ヌプンケシ24号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-23-7111(代)


市史編さんニュース NO.24
タイトルヌプンケシ
平成14年5月15日発行

◎戦後、町内会がなくなった!
 現在、当たり前のように思っている制度が、昔はなかったなんてことがあります。たとえば町内会ですが、戦後、占領軍に禁止されて、なかった時期があったのです。
 それと、先日『青インク』60号を見ていたら、市役所OBである高橋幸三氏が『自治の心よ育て』と題した論文の中で「駐在員制度」について書かれておられ、市民の方からの問い合わせも多いので、この機会にあわせて掲載しておきたいと思います。 
☆「隣組(となりぐみ)」って? 
 昭和13年(1938)、国家総動員法が公布され、総力戦に必要な人的、物的資源を国家が全面的に統制運用することとなりました。昭和15年(1940)には、内務省訓令第17号「部落会町内会整備要領」が発せられ、その目的の中で「一 隣保団結ノ精神ニ基ヅキ市町村内住民ヲ組織結合シ万民翼賛ノ本旨ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行セシムルコト/二 国民ノ道徳的錬成ト精神的団結ヲ図ルノ基礎組織タラシムルコト/三 国策ヲ汎ク国民ニ透徹セシメ国政万般ノ円滑ナル運用ニ資セシムルコト/四 国民経済生活ノ地域的統制単位トシテ統制経済ノ運用ト国民生活ノ安定上必要ナル機能ヲ発揮セシムルコト」とされ、町内会は町内住民を基礎とする地域組織である共に市町村の補助的下部組織、つまり戦時体制の下部組織に位置づけられたのです。しかも、その町内会の中に隣保制度、互助的であると共に相互監視の組織でもあった、いわゆる「隣組」も十戸内外の戸数単位で整備され、国民生活を戦時体制に統一し、物資配給には欠かせない組織になったのです。
 ちなみに、三國一朗著『戦中用語集』によると、当時、約1万9千の「町内会」「部落会」と、120万の「隣組」が整備されていたそうです。写真
 北見市住民組織研究委員会が昭和50年(1975)3月に発行した『北見市の住民組織を考える』によれば、戦争中、北見でも「隣組」は「物資の配給を中心に市役所の手足の役目をなし、あるいは警防団指導の下部組織として、訓練につぐ訓練を怠らず、勝ちぬくための銃後組織として活躍を続けた」とあります。
 連合軍の日本占領の目的の一つは、「軍事体制の徹底的な解体」でしたから、当然、町内会もその対象になり、昭和22年(1947)、連合軍の意を体するポツダム政令第15号をもって、「隣組」を中核とする町内会・部落会は解散させられました。昭和26年対日講和条約が締結され、占領が終わってから、新たな町内会づくりがはじまったとのことです。
◎駐在員制度
 先に書いたように、町内会が市町村の下部組織として、物資配給等の実施機関になっていったため、混乱をさける対策として駐在員制度ができたようです。北見の場合は昭和22年(1947)12月1日施行された「北見市駐在所規則」によって制度化されました。
 前掲の冊子『北見市の住民組織を考える』によれば、駐在員は非常勤の地方公務員として報酬が支給され、その主な職務は「大別すると/(1)住民実態把握事務(転入出の証明)/(2)物資の斡旋、取りまとめに関すること。/(3)税の申告、納付書の配布に関すること。/(4)選挙の入場券の交付に関すること。/(5)広報紙の配付に関すること。/(6)その他」であったそうです。
 この駐在員制度が廃止された理由は「市が委嘱する職務のうち、(2)物資の斡旋、取りまとめ業務は戦後間もない頃は行政の上で大きなウエートを占めていたが、自由経済がフル回転するようになり、ほとんどその要がなくなってきた。(3)〜(4)のことは市の責任で行わなければならない本来の業務であり、これを民間に委嘱することに問題があり、市が直接関係市民に働きかけることとなった。/また、住民の実態把握に関する職務として地域内住民の転出入に当っては、必ず駐在員の証明書を持参して市の住民登録の係に提出し手続きをとることとなっていたが、市民にとって誠に煩瑣で二重三重の手続きを踏まなければならない実態で他市町村からの転入者泣かせともなり苦情がたえなかった。(中略)/昭和42年に住民登録法が廃止され、新たな住民基本台帳法となり、市の住民台帳を大幅に書き替えることとなった。 このことにより従来の駐在区単位の住民票を字名別アイウエオ順に整理することなどの諸条件から、窓口の簡素化、事務能率のアップ(機械化)をはかることで、駐在員の転出入の証明手続きは廃止することとなった。/以上のことから、駐在員の職務のうち、広報配付のみが残り、他はほとんどなくなってしまった。」ことで、しかも廃止を検討していた当時、駐在員にはほとんど町内会長や部落会長が当たり、永年その職にあった者の中には「市の委嘱を受けているということで地域住民側からは専制的独裁型と見られる者も少なくなく、いわゆるボス化の傾向が多くみられた。これらは地域住民の民主的自治意識を阻害する以外のなにものでもなかった。」画像窓口
 これらの理由により、昭和44年(1969)3月末に駐在員制度は廃止され、それと同時に行政から独立した自主的な自治会町内会が結成され、地域に応じた活動が展開されるようになったそうです。
 私たちが日常何げなくかかわっている町内会の変遷一つ取ってみても、戦前・戦中・戦後の歴史の流れがあったことがわかります。


◎第2回仮称『きたみ現代史』編集委員会開催
 5月9日、13時30分から市史編さん事務室で、委員4名全員が出席して本年度第2回の編集委員会を開催しました。内容は、新旭川市史・新端野町史・新丸瀬布町史、それぞれの目次を参考にして、清水委員長が考えている仮称『きたみ現代史』の目次案を中心に、検討しました。今後も継続して内容検討を進める予定です。

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