ヌプンケシ28号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-23-7111(代)


市史編さんニュース NO.28
タイトルヌプンケシ
平成14年7月15日発行

◎薄荷工場の配置図はどこに?
 昭和9年(1934)に操業を開始し、北見ハッカの名声を世界に轟かせ、昭和58年(1983)に閉業したホクレン北見薄荷工場の配置図を見たい、とのお問い合わせが市史編さん事務室にありました。今ある市史編さんの手持ち資料には全然ないので、関係機関にお願いすれば簡単に入手できると思ったのですが、これが案に相違してなかなか厄介でした。 
◇どこにもないことがわかった。 
 まず、最初に北見ハッカ記念館を所管する北網圏北見文化センターの担当者に聞いてみました。すると、建物の寄付を受けた際の文書にもそうした資料は一切なかったそうで、ハッカ記念館に展示してある、模型で工場の配置を再現したジオラマも、写真を元に苦労して作成したそうです。その際、ホクレンに配置図の有無を問い合わせたしましたが、所在不明との回答だったそうです。センター担当者の考えでは、どうしても必要となれば、ジオラマ作成時の推定資料から配置図をつくるしかない、とのことでした。
 管理しているところにも正確な図面はないと言うのですから、本当にまいりました。
記念冊子の図 次に、現在は市史編集委員で、前にハッカ記念館の管理をされ、薄荷関係に詳しい前川満夫氏に電話でうかがったところ、前川氏も「配置図はみたことないが、昭和29年(1954)、昭和天皇が北見に巡幸された時に、薄荷工場を見学された案内順路を図示した見取り図なら、ハッカ記念館にある記念冊子に載っている筈」とのことで、早速、ハッカ記念館からその冊子を貸してもらい、コピーしたのが左のものです。しかし、これでもおおまかな配置がわかっても、正確な敷地の様子はわかりません。
 それでも、現在、記念館があるあたりに、昭和天皇にハッカについて色々と説明をするための奏上室があったのがわかりました。 
◇区画整理の現況図で対応 
 ホクレンも、どこも頼りにできないなら何か別の方法で敷地を知ることができないか。
 そこでおじさんは考えました。「昭和58年(1983)に閉業したのであれば、その当時の都市計画図などに何らかの痕跡がある筈だ」と。早速、都市計画課・都市整備課へ出向き、担当者に事情を話したところ、鉄南地区区画整理での現況図にあるとのことで、こころよく探し出し、工場部分をコピーしてくれたのが次頁の図面です。
配置図 これで何とか、昭和58年(1983)閉業前の薄荷工場の敷地と配置の様子がわかりました。奏上室は事務所に転換されていました。
 そして、閉業後、その奏上室を取り壊して、門の横にあった事務所が記念館として正面に移設されたのです。
 こんな配置図の、たった20年にもならない少し昔のことでさえ、手掛かりがなく、入手が困難なのです。
 そうした点で、こうした区画整理など、保存された公文書類がもつ「情報」の潜在的な力の大きさを再確認したしだいです。(なお、この現況図コピーは、今後も同様の問い合わせがあることを想定し、情報共有化として、ハッカ記念館にも送付しておきました。)
 画像北見ハッカ記念館また、今回の調査で、思いのほか薄荷工場全体を写した写真がないことにも気がつきました。その数少ない写真も戦前の絵葉書など相当古いもので、閉業当時の状態を写した全景写真は新聞記事の写真以外、見当たりませんでした。
 ついつい「誰でも知っている」ということで、記録しないで忘れさられてしまう、薄荷工場もそんなことだったのでしょうか。どんな有名な施設であっても、確実に映像で残す必要性も、痛感しました。


◎「1銭5厘」は俗説!?
 前号で日本兵士の命の価値を「1銭5厘」としていたことを書いておきましたが、それを葉書の値段とするのは俗説だと、歴史学者の大江志乃夫氏が書いています。
 「『一銭五厘の生命』という言葉を、第二次大戦中の日本兵士はよく口にした。その意味は、一銭五厘のはがき一枚でいくらでも召集することのできる消耗品である、と解されてきた。これは俗説である。召集令状が、印刷された赤紙の書類に必要事項を記入し、封筒に入れて送達された。はがきの値段は大量召集開始直前の一九三七年(昭和12)四月に二銭になっていた。」そのかわり「日露戦争当時、『戦場馴れた兵士は、戦争中期頃には笑談であるが《我等に生命は二銭五厘だ》と云って居た。夫れは弾丸一個の価を云うたのである』という話がある」ことを紹介しています。(岩波新書『徴兵制』より)
 確かに召集令状が封書で送付されたとなれば、昭和12年時点で切手は4銭です。ちなみに、はがきは明治32年(1899)4月からずっと1銭5厘でした。(朝日文庫『値段の 明治大正 昭和 風俗史』上巻より)/いずれにしても、日本兵士の生命は、わずか1銭5厘〜2銭5厘の価値しかない、と思われていたことにかわりありません。

 《中庭だより》 画像すいかと笑顔の子どもたち
☆7月3日、編集委員会を開催し、目次大綱を検討しましたが、執筆予定候補を具体的に考える段階になってきました。しかし、絶対的に「書き手」の少ないことが悩みです。
たとえば、労働運動でも適当な人は?となると名前がでてきません。資料も、総評から連合へ労働運動が再編成される過程で散逸してしまったものも少なくないようです。目次をだんだん細目まで詰めていくに連れて、悩みの種も多くなってきました。フゥー
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