ヌプンケシ134号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.134
 タイトルヌプンケシ
平成18年12月15日発行

◎常呂川の流れから(16)

◇パルプ工場
 筆者が子どもの頃、中ノ島から1キロほど下流から常呂川がコーヒー色に染まっていました。時には、たとえようのない悪臭が風にのって市内を漂い、市民は顔を皆しかめたものでした。元凶は、中ノ島にあったパルプ工場でした。パルプ工場の地図
 このパルプ工場は、戦前軍需工場として出発したアルコール工場を転換したもので『北見市史』年表編によると、「昭和27年(1952)2月21日、北見林業興産株式会社(パルプ工場)創立総会開かれる。総工費2億円、9月にパルプ工場竣工、10月操業開始。代表取締役織作伊之助、広田実、昭和29年2月12日、北見パルプ株式会社と改称」とあり、「昭和54年(1979)4月1日、北見パルプ(株)と天塩川製紙(株)が合併、北陽製紙(株)を設立する。」とあります。工場を解体したのは、昭和60年代に入ってからでしょうか。
◇常呂川の汚染
 『北見河川事務所30年史』の巻末に歴代所長の思い出話がありますが、昭和28年から40年度まで常呂川常呂改修事業所長をされた高橋進氏が、その汚染を次のように書いています。「無加川合流点の上流に北見パルプ工場がありました。この工場のパルプ処理の廃液が濾過されず、原液のまま常呂川に流されていたため、川水は黒く濁り、白い糸状の物が浮遊、酸っぱい悪臭と、今日ではとても考えられない最悪の状態でした。秋のある日、下流の住民が打ち合わせに来たときのことです。手土産にと大変立派なサケをいただき、早速サケ鍋にしようと料理しましたが、パルプの悪臭で食べることが出来ず、鍋ごと捨てたこともありました。」
 「公害」という認識のない、企業に責任を問うこともない時代でしたから、工場の廃液は垂れ流しで、汚染による常呂川河口の漁業被害は深刻なものがありました。このことについて、昭和44年(1969)発行の『常呂町史』は次のように記しています。「昭和29年頃から、特に汚れを増してきた常呂川の水質清浄化問題は、常呂漁民の将来を決める重要な問題であることから漁民大会などを開いたりして、現在まで各関係機関に対し、魚が生息できる川にもどすよう強い呼びかけをしていたところ、国では昭和29年(39年が正しい—引用者)7月1日付けで常呂川に対する水質の基準を決定した。この基準は40年7月から適用され、それまでにパルプ工場、澱粉工場や下水道の浄化施設をしなければならないことになり、今後はこれらの施設整備が行われて、決められた水質基準が維持され、魚族が蕃殖できるとされている。」
◇常呂川汚水防止対策漁民大会
常呂川汚水防止対策漁民大会写真
常呂川汚水防止対策漁民大会
 「この年(昭和39年=1964)7月7日 常呂川の汚染はわれわれ漁民の死活問題であると、漁業者約350人が常呂中央公民館に集まり、常呂川汚水防止対策漁民大会が開かれた。この日午前10時、花火を合図に、日の丸の鉢巻をした約350人の漁民や漁業関係者が手に手にプラカードや大漁旗をかかげながら、軍艦マーチも勇ましく広報車を先頭に気勢を上げながら漁業組合から中央公民館までデモ行進をし、全員が会場につめかけて大会が開かれた。/大会は怒りの中にも冷静、そして真剣に対策が協議され、結局、損害賠償と浄化施設完備を即時要求すると共に、今後も沿岸地帯を汚染する恐れのある工場の建設には絶対反対するなど、3項目にわたる決議文をつくり、大会終了後約130名がバスを連ねて北見市に向かい、関係機関に強く要求をした。
決議文
1. 北見市におけるビート、澱粉、ガス、都市下水は言うに及ばす、特に汚染度の甚だしいパルプの廃液により蒙った漁業被害の賠償額を即時要求する。
2. 常呂川の水質基準に拘らず、各工場等は被害漁民の納得する浄化施設を即時完備することを要求する。
3. 紋別に誘致されようとしている北見パルプ工場建設については従来の既設工場の前例に徴し、常呂、佐呂間、湧別、紋別の沿岸地帯を一層汚染する恐れがあるので是が建設に絶対反対する。」(以上、同前『常呂町史』より)

 そして、同年昭和39年10月7日、常呂漁協は常呂川汚染損害賠償金として、北見市内4工場に対し総額33億円を要求しました。昭和40年(1965)7月5日、網走支庁の斡旋があり、常呂川汚染で被害を与えたとみられる3社と北見市で産業振興施設に2,000万円を支出することとし、同年8月24日に網走支庁長立会いの下、北見市長と常呂町長で契約が締結されました。
◇漁業者の植林活動の先駆者
 水質汚染の被害を受けた常呂の漁民は、「水を守り育むことが、この豊かな川と海を守り、大きな恵みをもたらす」と考え、昭和37年(1962)から常呂漁協による常呂川上流の山林に木を植える運動が始められ、平成4年(1992)には漁業団体として初めて「朝日森林文化賞」を受賞しました。平成8年からは常呂を含む網走管内10漁協で、広葉樹の植樹に本格的に取り組み始めました。平成14年には、長年植樹活動の舞台となってきたワッカ原生花園が北海道遺産に指定され、指定理由に「地元漁協による植林は先駆的」と漁協の活動もあげられています。
 日本では昔から「魚つき林」という言葉があって、海岸線の森林を大切にしてきました。森が魚を呼ぶことを昔の人達は経験的に知っていたのです。最近では海岸の岩礁に海藻が生えない「磯焼け」が各地で報告され、原因は山奥の森林の荒廃が進むにつれて、海へ流れ込む成分が変化したためと言われています。「良い森なくして、きれいな水なし」「自然は全てつながっている」のことを常呂川流域の市民は、共通認識として忘れてはならないと思います。(完)

《中庭だより》
☆大変な長期連載となりましたが、今回で「常呂川の流れから」を完結とします。書いていて、筆者自身知らぬことばかりで色々と勉強になりました。来年もよろしくね!!
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