ヌプンケシ167号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.167
 タイトルヌプンケシ
平成21年5月15日発行

◎杉町 八重充(すぎまち やえみつ)と徴兵制(1)
 昨年10月に端野歴史民俗資料館から、当市出身の「杉町 八重充」が大正11年にアメリカの在シアトル日本帝国領事館へ提出した徴兵に関する「御願書」コピーの提供があったことは、154号の《中庭だより》に書いたところです。しかし、これまでその内容についてレポートしないままになっていましたので、今号はその調査結果を紹介したいと思います。
◇杉町 八重充とは、どんな人物?
 実のところ、筆者も資料館からコピーを提供して昭和63年11月8日付『北海道新聞』もらうまで、この「杉町 八重充」という人物について何の知識もありませんでした。
 それで杉町について伊藤公平氏作成の「切抜き人名リスト」にあった、昭和63年(1988)11月8日付『北海道新聞』の「北見市出身の杉町氏開設/ロス日本語学校40周年を祝う」という記事と、同年12月1日付『北見新聞』の「郷土が生んだ日本語教育家/—学園を育てて40年—/故杉町八重充博士の偉業」という記事で、彼のおおよその経歴を知りました。その後に筆者が調査したことも含めて、次にその略歴を紹介したいと思います。
 杉町 八重充は佐賀県出身の屯田兵・杉町 巳之吉の長男として、明治31年(1898)10月4日野付牛村に生まれ、明治44年 (1911)3月に野付牛尋常高等小学校(現在の西小)尋常科を卒業。北海中学に進学し、明治大学を経て、大正10年(1921)11月渡米、米国ワシントン大学に学び、西海岸で新聞記者を体験後、羅府(ロサンゼルス)日本人会が子弟の日本語教育のために開設した羅府第一学園の教師となりました。戦争中は米連邦捜査局(FBI)の検束をうけ、「戦時強制収容所」も体験しました。戦後、日系人の中には「もう日本語は必要ない。」という者もおりましたが、杉町は苦難の末「羅府第一学園本校」を昭和23年(1948)開設、現在でも「日本語学園協同システム」として発展を続けています。杉町は昭和29年(1954)11月に米国籍を取得して、日本国籍を喪失。高中学部校舎を完成させ、昭和42年(1967)12月26日に逝去されました。(没年は北海道新聞の記事では1968年とあるので、もう少し調査します。)
 このように本人が日本国籍を喪失したのに加えて、父親の「巳之吉」はじめ家族が昭和2年(1927)にブラジルに移住しており、現在、北見には杉町の親族は一人もいません。それでこれほどアメリカ日系人社会の「日本語教育」に功績のあった人物のことが、故郷である北見市では市民に余り知られないままになったのでしょう。残念ながら顔写真の一枚もありません。
◇「御願書」の内容
 さて、その杉町が提出した「御願書」にはどんなことが書かれていたのでしょうか。
「御 願 書/北海道北見国常呂郡野付牛町二条通東一丁目/杉町 八重充/二十四才/先般私儀 所属連隊区司令官ヨリ徴兵召集セシ由 郷里実父巳之吉ヨリ申越シ候處 私事 英国オックスホード大学ヘ留学ノ目的ヲ以ッテ旅行中 目下語学研究ノ為メ 当ワシントン大学へ入学ニ付キ 海外留学ニ至リシ顛末ヲ申述べ之ガ解決ニ付キ御寛大ノ御取計ヲ請願致スモノニ候
 私儀 日本在住中 豫(カ)ネテ明治大学在学中ノ故ヲ以ッテ徴兵徴集延期中ナリシモ 大正十年六月七日北海道野付牛町ニ於テ徴兵身体検査ヲ受ケ申シ候處 歩兵乙種合格ト決定致シ申シ候 然ルニ八月下旬連隊区司令部ヨリ補充兵役ニ編入ノ趣キ通知ニ接シタルニヨリ 直チニ東京府庁ニ対シ学術研究ノ為メ 年来懐抱シ居リシ海外留学ノ宿望ヲ遂ンモノト北米合衆国経由英国ヘ赴ク旅券ノ下付ヲ出願、十月六日付ケヲ以テ許可セラレ 同月末横浜出帆アラビヤ丸ニ乗船シ十一月十一日当シヤトルニ到着致シ候 而シテ日本出発ニ先チ 連隊区司令官ニ右旅行ノ次第ヲ届出ルノ必要アリシ為メ 東京ヨリ郷里北海道へ帰省イタシタル所 折悪シク当時アタカモ同地ヲ中心トシテ大機動演習挙行中ニ付キ 町役場ニ届ヲ持参セシモ遂ニ兵事係ニ面会出来ズ 依リテ実父巳之吉ニ之ヲ依頼置キ 上京旅行ノ途ニ上リ候 然ルニ本年一月下旬実父ヨリノ書面ニヨレバ今回現役兵ニ編入スルヲ以ッテ一月二日ニ入営スル様十二月二十某日司令部ヨリ電報アリシ故 失念致シ居リシ私ノ海外旅行届ヲ提出シタルモ 其ノ後何等司令部ヨリ書面ナキ旨通知ニ接シ候由ニテ 初メテメテ先記海外旅行ノ届出ノ忘レ居リシ事ヲ承知致シ驚キ 直チニ折返シ右旅行ハ有効ナリヤ否ヤヲ問合セタル處 三月七日付ノ手紙ヲ以ッテ 届出ヲ怠リシニヨリ連隊区ヨリ告訴セラレ 検事局ノ取調ヲ受ケタルコト 並ニ本年ハぜひ入営スベキ旨連隊区ヨリ通知アリタル趣キ申越シ候處 約十日前 更ニ本年再ビ徴兵検査ヲ五月ニ受クベキ旨通知アリシ由 実父ヨリノ書面ニ接シ申シ候
 事実先述ノ通リニ之有候處 私儀 目下英国行ノ途中 語学研究ノ目的ヲ以ッテ 当ワシントン大学ニ入学中ニシテ 語学研究終リ次第英国ヘ留学ノ考ヘニ有之候 然ル處 多年ノ宿望漸ク其ノ緒ニツカントスル際 更ニ帰国ノ上徴兵検査ノ手続ヲ再ビ繰返サザル可カラザルニ立チ至リタル自業自得トハ言ヒ困却致ス次第ニ候 前述ノ如ク 私事 補充兵役ヘ編入セラレタル通知ヲ俟チテ旅券下付ヲ出願致シ 旅行届モ一度ハ帰省ノ上 自ラ町役場ニ持参セシモ運悪ク其ノ手続ヲ了スル能ハズ 且ツ依頼シ置キタル実父モ是レヲ忘レ 今更其不行届ニ対シテハ申開キノ途ナキ次第ナルモ前述ノ如キ事情御憐察ノ上  其ノ筋へ対シ右海外旅行届遅延ノ次第御省恕ノ上 更ラニ前通リ 補充兵役へ編入又ハ其ノ他ノ方法ニヨリテ可然御取計ノ上 海外留学ノ目的ヲ遂行シ得ラルル様 御配慮御取計ヒ下サレ度 事情ヲ倶シ比ノ段奉願候也 敬具
 大正十一年四月十九日/杉 町 八重 充/在シアトル帝国領事/斉藤 博 殿」
 要するに、杉町は明治大学在学で徴兵徴集延期されていたのが、大正10年(1921)6月7日の徴兵検査で「歩兵乙種合格」となり、同年8月に補充兵役編入通知があって、外国留学をするため東京府庁より旅券を発行してもらい、同年11月11月シアトルに着き、英国オックスフォード大学留学前に語学研修のため、ワシントン大学に入学した。その渡航前に旅行届を野付牛町役場兵事係に提出しようとしたが大機動演習で出来ず、実父に手続きを依頼しておいたが、その父親も失念して、12月に大正11年1月2日入営の通知があって慌てて届出をしたが受理されず、「徴兵忌避」で連隊区より告訴され、検事局の取調べを受けて、同年入営する為に再度徴兵検査する騒ぎになって、斉藤領事に「御寛大ノ御取計」を願い出たということです。(続く)
《中庭だより》☆新聞社主催で北見の歴史などに関する検定試験が実施されたり、最近では北見市観光協会連絡協議会から「北見市観光テキスト」が刊行されるなど、市民が地元に関心を持たれることは、市史編さん担当者にとってもうれしいことです。
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