ヌプンケシ249号

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市史編さんニュース NO.249

タイトル ヌプンケシ

平成24年10月15日発行


◎野付牛外一箇()村戸長役場が写った写真があった(2) 

◇前号の写真は、野付牛外一箇村戸長役場が写ったもので間違いなし。

 大正時代の村役場写真の門柱側面を虫眼鏡でよく見ると、縦にホゾ穴が並んでいます。これは戸長役場の門柱に連結していた塀が撤去された痕跡でしょうから、村役場の門柱は戸長役場と同じもので、一連の写真は場所的に同一地点を撮った証拠になります。

 それと二級町村制を施行し、生顔常村を廃し「野付牛村」になったのは明治42(1909)4月1日のことですから、前号で推測した門柱看板の表示形態からも、前号で紹介した写真が明治41年時点の「野付牛外一箇村戸長役場」が写ったもので間違いない、と筆者は判断しました。 

◇もう一枚、旧「戸長役場」が写った写真を見つけました。

『北見之富源』写真 他にこの「戸長役場」が写った写真がないか、資料を探したところ、以前当ニュース 36号で取上げた貴田国平氏が明治45(1912)4月に発行した『北見之富源』314ページに「野付牛旧市街の景」と題する、現在の大通り東9丁目の交差点付近から駅の方向を写した右の写真を見つけました。

 原本じたいが不鮮明なので見にくいかとは思いますが、画面左側に火の見用の梯子と半鐘らしきものが見えますし、板塀もあります。掲示板らしきものもあります。ポンプ置場の屋根部分もありますから、前号で掲載した状態の同じ役場建物と見て良いでしょう。この写真が撮影されたのは『北見之富源』発行前の明治44年頃と思われますから、その時点では旧「戸長役場」施設がそのまま「野付牛村役場」として使用されていたことになります。

◇新築でも、増築でもない証拠は…

 しかし、そうなると今まで昭和32年発行『北見市史』などで「戸長役場」と説明されてきた「村役場」は明治44年以降に新築か、増築されたことになりますが、筆者はこれまでそのような工事を実施した情報は見聞したことがありません。もし、何らかの工事をしていたとすれば、247号で引用した『釧路新聞』の役場建物の老朽化を示す記事と大きく矛盾することとなります。

murayakuba.jpg村役場 それと前ページに掲示した、大正2年(1913)に撮影された鈴木浩気夫人の葬列写真に写った村役場、大正5年(1916)6月発行の『北見國中野付牛兵村屯田記念帖』の村役場、それぞれの壁面部分をよく見ると妙な汚れがあるのに気づきました。正面玄関屋根の上部壁面に、屋根型のシミがあるのです。このようなシミは新築であれば、つくはずがありません。また、増築したとすれば、壁面の下見板に継ぎ足したような跡があるはずですが、それも認められません。

◇仮説として…郵便局舎が最有力

 これまでのことを考えあわせて、筆者は仮説として他所から既存建物を移動してきて、村役場に転用したと考えています。当時の建物の土台は塚石程度でしたから、土台をはずして簡単にコロ(冬期はソリ)に載せて移動させることが出来ました。これであれば、工事は移動と土台設置だけで済みますから、施工期間も短く、役場の休業も短期間で済んだことでしょう。

 それでは、周りの既存建物で役場に転用できる適当な施設はあったか、ということになるのですが、筆者は郵便局舎が最有力と考えています。

 野付牛の郵便局は明治30(1897)4月に現在の本町4丁目の緑園通り側に最初設置され、同年10月に屯田市街が区画されたのにあわせて大通り東8丁目に移転しました。戸長役場の方も同年10月(「12月」説もあり)に庁舎を、郵便局とは1丁違いの東9丁目に建設、移転してきました。ということは、両施設の老朽化も同程度ということになります。

 下の絵は、先月9月にパラボで展示会をした西村肇氏の描いた墨絵で、表題は「大正元年頃の市街」です。これで見ると、郵便局と役場の位置関係が皆さんにもよく分かると思います。

『大正元年頃の市街』

 郵便局は大正元年(1912)11月に大通り東1丁目角に移転しています。関連して明治45(1912)7月26日付『釧路新聞』には鉄道の開通で「従来の局舎は狭隘且市街の中心にあらざるに至たる為」利用者に不便なので「新市街大通り停車場向角に位置変更」し、局舎を建てる請願を出したとあります。また同年9月4日付同紙には「△新郵便局上棟 位置変更新築中の野付牛郵便局は昨三十一日上棟式を為したるが不日落成の筈なり」とあります。ですから、従来の局舎は狭隘で移築せず、駅前の局舎は新築された建物であったことになります。ということは、大正元年11月時点で、大通り8丁目の旧局舎はお役ご免の空家だったことになります。

 大正2年の葬列写真に写った村役場の脇に何かが乱雑に散乱していますが、これは移設で邪魔になって撤去された板塀等の残骸とにらんでいます。以上のことから、同年春頃に旧戸長役場は背後に移動させられ、正面に旧郵便局舎がすえられて「村役場」になったと推論しています。しかし、これはあくまでも仮説です。今後とも地道に確証を探索したいと考えております。()

 

《分庁舎だより》☆今号を書き終えた後、偶然昭和62(1987)12月発行『北見市史』年表編の巻頭写真で「野付牛村、戸長役場(大通り9丁目)」と説明のある、前号掲載と同じ写真を見つけました。年表本文は常に見ているのですが、巻頭写真は全く無視していました。反省…()

 

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