町村編制法によって、前号にレポートした網走郡役所が設置されたのです。「管下の戸長役場は斜里郡に斜里外四村戸長役場、紋別郡に紋別外九村戸長役場がそれぞれ設けられたが、網走・常呂二郡については、戸長役場が設けられず、戸長事務を網走郡長が兼務した。」(以上の引用は『オホーツクへの道』掲載「地方制度発達小史」より)なお、開拓使は明治15年(1882)2月に廃止され、代わって凾館県・札幌県・根室県の三県が置かれ、当地域は根室県の管轄になりました。
◇常呂村外6ケ村戸長役場の開設月日は?
 当地域の常呂郡に、常呂村・少牛村・鐺沸村・生顔常村・太茶苗村・野付牛村・手師学村の7か村を管轄する戸長役場(約して常呂村外6ケ村戸長役場)が設けられたのは、明治16年(1883)で、鹿児島出身で網走郡役所の書記であった松田三次郎が初代戸長となりました。
ところが、その開設月日について、昭和44年発行『常呂町史』は「明治16年4月1日」とあり、昭和32年版の『北見市史』には「9月」、昭和62年発行の『北見市史』年表編では「4月1日」、『新北海道史』第9巻年表では「11・30 常呂郡各村へ戸長1人を配置、12・1 事務取扱を開始」と書いてあるなど、まちまちであることに調査して気がつきました。
 昭和32年版『北見市史』の「9月」は、昭和8年に発行された米村善男著『北見郷土史話』を出典にした、と筆者は推定しています。しかし、同書には「9月」に開設した論拠は示されていません。続いて『北見市史』年表編の「4月1日」は年表作成原票を見ると、『常呂町史』からとありましたので、常呂町役場に問い合わせしましたが、「4月1日」の根拠になった根本史料は不明で、『常呂町史』に書いてあるから、との回答でした。
◇北海道立文書館の回答
 それでは、北海道に保存されている公文書では開設年月日がどうなっているか、道立文書館へ照会してみることにしました。その回答は次のとおりです。
 「『新北海道史 第9巻史料3』のP248に『11.30 常呂郡各村へ戸長1人を配置。12.1 事務取扱を開始〔告示〕。580』とありますが、この出典といたしましては『新北海道史 第9巻史料3』のP705に記載があり、『北海道市町村沿革台帳』(道地方課蔵)となっています。/当館所蔵の写し『北海道市町村沿革台帳』によると、告第百貳拾六號で明治16年11月30日に常呂郡各村に戸長を配置し12月1日より事務取扱いを開始したとあります。/この布令について布令目録を確認したところ、根室縣布達々全書にて内容が確認できるとありましたが、当館においては明治16年の根室縣布達々全書そのものの所蔵はないため、マイクロフィルムで所蔵しております『内閣文庫所蔵 府県史料 1−2』から内容を確認したところ、『北海道市町村沿革台帳』とほぼ同じ記述が確認できました。/以上の内容から、明治16年11月30日に戸長を配置し、同年12月1日より事務取扱を開始したと思われます。」
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 右に掲示したのが、その『北海道市町村沿革台帳』のコピーです。
 念のため、文書館へ電話したところ、これ以外の月日、つまり「4月」とか、「9月」に開設したとする公文書は見当たらなかったそうです。
◇常呂町役場町史担当者との確認
 この道立文書館からの回答結果を、常呂町役場の町史担当者にお知らせしたところ、担当としては1989年発行の『常呂町百年史』に「明治16年4月1日付、常呂村に同村外6ケ村戸長役場が創置された。常呂一郡下の全ての村を一戸長役場が管轄することになったのである。そして現実的にはこの年の12月に、旧請負人であった藤野家の番屋を仮庁舎として開庁した。」とあることから、12月1日が開設月日として適切妥当と判断するとのことでした。(下線は、引用者)
 それで、今後は常呂村外6ケ村戸長役場の開設年月日は、明治16年12月1日とすることとしました。それにしても、「4月1日」に創置されたとする根拠は何だったのでしょうか。

 《中庭だより》 
☆今号も市史担当として責任を痛感させられました。同時に史料を大切に保存している道立文書館を頼もしく感じました。同館所蔵の明治年代の文書は、大体整理されたとのことです。
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