ヌプンケシ247号

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市史編さんニュース NO.247

タイトル ヌプンケシ

平成24年9月15日発行


野付牛外一箇村戸長役場野付牛外一箇村戸長役場の写真は…

 右の写真は昭和32(1957)発行『北見市史』に明治30(1897)10月建築の「野付牛外一箇村戸長役場」と紹介されているものです。いつもこの写真を見ては、上がちょん切れていて不自然だなと思っていました。それで元になった写真を探してみました。

◇大正5年(1916)頃の野付牛村役場だった。
 そうしましたら、大正5年6月発行の『北見國中野付牛兵村屯田記念帖』に該当する写真を見つけました。ご覧のようにページの上部に野付牛郵便局の写真があるので、画面の一部を切取って構図を整えるトリミングをして『北見市史』のような写真になったのが分かりました。

 記念帖の説明には「野付牛村役場」とあり、虫眼鏡で看板を確認して見ると「常呂郡野付牛村役場」と読めました。大正5年4月には町制を施行して野付牛町になっていますから、つまり、この写真はそれ以前に村役場の様子を写したもので、明治30年建築当時のものではなかったのです。この写真で奥にもう一棟建物があるのがわかります。

野付牛郵便局 このほかに昭和61(1986)12月発行の写真集北見パート2『ふるさと北見』にも下段の野付牛村役場の写真が掲載されてますが、筆者の記憶では、これの元の写真は丸玉の鈴木浩気氏の夫人、きちさんが大正2年(1913)に亡くなった時の盛大な野辺の送りを撮影したものです。それをトリミングしたので、役場手前に葬儀用の造花が見えるのです。この写真には2本の煙突と井戸が見えます。

 今のところ、これら以外に戸長役場関係の写真は見つかりませんでした。

◇建物内部の様子は

 実際の戸長役場、村役場の建物内部を示す図面類は全くありません。そのかわり大正4年(1915)7月21日付『釧路新聞』に

 

 「新村長を訪ふ」と言う見出しで、当時の村役場内部の様子がうかがえる記事がありました。

  「●野付牛村告示第二号、前田駒次、竹内榮明、林保衛 右大正四年七月九日北海道庁長官の認可を得て村長、助役、収入役に就任せりと云う告示が役場前の掲示板に張り出された/●庁舎と云へば厳めしいが風雨幾星霜軒は傾き柱は朽ちて雨漏りはする 曇り勝ちの日には午後四時頃からランプ『釧路新聞』を点ずる程の荒屋(あばらや)も新村長、新助役、新収入役を迎へて人心なんとなく一新された様に見ゆる/●事務の分担も新らたに定められたと見えて一課は大柿書記、二課は服部書記を首席とし 各係の書記が首席の前に二列に居流れ 収入役林君は金庫を左に控へ職務柄窓口に向ひ 助役の竹内君は全員を一瞥(いちべつ)し得る村長室の前に席を構へた/●新村長前田駒次君は悠然村長室に納まつて各係の進達し来る書類に熱心眼を通し乍ら机の引出しから認印を出してポツリポツリ決済して居る/●村長室の一隅に村長用の小さな金庫が在つて其上に風呂敷包みの弁当が置いてあつた(後略)」

 この記事を読むと、当時の村役場は「軒は傾き柱は朽ちて雨漏りはする」状態で室内は薄暗かったようです。事務室には一課と二課の席が2列並び、収入役は金庫を横に窓口正面に位置し、それらを一瞥できる位置に助役の席があり、その奥か、横に村長室があったようです。前田駒次氏は当時北光にあった自宅から役場に通ったようですが、それ以前は他町村から来た戸長、村長でしたから、役場裏にあった別棟はその宿舎だった可能性があります。

◇復元された旧永山戸長役場との比較

旧永山戸長役場 そこで参考になると思われたのは永山市民交流センター敷地内に復元された旧永山戸長役場です。インターネットによると、その表示板には復元までの経緯が次のように記されています。

 「(前略)明治26年6月、旭川村に戸長役場が設けられたのに伴い、永山戸長役場は、永山村と旭川兵村が所存する旭川村字ウシシュペツの地域を所轄することとなった。その時に永山戸長役場の庁舎として建築されたのが、この建物である。/明治39(1906)4月に永山村は二級町村制の指定を受け、戸長役場は村役場として改称された。しかしなお引き続きこの建物は、大正10(1921)11月まで、ほぼ30年間、永山村戸長役場・村役場の庁舎として使用されたのである。その後、建物は民間に払い下げられ、現在の旭川市東6条4丁目に移設されて、幾多の増改築をみながら、平成4年(1992)まで民家として利用されてきた。/この建物は、北海道における明治初期の役場庁舎建造物として、極めて珍しく、貴重な遺構である。ここに旭川市は、平成6年(1994)、解体材を利用し、戸長役場当初の姿を推定して復元した。」(上の写真は、その復元された建物です。)

 旭川市の市史編集担当の方からも復元図面類も頂きました。比較すると野付牛外一箇村戸長役場(村役場)と多くの共通性があるようでしたが、目立って違うのは出入り口の位置と窓の形で、窓は永山のが上下に開閉するギロチン式で、野付牛は引き戸になっています。なお、復元された役場内には便所が見えないのですが、筆者も推定したように隣接した別棟宿舎があって、そこで用をたしていたとでも想定したのでしょうか。

 野付牛村旧役場は大正6年(1917)に町役場が北4条東1丁目に新築・移転すると民間に払下げされ、昭和32(1957)頃までは関石材店になっていましたが、その後は全く不明です。(完)

《分庁舎だより》☆別件で『家庭北見新聞』複写綴を見ていましたら、昭和31(1956)7月20日付に「北見最初の戸長役場」と説明のある不鮮明な写真を見つけました。筆者が初めて見る正面写真で、しかもよく見ると屯田記念帖写真の役場より小さく、形や窓が旧永山戸長役場復元図と一致しました。次号は、それを調査した結果を報告したいと思います、お楽しみに。()

 

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