ヌプンケシ20号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-23-7111(代)


市史編さんニュース NO.20
タイトルヌプンケシ
平成14年3月15日発行

◎日本での「戦争」は,いつ頃始まったか?
 昨年9月11日、ニューヨークでおきた神風テロには筆者も驚愕しました。テレビに映し出された光景は、映画を見ているようで、すぐには現実とは信じがたいものでした。その後、首謀者と目されるオサマ=ビィンラディンをお尋ね者とした、アフガニスタンでのアメリカの報復戦争も、いつ終わるか分からない状態です。イスラエルとパレスチナの紛争も自爆テロと報復攻撃の繰返しです。人類はいつまで愚かしい「戦争」を続けていくのでしょうか。そして「戦争」はいつはじまったのでしょうか。そこで今回は少々気が重いのですが、日本における「戦争」の起源について、レポートしてみました。 画像やり  
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☆野蛮だから「戦争」をするのか? 
 
昔のアメリカ映画を思い出すと、『ターザン』に出てくる「土人」は、野蛮で理由もなく白人を襲う、凶暴な人喰人種と表現されていましたが、事実は逆で、白人がアフリカ人を「奴隷狩り」の目的で襲い、「家畜」なみに中南米に輸出したのです。同様に、われわれの中にも、縄文人は野蛮で好戦的、弥生人は平和で牧歌的、というイメージがありました。 しかし、この間、考古学の新発見が続き、そうしたイメージは覆されています。考古学者である佐原真氏は、『遺跡が語る日本人のくらし』(岩波ジュニア新書)の中で「人の集団と集団がぶつかって殺しあうこと」を「戦争」と定義しています。その定義で見ると、自然の恵みで生活していた食料採取段階の縄文時代には、「戦争」はなかったようです。その証拠には、縄文遺跡に濠のような防御設備がない事、これまで発見された4000〜5000体の縄文の人骨で、殺された痕跡のあるものは10体くらいしかない事があげられています。 
☆弥生時代、「戦争」は稲作と共にやってきた! 画像やり
 それに対して、本土日本(九州・四国・本州)では、2400〜2300年前の弥生時代になって「戦争」が起きていた、明らかな証拠が多数でてきます。たとえば矢尻ですが、縄文時代は形が3角で重さが2グラムより軽かったのが、弥生中期になると木の葉形で3グラム以上の大型になります。矢が「狩りの道具」から、「人を殺す道具」に変化したのです。
 つまり、弥生時代に戦争があった考古学的証拠として、第1に物見台、濠のような防御設備をもった集落遺跡が発掘された。第2に剣や矢など、人を殺傷する道具、武器が出現した。第3に、その武器で殺傷された人の遺骸が発見された。第4に、武器が副葬された墓が発掘された。第5に銅矛など武器・武力崇拝がおきた、などがあげられています。
 考古学者の松木武彦氏は、自著『人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争』の中で、佐原真氏の説を補強して、米や麦といった「単一の資源に大きく依存し、環境の変化に対する耐性の少ない生産システムの成立が、農耕社会で始まる戦争の根本的な経済的条件を作った可能性が高い。すなわち(中略)、人口増加や凶作によって、長期的に、また一時的に不足した資源を力ずくで押さえることが、農耕社会における、最も根本的な戦争の動機といえるだろう。/さらにもうひとつ、生活形態の変化からくる戦争の誘因も考えられる。農耕社会は、定住生活を営み、大きな労働力をつぎ込んで、まわりの原野を開拓して耕地にする。耕地は血と汗の結晶であり、命をつないでくれる食糧のみなもとだから、それを守る意識は、狩りや採集の社会のテリトリーを守る気持ちよりも何倍も真剣で強烈なものになるはずだ。つまり、耕地のような明確な不動産が現れたことが、人びとの排他的な防衛意識を強め、争いを激しくさせた大きな原因となったにちがいない。」としています。
 ちなみに、これまで知られている「日本で最初の戦争犠牲者」は、福岡県志摩町の新町遺跡で見つかった、弥生時代初期、木棺に葬られた熟年男性で、13センチメートルの朝鮮系磨製石剣が、左後ろの尻の下あたりから、大腿骨に突き刺さり、骨の中でおれていました。 
 「紀元前5〜前4世紀頃、本格的な稲作と共に、対馬海峡をわたって九州北岸に伝わってきたのは、右(磨製石剣・磨製石鏃)のような武器だけではない。集落のまわりに堀をめぐらすという慣習もまた、同時に朝鮮半島から伝わった可能性が高い。いわゆる環濠集落だ。(後略)/朝鮮半島では、日本列島よりも古く、紀元前1000年頃に稲作農耕社会に突入する。そして、紀元前6世紀頃には、青銅や石で作った短剣や矢じりなど、人を倒すための武器が現れている。それらをそなえた墓もある。これは農耕社会に入って人口がふえ、そのことが戦いを激しくさせた結果でもあるだろうが、要因はそれだけでない。群雄あい争う春秋時代の中国の動乱が東北部へとひろがるなかで、移民や難民と共に、戦争の知識や武器がそこに接した朝鮮半島の北部にまず流れ込み、やがて南部へと伝わっていった。中国を震源とするこのような動きが、朝鮮半島の武器や戦いの始まりに影響を与え、その社会を大きく揺さぶったのだ。のちに列島に伝わった朝鮮系の磨製石剣・磨製石鏃や環濠集落も、こうした激動のなかで作りだされたものだ。」NHK特集『日本人はるかな旅』でも、中国の大乱が日本への渡来人増加に影響していたと推定していました。「戦争」を知らなかった縄文人達には、集団で殺しにくる渡来人達は悪鬼に見えたことでしょう。 
☆戦争は、人間の本能か? 
 佐原真氏は、「世界最古の戦争は9500年前、西アジアではじまりました。本土日本では、およそ2400〜2300年前にはじまっています。北海道と沖縄では、600〜500年前にはじまりました。/人間の歴史を 400万年とします。(中略)すると、人間の歴史のなかで戦争の歴史はごく最近のことだということがわかります。」と言われています。その反対に、戦争が、人間の「本能」から発するとの説もあります。あなたは、どう考えますか。

 《中庭だより》 画像太陽と鉢植え
☆2月26日、滝谷委員より提供のあった1995年発行の冊子、藤枝ひで子著『アイヌの人々の復権を求めて』を編集者宮夫靖夫氏の許可を得て複製しました。3月11日、同氏から複製送付に丁重なお礼状を頂き、恐縮いたしました。今後ともよろしくお願いします。
☆3月17日は、1990年に60歳で逝去された、北見ゆかりの児童文学者・安藤美紀夫先生の命日「ふくろう忌」です。安藤先生は、1964〜1972年、北見北斗高校で教鞭を取られておりました。代表作には、北海道の自然を舞台にした『白いりす』『ポイヤウンベ物語』、戦前京都の路地裏の子ども達を描いた『でんでんむしの競馬』などがあります。

 

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