ヌプンケシ182号

 
 
北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.182
 タイトルヌプンケシ
平成22年 1月 1日発行

 謹んで新年のお慶びを申しあげます。本年もよろしくお願いします。

画像寅年◎書店・本屋は文化の灯火(1)                 

◇街中に書店が復活
 旧年11月、2年ぶりに釧路に出かけたことは179号の《中庭だより》に書いたとおりです。いつも釧路図書館で調査後、出世坂を下りホテルに戻る時は、幣舞橋を渡って直ぐの所にある「山下書店」に寄って、郷土関係の本などを買うのが筆者の習慣になっていました。この時もそのつもりで店に行くとシャッターが下りていました。「文化の灯火」がまた一つ消えたかと寂しい思いをしました。何故なら本屋は単に本を売るだけでなく、地域文化や人間の交流の場でもあるからです。紋別でも同じで、昔の駅前通りの中心街に今はもう本屋はありません。
 ですから、12月4日付『北海道新聞』に「北見都心に書店復活」という記事が出た時には、本好きとして大変嬉しかったです。その北3条西2丁目(旧福村書店跡)にできた書店「ブックキャビン」には、何とか定着するように頑張ってほしいと願っています。
 少し前振りが長くなりましたが、今号は戦前の書店・本屋についてレポートしてみましょう。
◇昔、本は貴重品
 
昔の本は高価で、しかも開拓期の当市には本屋も何もなかったわけで、購入するとなれば都会に出た時に本屋によって買うか、手紙で第三者に頼んで郵送してもらうしかない貴重品だったのです。従って蔵書家は医者など、金持ちに限られました。
 庶民が何とか野付牛でも本を買えるようになったのは、小学校が出来、その周辺に文房具屋が出来てからです。その商品の一つとして雑誌や参考書、書籍を置くようになったからです。
 現在当室にある資料を見ると、一番古い書籍販売に関する広告は明治45年(1912)3月発行の『北見の實業』に載っている、北2条西1丁目にあった香川文海堂のもので「新聞雑誌書籍諸印刷広告取次」とありますから、店頭に本をおいて直接販売したのではなく、注文を聞いて出版元などから取り寄せたものと思われます。
 続く古い資料は、大正6年(1917)9月発行の『北見國 野付牛要覧』香川文海堂の写真ですが、ここでの香川文海堂の広告文は「新聞取扱店/小樽新聞/東京各新聞」「高砂生命保険会社代理店」としかなく、書籍の取扱いはやめて新聞が中心になったようです。右はその広告にある香川文海堂の写真です。
◇原大正堂
  かわって「北見野付牛町停車場通り」に「原大正堂」というお店ができて「小間物玩具・書籍雑誌・和洋紙類」の広告が出ています。本単独ではなく、小間物・玩具・文房具等を置いた店で、場所は現在の駅前ルートイン予定地の中央通りに面した一角(前・玉屋眼鏡店の場所)でした。大正12年(1923)8月発行の『野付牛総覧』の職業分類「小間物、洋物、玩具」の項に11店が記録されているのですが、書籍を取扱い商品に挙げているのは原大正堂だけです。
 大正時代から書籍を扱う店としては、原大正堂が一番大きかったのでしょう。昭和3年(1928)3月26日付『北見評論』の下段には、野付牛中学校の指定を受けたのか「新学期に用ひる各教科書、参考本/用紙、文房具、取揃へました/書籍、雑誌、中学教科書、文房具」という原大正堂の大きな広告があります。最近インターネットで見つけたのですが、『絵葉書の世界』というホームページに、今までみたことのない「野付牛」関係の絵葉書が20枚あり、その中の「野付牛町停車場通り」と題した一枚に「大正堂」の看板が写っていました。また、「原大正堂発行」と記された葉書が8枚ありました。興味のある方はぜひインターネットを開いて見てください。。
◇昭和に入ると...

 昭和2年(1927)4月発行の『野付牛商工案内』の職業分類で「書籍商」を見ると、「書籍、小間物 一條通西一 原 大吉」「書 籍 一條通西一 高田 亦次郎」「同  二條通西三 久保一郎」の三人の名前があり、広告には「原大正堂」の他に、「一條通西一丁目/書籍雑誌文房具紙類/○十太陽堂/店主 高田亦次郎」とあります。
 昭和4年(1929)7月発行の『野付牛明細図』には「職業別索引」がついているのですが、そこに「書籍文房具商」の欄があり「原大正堂」「高田太陽堂」「文化堂書店」昭和4年7月発行の『野付牛明細図』「森島校友堂」「昭和堂書店」の5軒が載せられています。この「書店」を名乗る店の出現は、野付牛町民にとっては新鮮だったことでしょう。
 各店の場所は、大正堂・太陽堂・文化堂書店は右の地図のとおり、駅から近い場所にあり、他の昭和堂書店は富士館(現・岡村建設の場所)の向かい角、森島校友堂は西小学校校門(現在のとん田公園国道側入口)脇にありました。
◇円本・文庫本ブーム
 このように、昭和に入って野付牛町に本を扱う店が増えたことは町民に経済的・文化的な余裕が出てきた証拠になりますが、同時に昭和初期に出版界で起きた円本・文庫本ブームが大きく関係していたと思われます。
 その「円本」とは昭和初期に1冊の定価が1円で発売された全集物を指し、昭和元年(1926)に刊行を開始した改造社版『現代日本文学全集』63巻が最初で、当時不況の出版界で20数万部という予約購読者を獲得して大きな反響を呼びました。ついで新潮社・春陽堂・春秋社などから文学全集・思想全集が刊行され、さらに法学・経済学・宗教など各分野の全集が出され、出版文化の大衆化を招来しました。しかし、定価1円といっても『値段の/明治/大正/昭和/風俗史』(上)の「銀行の初任給」を見ると、昭和2年(1927)で「70円」とありますから、決して安いものでありません。しかし、それでも以前の本に比較して「廉価」だったのです。
 「文庫本」は、普及を目的とする、安くて小型で携帯に便利な叢書類を指し、それ出版物として定着させたのが、円本に刺激されて昭和2年に創刊された『岩波文庫』でした。ついで改造文庫・春陽堂文庫・新潮文庫が出版され、文庫ブームが起きました。この文庫が出回ることで庶民も安価に本を購入し、読むことができるようになりました。
◇昭和13年の『野付牛商工名鑑』には...
 ところが、昭和13年(1938)11月発行の『野付牛商工名鑑』の書籍商は、顔ぶれも変り「二ノ西四 大島多太郎」「二ノ西一 佐藤 俊」「一ノ西二 鈴木憲昭」の3人になりました。昭和12年の日中戦争開始から、世の中は本を買って読む余裕を無くしていったということでしょうか。その上、戦中は紙不足・物資不足で商業出版そのものが成立しなくなりました。(続く)

《中庭だより》☆新春、皆様お元気でお過ごしのこととお喜び申しあげます。さて、以前から福澤明様に執筆をお願いしていた『料理人長尾市治郎と北見料理学校』が旧年脱稿、庁内印刷も完了して、新年1月15日に史稿NO.38として発行予定ですので、お楽しみにお待ちください。
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