MENU
CLOSE
マンホールの蓋に絵柄が描かれていることはご存知でしょうか?全国のマンホール蓋には、その地域ならではのデザインが施されています。
ここでは、北見市のマンホール蓋の絵柄や由来をご紹介します。
北見市のカーリングは、昭和55年に旧常呂町でビールのミニ樽を利用した手作りストーンを使用したことから始まっています。
平成30年(2018年)、韓国・平昌で開催された第23回オリンピック冬季競技大会で、北見市出身の男女の選手が大活躍し、女子の「LS北見(現ロコ・ソラーレ)」は、銅メダルを獲得しました。これを記念して、カーリングをモチーフとしたデザインマンホール蓋を作成しました。
1市3町が合併した北見市をPRするために、デザインを公募し、平成27年12月に設置しました。
北見自治区の歴史を語る上で欠かせない「ハッカ記念館」、端野自治区の広大な田園と太陽で育つ「玉ねぎ」、有名選手を多数輩出した常呂自治区の「カーリング」、留辺蘂自治区にある世界最大級の「からくりハト時計塔」など合併した北見市の魅力がぎゅっと詰め込まれています。
北方の警備と開拓のために屯田歩兵第四大隊第一中隊の200戸が入地。
明治30年頃入植した各戸主に与えられ、屯田兵と家族が暮らしていた、有形文化財『とん田兵屋』をデザインしたものです。
北見市の創世記の精神文化等に大きな役割を果たしたピアソン宣教師の私邸(大正3年建設)を修復し、『ピアソン記念館』として復元されました。
この歴史的遺産をデザインしたものです。
北見のハッカは、最盛期の昭和14年頃には世界市場の70%を占めるほどでしたが、第2次世界大戦後、安価な海外のハッカや合成ハッカの登場により、北見薄荷工場は昭和58年にその幕を閉じました。
その後、昭和61年に、『ハッカ記念館』となった旧事務所をデザインしたものです。
『ハッカ記念館』では、ハッカの歴史を伝える様々な資料が提示されております。
市制施行前の野付牛町時代「大正5年~昭和17年」に、北6条東1丁目、現北見中央郵便局横にあった『野付牛町役場庁舎』の写真をもとにデザインしたものです。
昭和8年に北連経営による薄荷工場が設立され、翌昭和9年操業が開始されました。
敷地3892坪、建物1259坪、能力取卸油の処理6000万斤の薄荷工場をデザインしたものです。
昭和30年11月25日に竣工した旧市役所庁舎。
火の見櫓があるこの庁舎は、街のシンボル的な建物でしたが、火の見櫓は平成14年1月に、庁舎は平成24年に全て解体されました。
北見の薄荷草は、山形県から旭川市・湧別町を経て明治34年頃、持ち込まれたと言われています。
ハッカは、北見の自然条件によく合い、また商品価値も非常に高かったため、急速に広まりました。
お問い合わせ |
---|
上下水道局総務課 電話:0157-25-1177 ファクシミリ:0157-31-3591 E-Mail:ki.somu@city.kitami.lg.jp |