ヌプンケシ159号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.159
 タイトルヌプンケシ
平成21年1月15日発行

◎旧北見市「字名の由来」について(6)
 今号も昭和27年(1952)4月2日付『北見新聞』にある、協議会の記事からレポートします。
◇兵村二区の分割〜中ノ島町・南町・南仲町・泉町・清月町
 「羽衣町、清月町、南町、轟町、開進町(兵村二区)に入るや細坂市議地元意見を代表して〈五つの町に行政区画したのはよろしくない今迄通り南何條何丁目とし分割すべからず〉と食い下ったが理事者側から〈現在條、丁目で行くといってもたかが二本しかない道路では実行しようにも仕方あるまい、区画が整然と出来ていて道路も切れ間がなければその意見も一応ご最もだが今後都市計画で区画が出来て道路網も整然となった時にはその時の解決問題としてさしあたって原案通りすることが利口じゃないか〉と押問答があったが 拓務課長の助言で一応、羽衣、轟町は決定を見合わせもう一度地元民の意志に諮って最後決定をすることになった。また開進町(兵二区)では大野北見貯金課長から郵便配達上開成があることから非常に紛らわしいの発言あり決定は後日となった」
 兵村二区は、駅開設のためにそこにあった屯田兵の家屋が立ち退かされ、鉄道関係施設が次々と建設され、事実上解体されていました。戦後になって、この地域いわゆる鉄南には急速に住宅が張りつきだし、住居表示も整理する必要があったのです。
 この記事にある「羽衣町」はじめ五つの字名の範囲は地図が掲載されていないので不明ですが、前号で紹介した『北見新聞』の記事に「鉄南は南側が轟町、その反対が南町、南中付近は月見町、酒精工場付近は開進町」とあるので、「開進町」は現「中ノ島町」だと推測できます。そして「南町」は現「南仲町」、現「南町」は「月見町」〜「羽衣町」で、「轟町」は汽車の轟音が聞こえたので名付けたとすると当時機関庫のあった位置から考えて現「泉町」でしょう。
 引用した記事では、清月町、南町は原案どおり承認されたことになっていますが、結局議会提案前に当該五つの字名は住民を含めて全面的に見直し、下記の字名に落着いたのでしょう。
1.「中ノ島町」は昭和26年(1951)4月30日に開設された「中の島公園」から由来しています。
2.「南町」は南端で、「東陵町」と同じく南中学校の校名から採ったと見て間違いないでしょう。
3.「南仲町」は「南町」と中心市街との「中」に位置しているので、名付けたと思います。
4.「泉町」の由来は不明です。この地区に泉の湧くような場所があったとも聞いていません。知っている方がいたら教えてください。
5.「清月町」も由来が分かりません。ただ、当時一帯は水田地帯であったようですから、連想すると「田んぼの水面に映えた月」をめでてつけたのかも知れません。
◇名称の殆んどがきまる

 「その後常盤町、末廣町、山下町、美芳町・・・と腹案通り決定 三隅町を三住町と改め 寺町(旧高台)に入るや〈末香くさい名前は気にくわん〉などのヒヤカシも飛び出したが鐘三つで合格、錦町(野付牛公園附近)ではやはり漢字制限の廉に問われ公園もあることであり錦町などよりむしろ公園町にすべきの声かかり満場一致で公園町、柏木町(前田駒次氏跡附近)でもやはり『柏』の木が制限線にひっかかり保留で後回し 北斗町、花月町、壽町・・・緑ヶ丘で名附親もホーホーの体で何とか市街の部のフィナーレとなった。この結果決定した字名を列挙すれば次の通り(カッコ内は旧字名)△東陵町(高台)△公園町(同)△柳町(同)△朝日町(同)△高砂町(同)△青葉町(同)△三楽町(同)△寺町(同)△森永町(森永町)△清月町(兵二)△南町(同)△常盤町(常盤町、西町、栄町)△末廣町(大通り西七丁目から十五丁目、オンネメーム)△山下町(山下町)△美芳町(高台)△幸町(同)△中央町(同)△三住町(同)△番場町(同)△北斗町(同)△美山町(同)△花月町(同)△壽町(同)△高栄町(同)△緑ヶ丘(緑ヶ丘) 保留は敷島町、羽衣町、轟町、開進町、柏木町など五町名」
 「常盤町」は改称以前からあった「常盤町、西町、栄町」が合体して出来たようですが、それぞれの区域が現在のどの辺かは具体的には分りませんし、その「常盤町」の由来は不明です。
 「東陵町」は東陵中学校から由来し、その東陵は「東の稜線」ということからきています。
 「公園町」の由来は前ページの記事にあるとおりです。
 「青葉町」も、これも前号の新聞記事のとおり最初「緑町」としていたのが、何故今の字名になったのか経過をしめす資料はありません。「高砂町」は新聞記事にさえ情報がありません。
 「三楽町」は、現・藤高校裏の沢に昔あった「三楽園」という庭園名から来ています。
 「幸町」の由来も分かりません。「山下町」の上だから、カアル・ブッセの詩句「山のあなたの空遠く/『幸』住むと人のいふ」から来たという想像力豊かな人もいます。ピアソン館もあるので、キリスト教の言葉から来ているのかも知れません。皆さんのお考えはどうですか?
 「中央町」の由来は明快で、大正11年(1922)創立の中央小学校があったからです。
 「三住町」は区域の形状が三角だから「三隅」で、それを「三住(み)」に言い変えたのです。
 推測ですが、「美山町」は「深山」と「美しい山」の両方にかけているのかも知れません。
 「緑ヶ丘」には実際に日当たりの良い丘があり、そこは肺結核の療養所になっていました。
 裁判所のある「寿町」などは、何故めでたい「寿」を冠したのか推測もできません。
 「高栄」は、高台の「高」と光栄か繁栄の「栄」を使ったと推測されます。

◇末廣町?寺町?敷島町?柏木町?
 「末廣町」は(大通り西七丁目から十五丁目、オンネメーム)とあるので、現「本町」です。「末広」は区域が扇状に広がっているので理解できますが、「本町」がどこから由来しているか書いた資料はありません。考えられるのは「屯田歩兵第四大隊本部のあった町」から、戦後タブーになった軍隊に関する言葉を排除する形で「本」だけ残して名付けたのかも知れません。
 問題は「寺町」です。前号の新聞記事で「東小学校前は神社はじめ各寺院が密集しているので寺町」とあるので、想定されるのは北見神社や本覚寺などがあるエリアということになるのですが、現在そこは条丁目に属しています。ここは戦前から条丁目で表示されていたので、無理に「寺町」にする必要はない等、何らかの理由で議会提案前に「幻」となったのでしょう。
 保留された「敷島町」は前号掲載記事で「東校附近から大通に至る辺」とあるので、現「大町」のことです。何故最初に「大和の国」または「日本国全体」の別称である「敷島」を候補に上げて、最終的に「大町」になったのか、何もわかりません。こじつけで考えれば、「大通りに面した町」か、敷島の意味をとった「大和町」では仁頃方面の「大和」と重複するので「和」をはずして「大町」にしたのかもしれません。誰か正解を教えてください。
 「柏木町」は現「清見町」です。柏木は前田駒次宅跡にあった柏の木から来たようです。「清見町」については『北海道新聞』特集「きたみ六十八町」昭和40年(1965)8月18日付記事で「昭和九年、都市計画法で、見晴らしがいいから〈清見町〉と呼ばれるようになった」とあるのですが、当該都市計画法関係の資料を筆者は見たことが無いので、コメント出来ません。(続)

《中庭だより》
☆正月の早々の雪かき、大変お疲れ様でした。温暖化の影響か、湿った重たい雪でしたね。そんなことで疲れとお酒も重なって寝正月となった方も多いのではないでしょうか。くれぐれもインフルエンザに罹らぬように十分注意して、新年のお仕事にお励みください。
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