ヌプンケシ180号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.180
タイトルヌプンケシ 
平成21年12月1日発行

石橋鉄一氏写真 

 


 下の写真は、その石橋氏のお孫さんに当たる武藤弘司様より平成15年(2003)当市に寄贈頂いた石橋氏の遺品である 『北見新聞』関係写真128枚中の一枚です。今日はこの一枚(原寸)から何が読取れるか、見ることにしましょう。
◇野付牛駅

 この写真は新聞社の新聞記事で使用したものだと思います。黒い台紙に「野付牛駅」とタイトル野付牛駅写真

があるだけで、撮影年も、何の行事かも裏書はありませんでした。最初は日中戦争以降の戦死者の出迎えかと思いましたが、在郷軍人の姿もなく、白木の箱もありません。
慶賀の国旗が駅頭にあります。よく見ると駅前に出迎えているのは学生服の集団で、小学生のようです。山高帽をかぶった人が抱えているのは額のようなもので、その後ろに警官が護衛しているようです。それが何組も続いています。護衛をつけるとなれば、よほど大切な品物に違いありません。
◇御真影
 
戦前で額に入った大切な品物といえば、天皇・皇后の「御真影」に違いないと筆者は推理しました。この「御真影」とは、明治期以降、天皇制の徹底のために官公庁・学校に下付された天皇・皇后の公式肖像写真のことで、正式には「御写真」と言ったそうです。明治5年(1872)頃から官公庁に下付され、明治15年(1882)官立学校に、明治20年(1887)沖縄県尋常師範学校を最初として府県立学校に下され、明治22年(1889)から高等小学校におよびました。明治24年(1891)の小学校祝日大祭日儀式規定によって、教育勅語と並んで学校儀式に不可欠なものとなりました。戦前の小学校体育館の正面には、御真影を飾る棚が必ず設けてあり、その前で大祭日には校長先生が生徒達に向かって厳かに教育勅語を読み上げたのです。

  「この御真影の下賜と奉戴状況を各学校の沿革誌により記載すると、明治時代においては、明治二十五年十月創設された紋別小学校では、明治二十七年に下賜され、北見市西小学校では創設間もない明治三十一年九月十日一、六坪の御真影奉安室を設け、明治三十四年五月十一日奉戴式を挙行。明治三十年創設の北湧校へは、明治三十三年八月十日下賜になり、これが湧別に到着するや、湧別小学校では職員児童が奉迎し引率して北湧校まで奉送している。/これらの例に見られるように、学校が創設され小学校に昇格して施設設備が充実し、学校体制が安定し軌道にのった後に御真影を奉戴している。この間多くの学校では一、二年の年月を要した。/大正時代になってから、湧別小学校では四年十月三十日大正天皇の御真影を奉戴し、翌三十一日天長節拝賀式において奉戴式を挙行し一方大正六年二月一日皇太后陛下の御真影を奉戴、紋別小学校ではこの年皇后陛下の御真影を奉戴している。大正六年には多くの学校で御真影の御下賜を受けているが、遠軽小学校においては四月二十五日学校長が支庁へ出向いて拝受し、翌二十六日町長はじめ全児童町内有志がこれを奉迎し奉戴式を挙行している。又大正十一年十月二日開校した北見市中央小学校は、大正十二年十月三十日に奉戴し、同年十二月二十四日に奉安殿が落成し、ここへ奉遷している。/昭和時代になってからは、今上陛下並びに皇后陛下の御真影は、昭和三年十月六日、留辺蘂小、湧別小、渚滑小、遠軽小、北見中央小など、多数の大規模校で同日に一斉に奉戴しているが、この時下賜された御真影は写真の事情により永久不変色にあらざる由にて全部取替のため、昭和六年四月二十五日各校共に奉還し、翌四月二十
六日再下賜されたことが多くの学校で沿革誌に記録されている。」(『網走地方教育史』より)
 前ページの写真は昭和天皇・皇后の御真影を野付牛駅に各小学校の生徒達が奉迎した時のもので、その年月日は先の引用にあった「昭和3年(1928)10月6日」と見て間違いないでしょう。
◇奉安殿
  先の文にあった「奉安殿」とは、下付された「教育勅語」の謄本と「御真影」を最も丁重に保管した場所で、生徒達は登下校時には必ず「奉安殿」に向かって最敬礼をさせられ、もし欠礼すると殴られました。なお、「奉安殿」は耐震耐火構造の立派なものが造られ、大戦中空襲の時には「教育勅語」と「御真影」を安全な場所に移すのが、校長等の一番の責務とされました。
 戦争に負けて、「御真影」は「昭和二十一年一月十五日より奉還することとなり、各町村では中心学校へ集結し一括して支庁へ返還している。」「なお昭和二十二年六月三日文部省は学校における宮城遥拝、天皇陛下万才、天皇の神格的表現の停止につき通達を出し、学校教育の中から御真影等を奉拝することがなくなった。」(『網走地方教育史』より)
 戦後、市内の「奉安殿」は全て取り壊されました。今は写真で見るしかありません。(終)

《中庭だより》☆今号で取上げたとおり、一枚の写真から色々な事を推理することができます。
ですから、「古いし、説明もない。」と写真を捨てたり焼却してしまうのは本当に勿体ないことなのです。ご家庭に昔の写真等がありましたら、ぜひ、市史編さんにご寄贈をお願いします。
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