「ところ遺跡の森」便り【2021年10月~2022年3月】

 「ところ遺跡の森」便りは北見市常呂自治区内で『広報きたみ』に折込で配布されている社会教育情報内に毎号掲載しているものです。
 イベント案内をはじめ、考古・自然など「ところ遺跡の森」に関連する情報を毎月お届けしています。
 (毎月初め更新予定。ここに掲載したものは、写真・文章は当初掲載時のものから一部変更している場合があります。)

以前の記事は以下のリンクからご覧ください。

2022年3月号 考古学講座「歴史再発見・常呂遺跡と竪穴住居―オホーツク地域の竪穴群からみた北の古代文化:擦文時代―」のお知らせ

 ところ遺跡の森では古代人の竪穴住居の復元建物を順次リニューアルしてきました。これに合わせて年1回、各地から講師をお招きし、竪穴住居と遺跡、そこでの生活や文化をテーマにした考古学講座を実施しています。
 今回は、常呂遺跡と同様の大規模な竪穴住居集落遺跡が残る湧別町の事例を中心に、オホーツク地域の擦文時代(さつもんじだい:7~12世紀)をテーマとしてお話しいただきます。北海道指定史跡であるシブノツナイ竪穴住居跡の発掘調査など、最新の調査成果もご紹介いただく予定です。

  • 日 時:令和4年3月19日(土) 14:30~16:00(開場14:00)
  • 会 場:北網圏北見文化センター2階・講座室
  • 講 師:林 勇介さん(湧別町教育委員会 ふるさと館JRY・郷土館学芸員)

 入場無料、申込み不要です。
 詳細のお問い合わせは会場ではなく、ところ埋蔵文化財センター(電話0152-54-3167)までお願いします。

北海道指定史跡・シブノツナイ竪穴住居跡の航空写真
北海道指定史跡・シブノツナイ竪穴住居跡(湧別町)。多数の竪穴住居跡が現在でも地表に残されています。

シブノツナイ竪穴住居跡と竪穴群の遺跡

 講演会に関連して、シブノツナイ竪穴住居跡について少しご紹介しておきたいと思います。
 「シブノツナイ竪穴住居跡」は湧別町の海岸部、シブノツナイ湖から東に約800m離れた場所に広がる遺跡です。常呂遺跡と同様、現在でも窪みの状態で地面に残る竪穴住居跡が分布する遺跡です。常呂遺跡は大部分が森林に覆われているため、上空から見ても竪穴住居跡の広がりがあまりよく見えないのですが、シブノツナイ竪穴住居跡は木の少ない草地になっているため、遺跡の広がりを分かりやすく観察することができます。上の写真でも見られるように、竪穴住居跡が密集して分布しており、全部で530基あることが確認されています。
 このように竪穴住居跡が埋まりきらない状態で地表に残っている遺跡は、寒冷な地方を中心に多数分布しています。本州でも、日本海側では新潟県、太平洋側では千葉県までそうした遺跡のあったことが知られています(※千葉県のものは1980年代になくなってしまったようです)。しかし、数百基を超える竪穴住居跡が残る遺跡が見られるのは北海道東部に限られており、中でも500基以上の住居跡が残る遺跡は数えるほどしかありません。
 こうした保存状態の良好さと合わせて、シブノツナイ竪穴住居跡でも続縄文文化や擦文文化といった、北海道独自の歴史の歩みを示す文化の痕跡が残されています。こうした遺跡の性格をより明らかにするため、平成30年から継続的に発掘調査が実施されているところです。今後、新たな発見が期待されている遺跡の1つです。

2022年2月号 海での狩猟と銛頭

 サロマ湖が結氷する時期になると、遺跡の森がある栄浦近辺にもアザラシが現れることがあります。岸近くに来ることはあまりないのですが、日によっては、沖の氷上に群れている姿を遠くに見ることができます。と言っても、湖岸からは点にしか見えないくらい遠くにいることが多いですので、アザラシだと分かるように姿を見るには双眼鏡などを用意したほうがよさそうです。
 アザラシは脂肪が多く栄養豊富なため、大昔の人々にとっては冬の貴重な食料でした。肉だけでなく毛皮も利用できるため、大変利用価値の高い獲物だったはずです。
 アザラシなどを対象とした海での狩猟には銛(もり)が使われました。特にオホーツク文化の遺跡(8~9世紀頃)からは、動物の骨や角から作られた銛頭(もりがしら:銛の先端の突き刺す部分)が数多く見つかっています。銛頭は長い紐を結び付けた状態で柄の先にはめ込んで使われました。銛が獲物に命中すると、紐のついた銛頭だけが柄から外れて獲物に刺さった状態になります。獲物が沈んでしまっても、紐を手繰り寄せれば回収できる仕組みです。

オホーツク文化の銛頭の画像
オホーツク文化の銛頭(栄浦第二遺跡出土)

 銛頭は一度刺さると獲物から簡単に抜けないよう、様々な形のものが工夫して作られました。上の写真のうち右側の銛頭は、横から見ると先端が二股になっています。この部分に黒曜石などで作った鏃をはめ込んで使われました。紐を付けるため2つの穴が開いており、獲物から抜けないよう逆刺(かえし)が2段付けられています。写真の真ん中と左側の銛頭は「回転式」と呼ばれるものです。側面からみると反り返った形をしており、中程のくびれた部分が紐を結びつける部位です。刺さった後で紐を引くと、獲物の体内で向きが変わって引っ掛かり、抜けなくなる仕組みになっています。
 こうした工夫の数々からも、当時の人々にとって海での狩猟が重要であったことが分かります。

2022年1月号 「トコロチャシ跡遺跡群」史跡指定から20年

 2022年は、「トコロチャシ跡遺跡群」が国指定史跡となって20周年に当たります。もともと、栄浦・岐阜地区一帯に1974年指定の国史跡「常呂遺跡」があったわけですが、トコロチャシ跡遺跡群はこの「常呂遺跡」の範囲に追加するというかたちで指定されました。このため、所在地は複数の地点に分かれていますが、国指定史跡としての名称は全て「常呂遺跡」です。
 国土地理院発行の地図などで確認してみると、常呂町の海岸沿いに「∴常呂遺跡」と書かれた場所が複数見つかるはずです。これは間違いではなく、「常呂遺跡」と呼ばれる個所が複数あることを示したものです。(「∴」は史跡の地図記号です。因みに、同じ「∴」でも一回り小さく、史跡名称が付いていない場合は茶畑の記号になります。)

上記リンク先の地図では、常呂川を挟んで東西に「常呂遺跡」の記載があります。表示範囲を西に移動すると、もう1箇所「常呂遺跡」が出てきます。

 「トコロチャシ跡遺跡群」は史跡指定以降、見学のために整備することが検討されてきましたが、令和3年度から見学用の通路等の整備工事が始まりました。この地区はとりわけアイヌ文化のチャシ跡とオホーツク文化の竪穴住居跡の存在が重要なことから、整備もこの部分に重点が置かれています。工事は令和4年度も継続し、令和5年度の公開を目指しています。

トコロチャシ跡遺跡群と常呂の街並みの画像
【整備工事中のトコロチャシ跡遺跡群】 写真の下3分の1に見える緑の平地がトコロチャシ跡遺跡群です。中段に常呂川が見えており、その上に常呂の市街地が写っています。

2021年12月号 博物館と資料の貸し出し

 遺跡の出土資料の公開は遺跡の森の重要な役割の1つです。遺跡の森施設での陳列・展示がその中心的な方法ですが、他の博物館や研究施設への資料の提供や貸出を行うこともあります。これは、遺跡の森や常呂遺跡を実際に訪れてもらうことが難しい人たちにも広く資料を見てもらう良い機会ともなります。
 他の機関から資料の貸出依頼を受けた場合、遺跡の森では施設内の展示計画や資料の状態(持ち出しても壊れる怖れがないか、など)から貸出が可能かを回答します。資料の貸出は、借用する施設の職員も立ち会って状態を確認しながら行うのが一般的です。そして、破損等が発生しないよう厳重に梱包して運び出しを行います。
 遠隔地への貸出の場合には、万一の場合に備えて損害保険に入ってもらう場合もあります。考古資料は、この遺跡のこの場所から出土した、という情報と関連付けられている点に学術的な資料としての価値があります。この意味では、なくなったとしても代替品が入手できるわけではないので、どの資料も1点ものということができます。こうした学術資料としての価値は金額に置き換えるのは難しく、従ってはっきりした評価額が決定できるわけではありませんが、仮に金額を付けて保険に入るかたちとなります。この場合の保険は、資料が失われた場合の補償というよりも、事故により破損が発生した場合の補修に当てることができるという点に意味があるものと思われます。幸いなことに、遺跡の森では現在まで、貸出に際して保険の適用を受けるような事故が発生したことはありません。

 遺跡の森では今年度、横浜ユーラシア文化館、及び大阪府立近つ飛鳥博物館で開催される特別展「オホーツク文化―あなたの知らない古代」に展示資料を出品しています。利尻島から根室半島まで、各地のオホーツク文化の遺跡の出土品が一堂に会するまたとない展示です。通常は一般公開されていない資料も出品されています。遠隔地での開催ですが、機会があれば立ち寄ってみていただければと思います。会期は以下の通りとなっています。

オホーツク文化特別展のポスター画像

2021年11月号 『遺跡と環境変動』展開催中

 現在、「ところ埋蔵文化財センター」展示コーナー(入場無料)で企画展『遺跡と環境変動』を行っています。
 地球の環境はずっと不変であったわけではなく、長い年月の間に変動を繰り返してきました。常呂では、縄文時代早期の約8000年前から、ほぼ継続して人が暮らしてきましたが、その間には気候や周辺環境が現在とは大きく異なっていた時代もあります。遺跡は、そうした変動を今に伝える証拠となっている場合もあります。
 今回の展示では「トコロ貝塚」と「ワッカ遺跡」についてご紹介しています。トコロ貝塚は常呂川東岸、現在では海から少し離れた場所にありますが、貝塚が残された縄文時代・約4500年前の当時は海につながった入り江に面していました。現在の北海道の海にはいないハマグリの殻も含まれており、当時が現在よりも暖かい気候であったことが分かります。
 ワッカ遺跡はサロマ湖の砂州上、ワッカの泉近くに広がる遺跡です。この遺跡が最初に利用されたのは6500年前のことですが、当時はまだ「サロマ湖」は存在せず、周囲の地形は現在とかなり異なっていました。
 こうした遺跡の周辺環境の変化を出土品とともに紹介しています。3月21日まで展示予定ですので、機会がありましたらお立ち寄りください。

展示コーナーのようす
▲展示コーナーのようす

2021年10月号 大島2遺跡の発掘調査

 毎年夏に行われている東京大学考古学研究室による大島2遺跡の発掘調査が令和3年も行われました。発掘現場の見学会も企画していたのですが、緊急事態宣言の発令があったため中止になりました。今回はこの発掘調査についてご紹介したいと思います。
 大島2遺跡は、常呂森林公園の近くの山林の中に広がる遺跡です。現在でも地表に竪穴住居跡が残る遺跡であり、東京大学によって2009年から継続的に調査が行われています。これまでに4基の竪穴住居跡の発掘が完了し、現在5基目の発掘が行われています。
 これまで発掘された住居跡は、いずれも12世紀、擦文時代の終わり頃のものだったことが分かっています。現在発掘中の住居跡もほぼ同時期のものだったことが、発見された土器から分かりました。また、住居跡の床面で用途不明の長方形の穴の跡が見つかりました。擦文時代には住居跡が墓として利用された事例があり、この穴も同様のものだった可能性があります。今後、内部から回収された土の分析などを含め、詳しく検討される予定です。
 調査について、もう少し詳しい情報を「ところ遺跡の森」ホームページにてご紹介しています。関心のある方はそちらもご覧ください。

発掘中の調査現場の様子の画像
【発掘中の調査現場のようす】
お問い合わせ
北見市教育委員会社会教育部
ところ遺跡の森
郵便番号:093-0216
住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地
電話:0152-54-3393
FAX:0152-54-3538
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