ヌプンケシ137号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.137
 タイトルヌプンケシ
平成19年2月1日発行

◎『北見地方新聞総覧』について
 昨年末、市職員のある方が「こんな資料が親戚から送られてきたんだけど、市史編纂の参考になりますか。」と、ご親切に郵送されてきた冊子『北見地方新聞総覧(平成18年12月)』を、市史編さん事務室に持参してくれました。拝見して、びっくり、筆者の全然知らない昔の北見地方の新聞名がたくさん載っているではありませんか。また以前、井上伝蔵の関係で紹介した新聞記者、岡部清太郎が発行していた新聞の名前も複数出てきました。
 早速、お借りして見ましたが、大変貴重な資料なので、複製したいと思い、札幌市にお住まいの編著者である佐藤陽一氏に、不躾にも直接電話を差し上げ、複製の許可をお願いしたところ、ご快諾いただきました。早速15部複製し、北見市の図書館にも配布しましたので、興味ある方は図書館で直接ご覧になってください。
北見地方新聞総覧表紙◇調査・研究始めて半世紀以上
 お電話でのお話では、佐藤氏は北見市のご出身で、北見北斗高校の28期生、現在72歳になられるそうですが、十代後半から新聞の題字を収集したのが、きっかけだそうです。だから、調査・研究を始めてもう半世紀以上ということになります。この『北見地方新聞総覧』は北海道立図書館、北海道立文書館、北海道大学図書館などに通い、こつこつと資料を収集されて整理された成果の、ほんの一部で、ゆくゆくは北海道地方の新聞史料研究として全体をまとめて発行したい、とのことでした。
 今号はこの『北見地方新聞総覧』について、紹介してみたいと思います。
◇佐藤氏の調査で新発見=野付牛時代の『北見新報』
 『北見地方新聞総覧』はA4判、37ページの冊子で、その内容について「はじめに」で、佐藤氏は次のように書かれています。

               北海道最初の民間新聞は、函館が草分けで、明治11年(1878年−引用者)1月7日に創刊された『函館新聞(のちに函館毎日新聞に改題)』である。
 北見のローカル新聞発祥はどうかというと、野付牛時代の明治45年(1912年−引用者)3月に発刊した冊子型月刊誌『北之殖民』がその魁であるが、この4か月後の明治45年7月に創刊した『北見新報』(冊子型旬刊誌)の存在を、調査を続けて行く中で知り得た歴史的な史実がある。
 さて、本件の小冊子は野付牛村(明治)時代から北見市(平成)までの間、発刊又は発刊されたであろうローカル新聞の全容である。
 長い年月をかけて調査、確認を続けてきたが、原紙の現存はおろか記録不詳の新聞雑誌も数多く、現段階ではこれ以上の情報を得るには今後の調査、発掘を待たねばならない。
 それでも原紙、題字、資料等の入手により新聞発行の事実確認が出来たのは掲載紙(誌)82紙(誌)のうち60%を数える。
 本冊子は「第1編 沿革略年表編」「第2編 新聞史料編」「第3編 関連資料編」の3編とした。
 ここに書かれている明治45年(1912)7月に創刊された『北見新報』(冊子型旬刊誌)というのは、筆者も初めて見る新聞名で、「主宰」の「山口正峻」、「社長」の「林 幸三郎」も未知の人物です。電話でのお話では、北海道大学図書館にあった『北世界』という史料で、発見されたということでした。図書館に出かけ、地道に一つひとつの史料に当たって、事実確認する作業は大変な労力と集中力が必要で、佐藤氏のご努力には頭が下がります。 
◇「第1編 沿革略年表編」から
 「第1編 沿革略年表編」の1ページ目の紙面は右のとおりで以下5ページまでビッチリ情報が詰まっています。今回の合併のことも配慮されてか、留辺蘂と常呂の新聞についても、掲載されています。
 これまで、北見の新聞の変遷については昭和58年(1983)に発行された『北見市史』下巻に「新聞社の消長」で触れられていますが、約4ページに過ぎません。
 そこでは『北之殖民』について次のように書いています。
第1編 沿革略年表編の1ページ目
   市内新聞の発刊は、明治四十五年千葉兵蔵が北之殖民を創刊したのが始まりである。千葉兵蔵は宮城県上沼村(現中田町) 生まれで、日本大学中退後一時電報通信社の記者をしたが、退社して渡道、薄荷、豆景気で知られた野付牛に来た。この地帯が開拓移民で開発された実態を知るや、ここを根拠として新聞を通して文化の開発を計ろうと北之殖民を発刊した。はじめ旬刊であったが、翌大正二年北見新聞と改称すると日刊とした。社長千葉兵蔵、副社長実弟の三浦慶吾、営業部長石橋鉄一、編集長永井勝次郎という社員構成で、次第に発行部数を増大し、やがて、町内新聞の代表的位置を占めるまでになった。千葉兵蔵は大正七年以来、北見文武館を設立して、その方面の啓発をし、大正十三年憲政会(後民政党)背景で道会議員となり、政界にも足跡を残した。
 『北見地方新聞総覧』の略年表によれば、『北之殖民』の創刊は「明治45.03.05」で、『北見新聞』に改題したのは「大02.09.10→大02.09.15説有り」とあります。同新聞が日刊になったのは、同『総覧』では「旬刊−隔日刊−日刊(大正5)」とありますから、『北見市史』の大正2年とは大きく違います。ここらでも、『北見市史』の見直しが必要なようです。
 また、同『総覧』2ページに『北日本朝日新聞』というのがあり、発行所「番場町」、沿革略史「昭3〜6在」としかなく、後は不明となっているのですが、筆者の手元にある昭和8年(1933)11月発行の『野付牛名鑑』には「北日本朝日新聞/毎月一回/高台/岡部清太郎」とありますので、この『名鑑』のコピーを佐藤氏に送ろうと思います。これでまた一つの史実が明確になるわけで、歴史の仕事はこうした協力関係の中で、より充実し豊かなものになると筆者は信じております。尻切れトンボな紹介になりましたが、詳細は図書館で現物をご覧ください。
《中庭だより》
☆1月19日、春光町で起きたガス漏れ事故は大変痛ましいことでした。死亡されたお一人、後藤京子さんは我子のピアノの先生で、妻が親しく近況も聞いていましたので、尚更驚きました。お亡くなりになった三名の方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。(合掌)
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