ヌプンケシ158号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.158
 タイトルヌプンケシ
平成21年1月1日発行

◎旧北見市「字名の由来」について(5)

◇昭和27年(1952)3月21日付『北見新聞』から
 新聞記事の調査で、やっと地名の由来に触れた記事を見つけました。それが昭和27年3月21日付『北見新聞』の記事でした。少々、長くなりますが、全文紹介します。
妙案ひねり出しに大童/市で最後の追込みかける
  字名地番/三十一日に開かれる最終字名地番委員会を前にして市土木課では妙案のひねり出しに大童で地元住民の希望意見を勘案して字名の原案を作成している。この原案は三十一日の委員会に諮り、ここで決定されたものを更に四月の市議会に上程されるわけだが、原案の原案ともいうべき市土木課の字名構想は次のようなものである
  下仁頃二区は彌生町 三区は北陽小学校があるので北陽町、現在西町と呼ばれている附近は常盤町を含めて西町か栄町、山下町はそのまま、三吉神社附近は「みよし」をもじって美芳町、今まで緑ヵ丘と呼ばれていたところは美石園をとって美石町、北斗高校附近は北斗町、番場町はそのまま、柏陽高校(当時は現藤高校の所にあった。—引用者)裏から元前田駒次宅辺は柏木町、高台区は高栄町、基地(墓地の誤植と思われる。—引用者)付近は緑町、東小学校前は神社をはじめ各寺院が密集しているので寺町、東校附近から大通に至る辺は敷島町 野付牛公園附近は錦町、競馬場付近は東陵中学の名にあやかり東陵町、オンネメームは昔泉があったというところから泉町の希望がある
河西ボタン園附近は花月町、鉄南は南側が轟町、その反対側が南町、南中附近は月見町、酒精工場附近は開進町、バター工場附近は森永町
  という具合に候補名を挙げているが土木課の案としての字名はこれに落ち着く模様である。この区域外の地名については希望を取り入れて設定することになっているので良い名称があったら智恵を貸してほしいと希望している
 この頃は、土木課が字名地番改正の担当であったようです。北陽、山下町、美芳町、北斗町、番場町、東陵町、花月町など字名改正で正式採用されたものもあれば、今では知られていない不採用の字名案があったことも、この記事からわかりました。
 なお、番場町の由来はご存じのとおり、「この付近一帯の所有者が番場儀作という人だったからだ。しかも、番場さんは現在の北斗高校の前身である野付牛中学校が大正十二年に新築されたとき、この学校敷地六・六ヘクタールを加藤柳次郎さんと共に市に寄付した市の発展と子弟教育の功労者である。」「大正の初めごろのこの付近は、一面の原野でスズランが咲き、現在の中央町の中央小学校付近には山ブドウとコクワが取りきれぬほどなっていたそうだ。番場町という名称が正式に付けられたのは、昭和二十七年八月の字名地番改正のときだが、これ以前からもこの付近は高台番場町という通称でとおっていた。」(北海道新聞、昭和40年8月6日付特集『きたみ六十八町』12より)

◇昭和27年3月31日開催された協議会の正式名称は?

 昭和27年4月2日付『北見新聞』に、同年3月31日午後1時半より市役所議事堂で開催された協議会の結果が掲載されていますが、まず最初に記事を見て疑問になったのが同会の正式名称です。新聞の見出しには「字名地番改正綜合協議会」とあり、本文中では「字名改称地番整理総合協議会」とされ、どちらが正しい名称か判断できる公文書もありません。しかも、記事には「各部落代表約五十名が参集」とあるだけで、どのような委員構成で内容を協議検討したか、全く不明です。関係機関からの出席者は「道から多田拓務課長、紺野地方課主事、理事者から市長、清水土木課長、法務局杉山事務局長ら」でした。新聞以外の別資料を探さないとならないのですが、今のところ、その手掛かりもありません。どなたか、この協議会の資料をお持ちの方がいたらぜひ見せてください。
◇「柳町」ってどこ?
 清水土木課長の「開会の辞」に始まり、多田道拓務課長、伊谷市長の挨拶のあと、「直ちに土木課から提出された腹案字名について柳町(旧高台)から検討に入った。柳町の名付け親 清水課長から名前の由来について〈あのあたりは川柳がたくさんあるので…つけるのにはずいぶん苦労した〉といつもの立板に水の如き名調子に場内クスクス柳町在住の御仁から〈クダラナイ名前だ〉との横槍も出たが柳に風とどうやらケリ」昭和27年7月2日付『北見新聞』にあった地図
 この「柳町」ってどこだか、分かりますか。筆者もどこだか知りませんでした。
 同年7月2日付『北見新聞』にあった右の地図を見つけて、現在の「田端町」だと知りました。この4月2日の記事を見ると、協議会では「柳町」が承認されたことになっているのですが、それが何故「田端町」になったのかという経過を示す資料はどこにもありませんでした。
 確かに、今でも田端町の旧国道沿いに柳の並木が続いていますから、当時はもっと柳が多かったのでしょう。しかし、地域住民にしてみれば「柳町」では蛙か幽霊しかいないイメージで暗い、それなら田んぼが多いから「田端町」の方がマシだとなったのではないでしょうか。いずれにしても、地域住民からクレームがついて、6月議会提案の時には「柳町」から「田端町」に変更されたようです。
 同記事には「次の森永町に移り原案通りで通過」とあるのですが、この字名も現在どこにもありません。同地域は現在の「桜町」です。これも議会提案前に、地域住民から町外れの会社名を冠した字名では不都合との意見でもあって、昔からの「桜町」に落着いたのでしょう。
◇当用漢字? 制限漢字?

 「旭町に入るや杉山北見法務局事務長から旭町の旭は当用漢字にはなく、轟町、屯田、彌生、桂丘など全て制限漢字で使用出来ないものだとのキツイテコ入れ、理事者の不勉強を遺憾なく暴露 理事者をあわてさせたが旭町は朝日町とすることで通過」
 当用漢字とは、日常使う漢字として文部省が昭和21年(1946)に公布した1,850字の漢字です。北見市民の知らぬ間に屯田町が「とん田町」になったのも、「上常呂」が「上ところ」になったのも、「屯」と「呂」が当用漢字になくて、平仮名に手直しした苦肉の策だったのでした。
 しかし、「旭」が駄目なら「旭川市」が「あさひ川市」か「朝日川市」にならなかったのは、何故でしょうか。文部省が決めたにしても、機械的に適用するのは得心がいきません。(続)

《中庭だより》
☆新年、明けましておめでとうございます。本年は新「北見市史編さん基本計画」が策定された後、それに基づいて事業が動き出す最初の年となります。職員一同、更に市史が市民の財産になるように努力してまいりますので、よろしくご指導、ご鞭撻ください。
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