ヌプンケシ202号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.202
 タイトルヌプンケシ
平成22年11月1日発行

◎野田儀三郎か?野田義三郎か?(2)
◇古い資料での名前は・・・
 さて、最初の疑問「儀三郎」か「義三郎」について、当室にある古い資料を探索すると大正12年(1923)8月発行の『野付牛総覧』付録「野付牛電話早見表」に「二五八 野田義三郎 北三東五 農場主/木材業」と掲載されていました。ここでは名前は「義三郎」で、野田氏が農場以外の木材業にも手を広げていたことが確認できました。
 次に古い野田氏の名前が載っていた資料は大正15年(1926)12月発行の『野付牛町誌』で、巻末の野付牛町開基三十年記念祭協賛会役員一覧に、「顧問」として前田駒次・千葉兵蔵・坂野金策・鈴木幸吉に並んで「野田儀三郎」の名前がありました。当時の町民が、野田氏を帝国大学卒業の有力者として遇していたことがわかります。また「招待者」としても「町是調査委員」の一人として「野田儀三郎」の名があります。町の名士の氏名を滅多に誤記することがないと想定すれば「野田儀三郎」が正しいことになります。
 大概こうした有力者は「名士録」に経歴と顔写真を遺していますが、野田氏に関してはそうした名士録の類を発見することは出来ませんでした。ですから、どのような風貌であったかも分からず、鈴木三郎先生が書かれた経歴以上に詳しいものは無い状態なのです。
◇三重県立久居農林高等学校の資料では・・・
 それでは鈴木先生が久居農林高等学校から頂いた資料ではどうなっているのでしょうか。鈴木先生の遺された資料を探索してみましたら、「野田農場創設者 野田義三郎教職歴」という綴りが出てきました。表題にすでに「野田義三郎」とありました。中を見ると「三重県立農林学校職員調 明治四十四年十月一日調」の複写があり、そこには「受持学科」から「生年月」野田義三郎教職歴「鈴木先生の資料」まで表で記録されていて、それを順に示すと次のようになります。
 (受持学科)修 身・(毎週受持学科時間数) 四・(就職年月日)明治四十三年二月一日・(卒業学校/有学位/称 号)東京帝国大学農科大学農芸化学科卒業/農学士・(兼務箇所) 三重県技師・(何府県/士族又ハ平民)埼玉県/平民・(氏 名) 野田義三郎・(生年月)明治十年八月 
 もう一枚の「大正四年一月一日現在」の資料では、次の記載がありました。(右はその資料のコピーです。)
 (金 額)俸 給/年 一,三〇〇円・(事 故)大正四年三月三十一日付依願退職・(原籍地/原住地)埼玉県埼玉郡大津町/久居町大字東鷹跡町・(官 職)校 長・(氏 名) 野田義三郎 
 いずれも氏名は「野田義三郎」と記され、明治43年(1910)2月から大正4年(1915)3月末まで農林学校長を務めていたことが分かります。朝日文庫『値段の/明治/大正/昭和/風俗史』では「小学校教員の初任給」が大正7年(1918)で月俸 「12〜20円」だったことと比較すると、年俸1,300円、月俸にして約108円は相当な高給取りでした。
 こうした公文書には普通本名が記載されているわけで、「義三郎」が正しいことになります。それと本籍の「埼玉県埼玉郡大津町」も略歴にはないものでしたので、調査してみました。
◇「大津町」は「大澤町」の誤記、越谷市にあった除籍では・・・

 

 

 まず「埼玉県埼玉郡大津町」が現在のどの自治体になるか調べたのですが、該当する情報はありませんでした。途方にくれて埼玉県立図書館の職員の方に相談したところ、結局昭和29年(1954)に「越谷町」に合併された「大澤町」の誤記ではないか、ということになりました。確かに調書作成者が「澤」を「津」に見間違えて、転記することは十分考えられることです。
 そこでダメモトで、越谷市役所市民課に電話を入れて担当の方に事情を説明したら、「該当する除籍がある。」ということで、即日公文書で「野田義三郎」の除籍提供をお願いしたところ、早速除籍の複写が送られてきました。
 そこには戸主「野田義三郎」の名前があり、生年月日は「明治10年(1877)8月20日」とありました。これで野田氏の本名が「義三郎」であることが確定しました。
 「本籍地」は「埼玉県南埼玉郡大澤町参千七百五拾五番地」で、経過を読むと「滋賀県蒲生郡日野町大字日田弐拾八番地 戸主 野田東三郎(同人弟)方ヨリ分家 明治参拾九年六月弐拾日届出 同日受付入籍」とありますから、野田氏が28歳の時に滋賀県蒲生郡日野町の本家から分家したことになります。野田氏が大学卒業後、この大澤町で何をしていたかは不明です。
 ただ、明治39年(1906)8月17日に「青森県三戸郡八戸町大字番町参拾番地 立花和思雄 弐女」カクさん(明治11年8月2日生)との婚姻届を出していますので、この結婚を期に分家したのでしょう。その後、カクさんは大正5年(1916)1月31日に野田氏と離婚、その直後の同年2月7日に長女・春江さんを出産しました。その春江さんは「東京都四谷区荒木町拾番地ニ於テ出生 父野田義三郎届出大正六年参月九日」と1年余り経過してから野田氏の籍に入籍しました。この背景には複雑な家庭の事情があったのでしょう。
 男やもめでは女の子は育てられなかったのでしょう。「青森県下北郡田名部町無番地 戸主 小川清 叔母」すみさんとの婚姻届を大正7年(1918)5月12日に出しています。)

 

 

 

 

◇農場を始めたのはいつか?
 以上、「野田義三郎」が本名であることは越谷市の除籍から確認できました。
 次に疑問の農場開設ですが、これは大正元年・大正6年・大正7年と三種あり、確認できる資料はありませんでした。そこで、鈴木三郎先生が野田農場の地籍表を作成されていましたので、釧路地方法務局北見支局に出かけてその地籍表に記載された地番から追跡することも考えてみましたが、現在の筆者に与えられた勤務時間では処理不可能な事務量なので断念しました。
 それで他に方法がないか考えて、北海道立文書館で所蔵資料目録を作成していたのを思い出し、当室の資料をみたところ『北海道国有未開地処分法完結文書』の一連の複製品が出てきました。この文書類は当室が開設前に発行されたもので、今後必要な資料として一年前に主幹が文書を取寄せ複製したものでした。その中の1990年(平成2)11月30日発行・北海道立文書館資料目録6『北海道国有未開地処分法完結文書(4)』の中に該当する次の箇所を見つけ、内心快哉(ヤッター)を叫び、「さすが文書館」と思いました。
  野付牛村大字野付牛村字野付牛 大正3.11.26 野田東三郎 野田義三郎  87
  野付牛町字野付牛 大正3.11.26 野田義三郎                   87イ
  野付牛町字野付牛 大正3.11.26 野田東三郎, 野田義三郎             87ロ
 この文書の「凡例」では、ここにかかれた年月日は「その土地が初めて売払許可された日付である。」とありますから、大正3年(1914)11月26日に野田義三郎は兄の東三郎と売払許可をもらったことになり、農林学校長在職中から農場を計画していたことになります。これでは鈴木先生の記述にある、義三郎氏が学校を退職後、2年かけて農場を計画していたという推測とは相当違ってきます。このあと北海道文書館に照会した結果は、次号の楽しみとします。(続く)

 

☆『ヌプンケシ』200号記念特集〜『読者から一言』(3)〜
 前号に引続き、今号もお二方の玉稿を紹介させて頂きます。


画像原稿用紙と万年筆歴史から学ぶ
田中誠

 市史編さんニュース『ヌプンケシ』が、担当者皆さんの熱意のもと発行され、200号を数えることになりましたことに、歴史が好きで『ヌプンケシ』を愛読し、活用させていただいている一人として、心から敬意を表し感謝いたします。
 作家司馬遼太郎は、『21世紀に生きる君たちへ』のメッセージの中で、歴史とは「それは大きな世界です。かつて存在した何億年という人生がそこにつめこまれた世界なのです。」と書かれています。
 この世界には、現世では求め難い人たちがいて、私は、それらの人たちから学び、はげまされ明日へ生きる力をいただいております。だから、歴史は人びとの生きてきた姿であり、知恵であると思っています。
 戦後、科学・技術の進展により経済的には豊かになりましたが、過酷な風土の中、大地を拓き辛苦に耐え抜いてきた先人たちの生きてきた姿や思いが、物質的豊かさの中に埋もれ風化しつつあり、語り継いでいく機能さえ失われつつあります。
 また、永い歳月は、それを知る人も冥界に去り、記録に遺されたものも散逸し、史実や資料の収集は容易ではなくなってきました。さらに、戦後の歴史教育が形骸化し、歴史的史実や資料に対する価値観がうすれ、保存や整理がなおざりになり、貴重な史実や資料が失われつつあります。
 このような中にあって、地道に資料の発掘、収集、整理に努めておられる市史編さん室の業務は教育的、啓蒙的な大切な仕事です。このことを広く市民の皆さんに理解していただきたく思います。
 そして、貴重な歴史と文化遺産を継承し、次の世代に引き継いでいくのが、私たち世代の責務であると思っています。
 そのため、この業務を市史編さん室だけに依頼するのではなく、歴史や郷土の史実に興味ある人たちによる、資料の発掘、収集のネットワークを構築していくことが急務であると思います。また、収集した資料を活用し、子どもたちや市民むけの郷土読本的なものを発行し、歴史に関心を持ってもらうことも大切であると思います。さらに、郷土の史実や資料を数多く集積している行政の職員各自が、資料の整理と保存に、より関心を深めていただくことを強く要望いたします。
 市史編さん室の皆さんに重ねて感謝し、一層のご活躍を期待いたします。


画像鳥と花一輪『ヌプンケシ』がもたらしてくれた幸い
吉田邦子

 機関紙として、1年の休暇を経て再開されたことを喜ばしく思っています。
 主題が、丁寧に追跡調査され、記録されていることに敬意を表しつつ愛読しております。それにしても、注がれる時間はどれほど膨大なものでしょうか。関係することについては国内外を問わず、一人の人物、一つの家族、一つの歴史を追うことは、並たいていの努力では出来ません。情報がやって来た時の喜びはいかばかりか、想像に難くありません。
 「ホーリネス教会」が『ヌプンケシ』に掲載されたのは2003年11月のNO.60でした。当時、わたしは『北見現代史』の執筆にかかわっておりましたが、「ホーリネス」については一般的な資料しか手元になく、頭をいためておりましたから、地元の人から史実が提供されて出来た記述は尊く、本当に幸いでした。市史編さん主幹の田丸誠さん(執筆者)の了承を得られ、また、編集委員会にも適切と認められて、全文を使わせていただきました。その他の項目でも、安心して、『ヌプンケシ』から活用させていただきました。
 「ただ読み進む」おもしろさもさまざまで今に至っていますが、特に『赤毛のアン』という題名が、北見では高校教諭の小池喜孝さんによって(出版社勤務時代に)命名されていたとは!この「ニュース」は、当時いろいろな人に伝えて(皆がおどろく!)大いに楽しみ合いました。
 今年は、開拓始まりから114年目、まだまだ見つけ出されるのを待っている歴史があることでしょう。『ヌプンケシ』が、200号を超えてさらに真実を見つけ出すことを期待しています。


画像菊と花職人☆筆者から一言 「ありがとうございます。」
 市史編さん嘱託員 田丸  誠

 この『ヌプンケシ』が何とか200号を数えることが出来ましたのも、皆様方のご高配の賜物と、深く感謝いたしております。
 思えば平成13年(2001)4月に何も指針のない状態で市史編さんに携わって、最初に具体的な仕事として始めたのが、市史編さん事業の広報と市民の皆様からのご質問への回答結果を載せるための市史編さんニュース、『ヌプンケシ』の発行でした。前の職場=市立北見図書館では平成6年(1994)2月から平成13年3月まで同館広報紙『オーロラ』の月1回発行に関係してきましたので、平成13年5月17日付『ヌプンケシ』創刊号には躊躇せずに取組むことができました。ですから、初期の紙面に可愛らしいカット(挿し絵)が多いのも、明らかに『オーロラ』の影響でした。しかし、号を重ねるに連れて調査研究が進み書くべきことがたくさんでてきて、A4裏表2ページという限られた紙面では「カット」は次第にカットされていきました。
 この『ヌプンケシ』を月2回の発行としたのは、できるだけ新鮮な形で市民の皆様に情報を提供したいと思ったからです。本当は毎週発行できれば最高なのですが、事務能力的にそれだけの余裕がありませんでしたので、結局月2回発行に落ち着きました。
 それと幸運なことに、当初市史編さん事業が企画部主幹の業務として始まり、同部同僚としてIT推進担当職員と親しく相談ができ、創刊号から市職員向けの庁内メール配信や、市のホームページ上に載せることができました。おかげさまで、その反響で読者の方々からご協力を得ることが出来ました。特にインターネットでは、お身内の人名検索で『ヌプンケシ』の内容がヒットして、連絡のあった馬場酒造店や上杉病院関係など、当市だけの情報では不明だったことが、ご遺族からご提供のあった史料・情報で解明されていったことは、これまで当紙を読まれてこられた読者の方々がすでにご存知のとおりです。
 当紙発行の過程で、毎回調べる度に既刊市史・町史の記述の中に、疑問点や不明なことを見つけ、それを解明するために原資料や原典を探す作業もしてきましたが、その時に大変お世話になったのが、道立図書館や道立文書館、各地の図書館・役所・役場の職員の方々です。この場を借りて心からお礼申し上げます。いつもありがとうございます。
 市民の皆様のご協力、資料提供なしに市史編さんは成り立ちません。今後ともよろしくご厚誼をお願いして、200号記念特集の結びといたします。 

《中庭だより》☆10月16日、市史編さん委員長でもある松岡義和先生を実行委員長に、ヴォーリズ建築文化ネットワーク全国大会が開催され、記念として同先生作・演出の『ピアソン夫妻とヴォーリズ』が上演され、お手伝いになったか分かりませんが、筆者も役者で参加しました。
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