ヌプンケシ16号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-23-7111(代)


市史編さんニュース NO.16
タイトルヌプンケシ
平成14年1月15日発行

◎プランゲ文庫について
 昭和24年3月、北見教員組合文藝部発行の『北見文撰』に関係して、再三このニュースにプランゲ文庫という名称が出ていますが、多くの読者の方には何のことだか、分からないのではないでしょうか。そこで、図録『占領下の子ども文化〈1945〜1949〉』の引用で、説明しておきたいと思います。
占領下の子ども文化表紙 このプランゲ「文庫には、1945年10月から1949年10月までの間、連合軍総司令部(GHQ/SCAP)による検閲を受けた膨大な出版物と文書類が所蔵されています。これは、当時GHQ参謀第II部(GII)の歴史部長を務めていたゴードン・W・プランゲ博士の手によって、アメリカに送られ、メリーランド大学図書館に収蔵されたものです。」
 プランゲ博士がアメリカに持ち帰った資料は、新聞約2万種、雑誌約1万3千種、単行本約6万種、パンフレット約2万種、そのほか地図、写真など、大量なものでした。
 「〈プランゲ文庫〉は、検閲処分の実態を示す資料群であると同時に、長い抑圧の時代をくぐり抜けてきたあらゆる人々の解放と新生の息吹を伝える資料でもあり、多様な形態と内容にわたっています。所蔵資料の中には、少年少女雑誌、子ども新聞、さらには、約8000タイトルに及ぶ児童書など、さまざまな子ども向けの出版物も含まれています。その中には、もはや国内では閲覧することのできないものが数多くあります。」
 州立メリーランド大学の本校はワシントンD・Cの隣、カレッジ・パーク市にあり、プランゲ文庫のある本館マッケンデル図書館のほか、生物化学図書館、建築図書館、音楽関係図書館など7つの図書館があるとのことです。
 これまで資料提供を頂いた北星学園女子短大の谷暎子教授は、何度かメリーランド大学に研修に行かれ、プランゲ文庫の整理に協力されました。谷教授は戦後・北海道児童文化史がご専門ですが、プランゲ文庫とのつながりを次のように書かれています。
 「戦後まもなく札幌は出版ブームで沸きたっていたようです。戦火の東京から、札幌に疎開し出版活動を行っていた講談社、筑摩書房などの出版社。そうした出版活動に刺激を受けた地元の人達によって、小さな出版社が次々と誕生。敗戦直後の1945年7月には十指に満たなかった出版社が、2年後には 108社を数えたというのですから大変な勢いです。紙の生産地であった北海道、戦災が少なく印刷工場も操業可能だったこと、言論・出版の自由の回復、15年もの戦争体制から解き放された人々の、旺盛な読書需要があったことが要因だと思います。
 この期に出版された児童出版物は、新聞、雑誌、絵本、紙芝居、童話、科学、副読本、かるたなど実にさまざまです。特殊な状況下とはいえ、北海道でこんなに多様な出版物が出されたのは、この期を除いて他にはないのです。しかも、戦後・新しい時代の出発点なのですから、何とか出版物の全容を解明し、この期の児童文化の状況を記録にとどめたいーそう考えて児童文芸誌『北の子ども』の解題から始めたのでした。1990年のことです。信じられないことでしたが、地元札幌の図書館には当時の児童出版物が1冊も所蔵されていなかったのです。資料探しがいかに大変なことかを思い知らされ、それからは、道立図書館、国立国会図書館、日比谷図書館、大阪国際児童文学館はもちろんのこと、出版関係者や執筆者のご家族を訪ねての資料探しをしていますが、雑誌や新聞はなかなか見つけられません。そして辿りついたのが戦後史資料の宝庫であるプランゲ文庫でした。」(『メリーランドだより』より)             画像本とスタンド
 戦後、占領軍が権力で検閲を実施していたことはあまり記憶されていません。それは戦前・戦中の日本の検閲が、当時の権力にとって不穏当な言葉を「○○は×△せよ」という風に伏せ字で処理したのに対して、占領軍は不穏当な部分の削除や書き換えを命じていたためでした。勿論、原爆に関する事など、占領政策を批判するものは発禁でした。
 占領軍が権力で収集したものが、日本になくて、アメリカにあり、今や「戦後史資料の宝庫」になっています。第10号の「文書館ってなあ〜に」でも触れましたが、日本と欧米の「資料の価値」に対する感覚の違いが、こうした結果になったと考えます。
 谷教授は児童文化の研究の為に来北され、戦前からの教育者で歌人であった大塚盈(みつる)仲よしウィークリーかっこ児童新聞氏のご遺族を訪ね、調査をされております。その際 に、市内にあったグリム社が昭和24年11月に発行した『仲 よしウイークリー』第10号と『なかよし・こよし』第6号を発見されています。この児童新聞は北見だけでなく、釧路・網走・女満別まで読者を持っていたようです。編集印刷兼発行人は得永虎男氏で、住所は「北見市3条西4丁目」はともかく、「西4条3丁目」になっています。一度、調べたことはあるのですが、全く不明でした。ご存じの方がいたら、ご一報ください。プランゲ文庫になかったのは、収集期間が1949年10月で終了しているからでしょう。
 北見においても、戦後は北海道ホトトギス系俳壇をリードした月刊俳誌『阿寒』はじめ、この児童新聞まで、出版が盛んであったことを、知ることができると思います。

 《中庭だより》 
☆市史編さん委員である菅原政雄氏が翻案した『若草物語』(明治編)が、公共ホール演劇製作ネットワーク事業として、1月16日、札幌でのプレビュー公演を皮切りに、2月19日、沖縄での千秋楽まで、全国各地を巡演します。また、1月19日午後2時から、札幌にある北海道文学館講堂が開催される文芸セミナーで、同氏が『北辺に生きる〜私の描こうとした作中人物たち〜』と題して講演します。これらは、同氏のこれまでのお仕事が評価されてのことと存じます。筆者は北見の名誉として喜びたいと思っています。

NO.17画像水色の帽子と手ぶくろしているゆきだるま

 

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