ヌプンケシ128号

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市史編さんニュース NO.128
 タイトルヌプンケシ
平成18年9月15日発行

◎常呂川の流れから(10)

◇アイヌから聞いた留辺蘂地区の地名
 前回ふれた「タンネマクンベツ」は現在の西十号線附近になります。これ以上無加川を松浦武四郎たちは遡上しなかったのですが、その代わり、アイヌから留辺蘂地区の地名と聞き取っていました。しかし、聞き取りなので、どうしても順番が前後しているところがあります。
 「ホンユヲロ」、(川に対して)右にある小山で、これも前に言ったように神を集めた山なので、この名があると言う。(武四郎研究の第一人者、秋葉実先生はこれを北見温泉「ポンユと向かいの紅葉山と思われる」「ポン・ユ・オロ=小・温泉・所」と解説しています。)
地図 少し溯ると右の方に「ホンムツカ」という、中くらいの川があって、源はサルマの方から来る。ここまでチライ(魚の「いとう」—引用者)が上ってくるそうだ。この辺から川の両岸が高山になってくる。(この川は留辺蘂の奔武華川のことです。)
 また少し上ると左の方に「ヒハウシ」という小川がある。この川筋には蚌(ぼう)(烏貝のこと—引用者)が多くあることから名がついた。ビバとは蚌のことで、ウシとは多いということである。(これは、ずっと上流にある枇杷牛川のことです。)
 また少し過ぎて「ヲン子ユウ」がある。(これについて武四郎は何の解説もしていません。温根湯のことです。三省堂『北海道地名小辞典』によれば「年老いた温泉」のことだそうです。)
 少し上ると、左に「テキヲロマフ」という小川がある。この川には小川が左右に多いので名付けられたという。テキとは手のことで(指のように)小川が多くあるという意味である。ここでは総じて小川をテツキといってきている。(筆者には、ここがどこかわかりません。)
 また並んで左の方に「シケレベンベ」という小川がある。この川筋には 黄蘗(きはだの木)が多いが故にこの名がある。シケレベは黄蘗の実のことである。
 また十丁ばかり上ると「ホロソウ」=大滝があるということだ。鱒、あめのうお(あめのうお=ビワマスの別名?)はここまで上ってくるが、これより上には上ることができない。(滝は)その幅およそ3間(5.46m)、高さ2丈(6.06m)この辺の左右は皆険しい高山という。これよりは堅雪になった時期しか上に行けない。
 右の方に「ノボリハヲマフ」という小川がある。この川は高い岳の頂上より落ちてくるので、名付けられたとかいう。「ノホリ」とは岳のこと、「ハヲマフ」とはそばにあるということだ。
(秋間実先生によれば、この高い岳とは北見富士で、この川はその上手にある川だそうです。)
 地図 
 また少しいって、山岳が幾重にも重なる間を曲がりくねっていくと、右の方に小川「エトンムツカ」がある。この川口に細く高い滝があるそうで、それによって名付けられたそうだ。(これは伊頓武華、イトムカのあたりです。)
 またしばし上って「ユコリヤタナシ」に着く。ここは険しい岩だらけの川だという。(この地名は秋葉先生の説明では、ユク=鹿が、リヤ=越年する、タナシ=高山の意味で、北見富士をさすそうです。北見富士の場所は、地図をみて分かるとおり、聞き取りの位置とは全く違います。)
 これからまた滝一つを越えて「シイムツカ」に着く。これが水源で、川幅も6、7尺で滝になっているそうだ。この辺は高山で上は皆、樺、椴、松の三種類があるほかはない。これから先のことは、別の日誌に記すのでこれを略す。以上は(アイヌの)クリハツタラ、ウシヤコツカラ両人が申し述べたことである。(秋葉先生によれば、「シイムツカ」とは「真のムツカ川」=「ムカ川本流」の意味だそうです。無加川の水源は、最初に書いたとおり三国山です。)
 それにしても、148年前に松浦武四郎が苦労してアイヌから聞き取りした地名が、こうして現在の地図の中に見出すことができるのは、不思議というか、感慨深いものがあります。
◇「クンネフ」など
 武四郎達は、タンネマクンベツから無加川を渡って、訓子府川沿いに東行して「クン子フ」に着きました。武四郎はその行程のまま記録したのでは、後で混乱するだろうからと、二股(ヘテウコヒ)からの順序を次のように日誌に記しています。
 さて、二股より左の方を上ると川幅17、8間、転太石で両岸は樹木が多い。しばらく過ぎると右方に「クン子フ」という小川がある。この川水が「くらい」故に地名となった。クン子は「くらき」ということである。川幅3間もあり、それなりの川である。(この「黒い川」が訓子府町の町名の起源ですが、場所は訓子府町内ではなく現在の北光、訓子府川の川口でした。)
 また20丁ばかり上ると左の方に「シヤリキシナイ」という中くらいの川がある。ここまでは鮭が上るが、これから上には遡上しないそうだ。この名の意味は、この川筋に蘆荻が多いので名付けられたという。シヤリキとは蘆荻のことである。(蘆荻とはアシとオギのことです。場所は現在の開成入口で、サラキシナイ川があり、その昔一帯は更吉朱内と呼ばれていました。)
 また少しいくと左方に「クツタルベシベ」という小川がある。この源より鹿が多くやって来るので、それが地名になった。本当はユツクルベシベというそうだ。「ユツク」は鹿のこと、「ルベシベ」とは路を越えるという意味である。(鈴木三郎先生は、場所を訓子府町日出のオロムシ川口付近としています。)ここで武四郎達は16日夜一泊して翌日帰路につきました。(続く)

《中庭だより》
☆8月末宝塚市在住のプロ野球史研究家からメールで『阪神タイガース球団史』にある1939年7月5日、野付牛中学校庭であったタイガース6−5ライオン戦の照会がありましたが、当市に情報なく回答できず、失礼しました。実際知らないことばかりです。(ため息)
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