ヌプンケシ3号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090‐8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157‐23‐7111(代)


市史編さんニュース NO.3
タイトルヌプンケシ
平成13年7月1日発行

 「北見市内にアイヌは何時迄住んでいたのか」と言うお問い合わせがありましたので、調べたことを市史豆知識として紹介します。
[北見とアイヌ] 画像本を読むひと
☆北見にアイヌは住んでいた?!
 北見の前身である「野付牛」という町名がアイヌ語の「ヌプンケシ」から由来しているとおり、北見は大昔からアイヌ(=人間)が暮らすモシリ(=大地)でした。
 しかし、幕末の公儀探検家・松浦武四郎が1858年に常呂川を溯った探検記をみますと、当時アイヌ成人男性は宗谷・利尻・国後など漁場に強制連行され、死ぬまで酷使され、その結果アイヌコタンには労働力にならない病弱な老人、女、子どもしかおらず、餓えに苦しむ惨状が記されています。ちなみに北見地域では、ヌプケシ(端野町忠志)に3軒、ノヤサンヲマナイ(現端野駅裏手付近)に3軒、ヘテウコヒ(市内中ノ島公園付近)に4軒、アイヌの家があり、細々と生活していたようです。(「北見市史上巻」「新端野町史」を参照)
 明治に入ってからは、端野町忠志にアイヌ家族が定住していたことが明らかなだけで、北見では開拓に功労のあったエレコークぐらいしかわかりません。 
☆アイヌへの偏見
 
今回調査で現・旧北見市史を見て気づいたのは、共に「アイヌ」を部分であれ「土人」と表記していたことでした。アメリカ合衆国のインディアン政策同様、かつて明治政府が大昔から北海道に住んでいたアイヌから勝手に「法律」で土地・狩場・漁場を取り上げ、一方で保護対象とした『北海道旧土人保護法』に代表されるとおり、一般にアイヌを人種的にも文化的にも劣り、保護すべき「旧土人」と見なしていたことは否定できません。
 特に旧市史では、松前藩領時代にアイヌ人口が激減した原因について、松浦武四郎が挙げている「請負人の強制出稼ぎ、すなわちアイヌ狩り」を主因と認めながら、趨勢として「アイヌ人は由来衛生の観念に乏しくそれに強烈な酒を好み、しかも血族結婚が普通であるなど民族の繁栄を自ら阻む運命を担っていたのではあるが、これに拍車をかけたのは天然痘その他伝染病が流行してもこれに対処する方法を知らず、また食糧を平素において貯蔵し備荒するという思慮の持ち合せもないため、不漁時に際しては飢餓のための死亡者を出すことが非常に多かった。それに加えて出産率が極めて低かったためバランスを失い、これを回復することが出来ず人口は減少の一途をたどらざるを得なかったことが挙げられる」とし、アイヌ狩りと重ねて「これが弱体民族の悲しき運命」であるとしています。
 この執筆者は、敗戦の記憶もあって日本「民族」に対する警告として、当時の「常識」でこの一文を書いたのかもしれませんが、現在では通用しない偏見であると考えます。各時代のどれほど優れた人物でも、このように「時代の限界」を抱えているものです。
 これから市史を編さんしようとする私たちは、このことを「他山の石」として謙虚に受けとめ、自分をいましめたいと思います。
☆アイヌは原日本人?
 
哲学者・梅原猛氏と人類学者・埴原和郎氏が対談した本、『アイヌは原日本人か』のように、縄文人が原日本人として存在し、そこへ朝鮮半島から日本中央に渡来してきた人々が中心に弥生人になり、それに圧迫された縄文人が当時辺境であった北海道と沖縄に逃れ、アイヌ人と琉球人の祖先になったと考える学説も出てきています。たとえば、犬の遺伝子分析によると、北海道犬(アイヌ犬)は北方系や朝鮮系ではなく、台湾系の犬に近いことがわかっています。南方系の犬が北海道犬の祖先だとすると、それを飼育していた人々が南から北へ移動したことを示しています。つまり、現日本人の基底部分=原日本人において、アイヌ人はつながっていると考えられるのです。
 また、アメリカ・インディアン等、ネイティブ・アメリカンの祖先が氷河期にアジアからシベリアを経由して、アメリカに渡ったモンゴロイドであることは定説になっていますが、最近それ以前にアメリカに渡った最古の人骨が発見され、その骨格がアイヌに類似していたことがテレビで特集されていました。南米では縄文土器に似た土器も発見されています。これらを考えると、人類史的にもアイヌを考えていくことが必要なようです。 
☆最新『赤平市史』では 
 5月に寄贈頂いた『赤平市史』の上巻、「先史時代」の中に「第2節日本人の系統」があり、「エミシ・エゾ・アイヌの系譜」が取上げられています。そこでは最新の学説に基づき、『日本書紀』等に登場する「エミシが活躍した東北の地は、後年、アイヌと呼ばれた集団が居住し、現在に至るまで多くのアイヌ語地名を残している。アイヌが特有の『アイヌ文化』を持つようになるのは、十三〜十五世紀頃と考えられる。そうするとエミシは本土系集団とアイヌが分離する直前、またはその途中段階にあったことになり」、「エミシもアイヌも渡来系集団の影響をほとんど受けずに、縄文系集団の遺伝子を濃厚に残しながら小進化したグループだったと考えられるのである。」としています。
 当市史でも今後アイヌを取り上げるには、こうした学説に注意していく必要があり、担当として「もっと多くのことを勉強しなくては」と思ったしだいです。 画像きれいなひと
 《窓際だより》
☆6月4日『遥かなときから』1冊、吉田邦子様から寄贈がありました。吉田様は開基 100年事業の時に、このエッセー集を編集するのに大変ご苦心され、頒布にもご苦労さ れた方です。前回の当コーナーをお読みになり、お手持ちの貴重な1冊をわざわざ一階 の案内窓口までお届け頂きました。思わぬご厚意に、担当者として気の引き締まる思いをしました。吉田様には紙面を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました
☆6月13日、岡村建設(株)社長岡村叶夫氏より、『葉山村史』が1冊寄贈されました。 高知県より来られた開拓移民団『北光社』には葉山村出身者がおられ、岡村建設の創業 者、岡村達馬氏もその一人であったと伺っております。ちょうど、郷土史研究家・池田七郎 氏が昭和21年に手書きでまとめた『北光社移民史』を複製していた時でしたので、担当 として感慨深いものがありました。(なお『北光社移民史』原本が市立図書館に1冊し かなかったので、貸出ができるように複製を5冊、市立図書館に渡しました。)少しで も資料充実を図りたいので、これからも皆様のご支援を重ねてお願いいたします。
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