ヌプンケシ213号

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市史編さんニュース NO.213
タイトルヌプンケシ
平成23年4月15日発行

◎『子なさせ地蔵』とお産婆さん(8)

◇久永万里子さんから頂いた資料から(続き) 

登録番號   住所                資格、資格取得年月日      族籍    氏名

登録年月日 開業地               受験地方廰名                 生年月日 

第六六四號 常呂郡野付牛町字       試験合格               山形縣 渡邊シヅ 

大正八年三 上相ノ内番外地                    明治四十五年四月二十一日   平民    明治二十八年 

月二十九日  同上               北海道廰            八月十五日生 

  渡邊さんは、23歳になった大正8年(1919)3月に現在の相内町を開業地に産婆登録しています。

登録番號   住所               資格、資格取得年月日      族籍   氏名

登録年月日 開業地              受験地方廰名                 生年月日

第八〇一號 常呂郡野付牛町川向      試験合格                愛知縣   二俣きみ

大正九年五 三千十五番地           明治四十三年十月二十六日  平民     明治二十一年

月二十五日 同上                愛知縣                       十二月九日生 

 二俣さんの場合も、愛知県で産婆登録し、開業していた可能性があります。

登録番號   住所              資格、資格取得年月日      族籍     氏名

登録年月日  開業地             受験地方廰名                   生年月日

第九一〇號  常呂郡野付牛町大通    試験合格              北海道   成ケ澤チヤ

大正十年   東六丁目六號          大正九年五月五日         平民      明治三十年

三月二日    同上              北海道廰                      四月十五日生

 成ケ澤さんは、23歳で試験に合格して、翌年に野付牛で産婆登録しています。

登録番號   住所              資格、資格取得年月日     族籍      氏名

登録年月日 開業地              受験地方廰名                  生年月日

第九六八號 常呂郡野付牛町字野付   試験及第               山形縣    渡邊ミネ

大正十年   牛製麻会社々宅       大正十年四月九日        平民     明治三十二年

八月十九日 同上              山形縣                       二月二十五日生

 この渡邊さんのが「試験合格」ではなくて「試験及第」とはどういう事かわかりません。推測するに学説試験は以前に合格して、実地試験がこの回で合格したということなのでしょうか。
 また、この他、次のお産婆さん達が住所訂正で北海道庁告示に登場しています。
 大正7年(1918)11月13日付、北海道廰告示第798号「一住所 常呂郡野付牛町北一條東二丁目二十二番地/一開業地 同上」 千田よしみ
 大正7年11月28日付、北海道廰告示第829号「一住所 常呂郡野付牛町北一條東一丁目六番地/一開業地 同上」 加藤きよ
 大正8年3月14日付、北海道廰告示第125号「一住所 常呂郡野付牛町四條通西一丁目十四番地/一開業地 同上」 岡リキ 

 大正9年1月21日付、北海道廰告示第40号「一住所 常呂郡野付牛町三條通西四丁目六十四番地/一開業地 同上」 嶺スエ
 大正10年4月14日付、北海道廰告示第223号「一住所 常呂郡野付牛町鉄道官舎四十號/一開業地 同上」 山岸こと
 大正10年12月8日付、北海道廰告示第877号「一住所 常呂郡留辺蘂町字留辺蘂一條通東二丁目/一開業地 同上」 坂田ハツ

◇久永さん提供の資料で分かったこと
 以上のとおり、久永さんのご協力で今まで知られなかった大正時代の野付牛に存在したお産婆さん、17名の具体的なお名前がわかりました。
 たとえば、昭和25年(1950)3月発行の『相内村史』「村助産婦の設置」の項で、「産婆は有資格者村内に居住せざりし故野付牛より随時出張を求め或いは止むを得ずして無免許の手に委ねる等不便と危険が多く村費を以て之を設置するの議もあつたが、其人を得ずして年處を経たが、昭和三年に至つて有免許者の来住を見たので村費より若干の経費を支出し補助産婆制とし其料金は貧富によって差別限定し村民の歓迎する處となつた。/此制度は同十七年に至るまで十五年間に亘つて継続し、有免許者の増加して自由開業するもの出づるに及んで之を廃止した。/此全期間を通じての補助産婆は岩田みよであつた。」と記述されているとおり、岩田さんが来住する昭和3年まで相内に産婆の有資格者はいなかったことになっていたのですが、前ページにあるとおり、大正8年(1919)に渡邊シヅさんが「上相ノ内」で産婆登録していたことは、貴重な発見だと思いました。
 前号掲載の大正2年(1913)3月に「野付牛村」で登録した齊藤榮さんの登録番号が「第42号」であったのが、今号掲載の大正10年8月登録の渡邊ミネさんのが「第968号」と急速に新産婆が増えたことをこの登録番号が証明していると思います。このことは札幌女性史研究会発行『女性史研究ほっかいどう』創刊号、北隅静子さんの論文「近代前期北海道における産婆の実態」に掲載された左表「北海道の産婆数(1886年-1926年)」からも明らかです。
 また、前号で見た通り16歳・19歳で産婆試験に合格していた人もいますが、産婆規則により実際登録したのは20歳以上になってからということも前掲の産婆名簿の内容から確認できました。
 野付牛町では明治から大正にかけては薄荷ブーム、大正中期には第1次世界大戦による雑穀ブームで経済的な基盤を形成して、人口も増え、当然お産婆さんの需要も伸びたわけで、これまで御覧のとおり前掲のお産婆さん達の多くは町の中心地に住所を置いています。(続く) 

 

北海道の産婆数(1886-1926年)

<庁令32号発令以前期>

年次末現在  産婆数  内訳    
本免状 仮免状 限地免状
1886年(明治19) 240 1 222 17
1887年(明治20) 252 3 230 19
1888年(明治21) 217 7 188 22
1889年(明治22) 144 9 118 17

 

<庁令32号発令後期>

年次末現在   産婆数   内訳    
内務省免許 地方庁免許 限地免許
1890年(明治23) 269 11 234 24
1891年(明治24) 303 16 263 24
1892年(明治25) 334 16 298 20
1893年(明治26) 337 14 304 19
1894年(明治27) 349 15 334 ?
1895年(明治28) 318 ? ? ?
1896年(明治29) 380 24 335 21
1897年(明治30) 151 32 22 97
1898年(明治31) 367 40 135 192
1899年(明治32) 290 15 69 206

 

<産婆規則全国統一期>

年次末現在  産婆数  内訳         
試験合格 従来開業 限地免許 指定講習所卒業
1900年(明治33) 413 205(登録開業)  208  
1901年(明治34) 426 209(登録開業)  217  
1902年(明治35) 442 34 197 211  
1903年(明治36) 465 54 199 212  
1904年(明治37) 481 65 202 214  
1905年(明治38) 492 20 303 169  
1906年(明治39) 525 327(登録産婆)  198  
1907年(明治40) 548 175 176 197  
1908年(明治41) 569 221 167 181  
1909年(明治42) 609 259 161 189  
1910年(明治43) 674 332 161 181  
1911年(明治44) 720 369 169 182  
1912年(明治45) 776 384 217 175  
1913年(大正2) 824 450 208 166  
1914年(大正3) 894 502 219 173  
1915年(大正4) 999 596 204 199  
1916年(大正5) 1,018 641 172 205  
1917年(大正6) 1,171 765 180 222 4
1918年(大正7) 1,229 833 175 217 4
1919年(大正8) 1,255 879 167 206 3
1920年(大正9) 1,337 991 151 190 5
1921年(大正10) 1,420 1,042 173 201 4
1922年(大正11) 1,510 1,154 147 205 4
1923年(大正12) 1,585 1,231 145 204 5
1924年(大正13) 1,640 1,298 145 185 12
1925年(大正14) 1,713 1,376 141 177 19
1926年(大正15) 1,832 1,491 ? 148 26
出典)『北海道庁統計書』

 

 

《中庭だより》☆俗な「研究家」は自分の権威づけのために、調査で発見した資料類を独占して滅多に他の研究者には見せようとしません。それに比して、これまで当室に惜しみなく資料提供されてきた久永さんは、本当に心の広い方だと思います。心からお礼申しあげます。感謝。
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