豊地小学校:学校の概要

学校の概要

 明治30年5月、北光社移民団として、四国の高知県より飯田正晴、小野喜三郎、富山県人の吉田五十郎達が入地、厳しい風土と闘いながら当地域の開拓に従事してきた。当時、この中の沢一帯は葦原で、至るところカシワ・ニレ・タモ等の森林でおおわれ、昼なお暗く、きつねや鹿の横行する原野を一鍬一鍬、想像にあまりある苦労を重ねながら耕地を広げ、麦・キビ・豆類の作物を収穫してきた。その後、年とともに移住者も増え、大正元年池田線(旧ふるさと銀河線)の開通によって、人口も増え、開拓事情も急速に進んだ。当時、学校として上常呂尋常小学校及び野付牛尋常小学校があったが、上常呂へ行くためには、熊の吠えるうっそうたる林の中をわずかに草を分けて通じる人道に頼らなければならず、野付牛(北見市)に出るのにも、またその通りで、児童の通学には好ましくない状態であった。ここにおいて、保護者と地域住民が協議の結果、寄付を出し合い、校舎を新築。17名の児童をもって、中の沢特別教授場として開校を見るに至った。
 平成27年に開基120年を迎えた歴史あるこの地域は、かつては稲作中心の農村地帯であったが、近年はほとんどが野菜・小麦・じゃがいも・ビート・玉ねぎ・メロン等を作る畑作地帯である。地域内には、工業団地もできている。PTA会員のほとんどは北見市に近いため、会社・工場で働くサラリーマン家庭であり、農業を営む家庭は数戸である。教育には関心が高く、参観日には90%以上の参加があり、学校行事に対しては大変協力的である。また、PTA活動においても、地域の行事に協賛し、積極的に活動を行っている。(令和6年度 地域戸数100戸、PTA正会員13戸)

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