ヌプンケシ237号

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市史編さんニュース NO.237

タイトル ヌプンケシ

平成24年4月15日発行


◎焼き肉の街=北見のこと(8)

◇軍需産業としての軍靴製造

 ルポ作家・鎌田慧氏の著作『ドキュメント屠場』で軍靴と戦争の関係を見ておきましょう。

 「日露戦争は、軍靴の膨大な需要をつくりだした。開戦当初は、皮革資源が枯渇していたため、藁靴を東北各県で五六万足も調達している。東京本所の『陸軍被服廠』の工場で軍靴の製造がはじめられた。陸軍の靴を供給していた、桜組、大倉組、東京製皮会社、福島合名会社の四社が合同して、一九〇二(明治三五)年、大倉喜八郎を取締役会長とする『日本製靴株式会社』が設立された。同社はドイツから機械を購入して、軍靴の製造を独占した。

 また、日本の『タンニン鞣(なめし)』は、日露戦争のロシア人(ポーランド人ともいわれている)捕虜から『姫路製革所』に伝えられた技術による。この戦争で羊毛衣服を賄って大儲けした川西清兵衛が、一九一一年、『姫路製革所』を買収して『山陽皮革』を創設したのは、皮革史上での重要なエピソードである。同社は巨大な軍需工場として発展し、一九四一年、陸軍主計中将が社長となり、憲兵駐在の工場となったが、四五年六月、空襲を受けて灰塵に帰した。

 屠畜にともなう発生物の皮は、戦国時代から武具、兵器に使われている軍需物資だった。」

 合成繊維が発明される前は、牛馬の皮は武具・馬具・軍靴等の製造に不可欠だったのです。

◇昭和13(1938)9月1日付『北見毎日新聞』の記事

 それに関して、昭和13年9月1日付の『北見毎日新聞』に「野付牛屠場で開く/皮革資源と愛護講習/道庁軍部から講師来町」との見出しで、次の予告記事がありました。

 「北海道畜産組合では酪聯(北海道製酪販売組合聯合会の略-引用者)と共催し皮革資源愛護並に品質向上を目的として/全道一斉講習会を開催するが野付牛屠場開催は九月二十五六の両日で第一日は午前八時に始まり第二日は午後五時終了の見込みである参加区域は/野付牛、網走、斜里、興部、中湧別、佐呂間、名寄、中頓別、浜頓別/の各屠場関係者で其科目は/皮革資源愛護に就て/講師 道庁技師/屠場関係法規/講師 道庁技師/剥皮法 同上/原及(皮の誤記?‐引用者)の規格並に鑑定/講師 陸軍局/原皮取扱/講師酪農技師杉山昇/等でこの外に牛馬豚子牛に就て各関係講師/実習を行ふ由受講者は作業服とゴム靴を用意されたいと而して遠隔の地より出席して滞在するものには一日二円程度の手当を支給すると」

 昭和12年7月に消耗戦の日中戦争が始まりましたから、「皮革資源」の確保は重要なことであり、それで道庁と陸軍から講師を呼んで、昭和13年8月22日から操業をはじめた新しい野付牛屠場のお披露目もかねて、同年9月2526日と講習会を開催したのでしょう。 

◇内臓も販売統制

 昭和14(1939)年に価格等統制令が公布され、太平洋戦争突入を前にして食肉配給統制規則が昭和16(1941)9月20日に公布、同年1020日に施行されました。

 同じ1020日、農林省告示第七百八十三号で「価格等統制令第七條ノ規定ニ依リ牛及豚ノ内臓等ノ最高販賣價格」を示しました。『焼肉の文化史』の著者、佐々木道雄氏は、この告示からヒントを得て、それまで未解明分野であった内臓食の調査をスタートされたそうです。

部位別の小分け売り最高価格 上の表は『焼肉の文化史』で同氏が告示を整理されたもので、この「告示をよく見ると、牛の大腸や、豚の小腸と大腸の分類がない。これらは『その他の臓器』に含まれるのであり、価格が他の食用臓器よりも安い。このことから、戦前の日本では大腸や小腸の需要は低かったと考えられる。特に糞が詰まった大腸は、きれいに洗う手間が大変なこともあり、比較的に安く取引されたと考えられる。」とあります。戦前、日本では大腸等は余り食べなかったようです。

◇『北見のおばば』の「臓モツ」

 市民の方から〈『北見のおばば』に「臓モツ」とあるが、あれは何か〉との質問がありました。『北見のおばば』というのは、戦中・戦後、動乱期の国鉄静心寮の寮母であった菊地トメさんの一代記を、お世話になった松田鐵也氏が小説にして昭和57(1982)1月出版されものです。

 問題の文章は同書400ページにあり、「北見の街の肉屋へ行って臓モツを買った。一週間に一回でも寮生に栄養を摂らせたいと思う。そしてできるだけのことはやった。」とあります。

 昭和24(1949)にトメさんは逝去されていますから、敗戦後の最晩年、寮生の食糧確保に奮闘していた時期のことのようです。臓モツ=内臓の料理は、戦前陸軍のレシピにもあり、食糧難で精肉が手に入らない状態では、大変貴重な食材であったということです。

 ただし、「内臓と一口で言っても、部位によって取り扱い方法も食べ方も異なり、食文化の伝統によって、貴重とされる部位もあれば顧みられない部位もある。日本ではそのうち、舌や肝臓、心臓などは比較的に好んで食べられたが、牛豚の大腸などはあまり好まれなかった。この牛豚の大腸を主体とする内臓(安価な部位)の多くが、部落や在留の朝鮮人、そして下町の焼き鳥屋や安飲み屋に流れていったのである。」(『焼肉の文化史』より)

 従って、質問の「臓モツ」は「舌・肝臓・心臓」であった可能性が高いと回答しました。

◇地元で生産していた七輪

工業試験場長賞に輝く北海コンロ ところで北見の焼き肉で無くてはならないのは七輪(コンロの種類)ですが、実は昔北見で生産していたのです。その証拠に、昭和32(1957)行『北見市史』には特産品の一つとして右に提示した「北海コンロ」の写真が掲載されています。

 昭和25(1950)1月発行の、『北見商工名鑑』によれば、生産していたのは「北海珪藻土工業株式会社」(代表者石崎彦二)で、工場は「北五條東四丁目」にあり、創業は「昭一六」とあります。創業の昭和16(1941)は太平洋戦争に突入した年であり、全ての物資が不足し、燃料も手に入らない状態になりましたから、木炭などで調理ができるコンロは家庭の必需品になって、生産を始めたでしょう。

 この「北海コンロ」がなくなった時期は、資料がなくて明確でありませんが、都市ガス・プロパンガスの普及と共に家庭から消えていったと考えています。

 しかし、木炭の遠赤外線効果は肉の芯まで早く熱を透し、余分な脂を落とすそうですから、これからもおいしく健康にホルモン焼きを頂くには七輪は絶対欠かせないようです。(続く)

 

《分庁舎だより》☆4月1日の異動で、川名総務部次長が市史編さん主幹の事務取扱となりました。また、青木市史編さん係長が危機管理担当係長に異動し、後任には竹口係長が配置になりました。なお、嘱託には小野寺嘱託員が配置されました。よろしくお願いいたします。()

 

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