ヌプンケシ127号

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市史編さんニュース NO.127
 タイトルヌプンケシ
平成18年9月1日発行

◎常呂川の流れから(9)

◇ヘテウコヒ
 (松浦武四郎たちが)ムニニンリウカから野原を7、8丁も行くと、樹木原にヘテウコヒがあった。(川が)ここで二股になっている。この「ヘテウコヒ」というのは「二股」のことを言う。川幅30間ばかり、大きな石が転がり、その上に倒木が多く、より重なっていた。
 鈴木三郎先生は『北見市史』上巻で、これを次のように解説しています。
 ヘテウコヒの「意味は二股という意味であるから、明らかに河川の大分岐を指すものである。それは、常呂川の最大の支流、無加川の分岐を意味し、ヘテウコヒはその分岐点で、今の中の島公園附近に当る。松浦の記録では、ムニニンリウカからこの地点迄七、八丁(約八乃至九〇〇m)とあるが、直線で測定しても一・五kmある。これでは松浦の記録の二倍に当る。勿論、河道の変化があるので、若干の長短はあるとしてもやはり現地の実体とは合致しない。おそらくヘテウコヒと言うのは分岐点を中心として、相当の広さを持った区域全体を指すもので、固定した、一地点を指すものではないと考えられる。/従って、現在の中の島公園附近を中心として、その周辺一帯を、アイヌ達はヘテウコヒと呼んだのであろう。」
     地図
◇ヘテウコヒのアイヌ家族
 武四郎たちは、この川端の北に人家が4軒あったので、立ち寄ってみました。
 (一軒目の)家主ヤエハク(46才)、妻ヨサレ、娘コレトシ、倅エトコアン、妹モンシユノイと従弟エムイと6人家族で暮らしていた。しかし、この家もコレトシ、モンシノツの両人は6、7年前よりソウヤへとられ、終にはそこで病死したそうである。(残った)エトカン、エムイ両人も去年よりリイシリへ遣られて一切便りもない。(今では)家には老人夫婦のみ残った。
 その隣、家主タブチホ、妻はマタキマツ、倅シクコイ、次男レウチク、三女コテカリといまだ5、6才の子ども、7,8才の子どもの、7人家族であったが、家主も倅も次男、三女もソウヤへとられ、家には妻とコベチという子どもだけ残り、泣き暮らしていた。武四郎たちがこの家に立ち寄ると、鹿の袋、角を出して、「これを差し上げるので、何とぞ米を少しください。」と願ってきたので、その袋と角はいらないからと、米を5合与えて家を出た。
 そのまた隣は、家主はクリハツタラ爺さんで、帳面には67才とあったけれど、およそ85才くらいに見えた。ここも、家には倅クサルウシ、次男カニバ、嫁チエテシユル、三男タサヲトカニ、嫁カシワツカの6人家族であったが、子ども達は皆ソウヤへ6、7年前に次々にとられた。今は家も腐ってしまったので、どうしようもなく形ばかりの小屋を作り、そこに住んでいた。
 またその隣、(4軒目)家主は女性のトエサンマツ、60余才で盲目であった。家には倅ニシル、娘ソルカマル、三女チヤルテク12、3才、四女8、9才、あわせて5人家族であったが、その達者なニシルとソルカマツの両人は去年よりリイシリへ遣られ、家には盲目の母と女の子二人の、3人暮らしであった。ここも家が腐り破れて、どうしようもないので、あちこちを蕗の葉などで覆い、雨露をしのいでいた。
 それで,この四軒の者たちへ、煙草一把づつ、米5合づつと針等を与えた。
◇ムツカ川へ
 (武四郎が)ここからトコロ川本流の川筋を上っていこうというと、「それでしたらこのムツカの川ぞいに二里ばかりも上り、そこから山越えして本流へ行った方がよろしい」とアイヌの助言があったので、そのままムツカ川の方に向った。
 ムツカ川は、(トコロ川の)右方にして本流より少し小さく、川幅は10間ばかりより、15、6間もあった。(川底は)大きな転石ばかりである。鮭はこの川口まで上ってくるが、それより奥へは上らない。この地名(ムツカ)の意味を解くのは難しい。
 この「ムツカ」の語源について、鈴木三郎先生は次のように開設しています。
 「ムツカ(ムカ)は塞がるという意で、永田方正の蝦夷地名解には、ムは塞る、カはイカで越すという意で、この川は温泉があるので川が氷で塞がることが遅い。やっと川が氷結した時この川を越すことができることから名付けたとある。」(これが一般的な解釈ですが、武四郎が「其地名の儀解し難し」と言っているように、確定した答ではありません。)
 ムツカ川口から、10丁も流れにある大きい石の上を飛び越し、跳ね越えて行くと右の方に中川「ヲロカン」があり、桃花魚(うぐい—引用者)がこの川に上るそうだが、ここより上には(ムツカ川を)上がらないという。この地名の意味は「別の山より落ち来る」からきている。その水源はサルマの方から来る。(これは現在のホリカン川のようです。—引用者)
 並んで右の方に小川「ユワヲロ」がある。ここに小さな山があって、大昔、大津波があってここら一面海の泥で満たされた時にこの山だけ、何故かその頂上まで泥に浸らなかったので、色んなところの神々がその頂上へお集まりになったそうだ。それで、そういう地名となった。今でもこの辺のトコロのアイヌ達は、神酒をあげる時は、必ずこの山神へ捧げるという。(ユワ・オロ=山・場で、この山はモイワ山と思われます。—引用者)
 また少しいくと「ヒラヲロ」で、大いなる平の崩れがあることから、この地名になったとか、ヲロとは有るの意味である。(ピラ・オロ=崖ピラの所、相内附近—引用者)
 同じく右の方に「タン子(ネ)マクンベツ」という枝川がある。その意味は「長き枝川」ということだ。ここで昼食にして、我(武四郎)等はトコロの本川の方へ越えることにした。(続く)

《中庭だより》
☆NHKテレビで8月24日夜6時、25日夜10時、「梅田事件」無罪判決20年特集が放映され、梅田義光氏と渡部保夫氏(再審を支持した当時の札幌高裁裁判長)との往復書簡が紹介されましたが、ご覧になりましたか。現時点で冤罪の怖さ、「裁判」の難しさを問いかける番組でした。
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