ヌプンケシ58号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157‐25‐1039


市史編さんニュース NO.58
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平成15年10月15日発行

◎ 菊まつりが開催されます!

 今年も菊まつりが10月15日から11月3日まで、三輪にあるサンドーム北見で開催されます。
第51回北見菊まつり 市民の皆さんが丹精こめて育てられた菊の見事さに、毎回感嘆させられます。「市の花」が人口10万人達成を記念して、昭和54年(1979)
4月20日に「菊」と制定されたのも「菊まつり」が当市の伝統行事として定着しており、菊が市民に親しまれてきた結果と言えるでしょう。今回はその菊祭りの歴史について、簡単にレポートしてみたいと思います。
◇菊まつりの発端は有志による菊花展
 『北見市史』年表編によると、昭和26年(1951)11月3日から5日まで、丸い百貨店で「戦後初の菊花展」が開催されました。「戦後初」というからには戦前にも菊花展が開催されていたことになりますが、昭和33年10月5日の北見新聞に、戦前から菊つくりをされ、戦後「北見菊花会」の初代会長になった(故)宮武義雄氏が次のように証言されています。
「…そう昭和12,3年ころでした。電気会社にお勤めの姫野享さんなど10人ぐらいで菊花会を結成しまして、丸いデパートの3階をお借りして菊花展を毎年ひらいたものです。(中略)しかしこの親しまれた菊づくりも戦争には負けました。はげしくなってきた戦争のお蔭で花いじりもダメ、花づくりでもしようものなら非国民だなどと言われるのが嫌さに皆さんは惜しみながら断念したものです。18年頃には展覧会も出来なくなり、さて終戦を迎えたもののこの打撃と当時の人たちが散ったなどで再び会を持つのに相当の時間を要しました。(後略)」
 昭和26年11月1日付北見新聞のコラムでも「戦前からずいぶん長いこと、同好者はひそかに菊を作っていたのが、晴れて展覧する機会をもたなかった。平和な世の中になって作る人も見る人も心から楽しめるのは、ありがたいことだと思う。」と書かれ、その主催は「北見菊花同好会」だったそうですから、戦前から、観賞用の菊を育ててきた菊愛好家が北見には相当数いたと推測できますし、また戦争体制はそんな庶民のささやかな楽しみさえも、戦時ということで奪ってきたことがわかります。
 現在、菊まつりの第1回目と位置づけられているのは、「北見菊花同好会」から発展した「北見菊花会」が主催して、第6回北見市文化祭行事の一つとして昭和28年11月1〜3日、北見商工会議所で開催された菊花展です。戦後、行政も地域文化の向上を重視し、北見市文化祭を昭和23年から毎年開催していました。昭和29年も菊花展が文化祭の皮切りとして、11月2〜4日、同会場で開催されています。昭和30年11月5日付けの『北見新聞』を見ると11月3日から「菊花展は大賑わい」とあり、これも第8回北見市文化祭行事でした。
 こうして「北見菊まつり」は、菊を愛する市民有志の活動から始まったのです。
◇菊花展の拡大発展
 この菊花展を行政的にバックアップして、市民的な行事に拡大していったのが、伊谷半次郎市長でした。伊谷市長の出身地は滋賀県で昔から菊栽培が盛んで、今でもたとえば彦根市では本年10月14日から11月14日まで「第53回菊花大会」が開催されるなど、県内各地で菊花展が開催されています。彼自身も初期の菊花展に自作の菊を出品したほか、市議会議員や市職員にも出品を働きかけるなど、この行事をまちづくりの一環として盛り立てました。
 昭和31年の第9回北見市文化祭は、北見市開基60年・市制施行15年記念行事として8月5日から8月12日まで開催されたので、菊の咲く時期もあってか、この年から菊花展は全く文化祭から分離独立した行事となったと考えられます。『北見観光協会創立50周年記念誌』によると、会場は同年7月に完成した市役所前の「小公園」になったとありますが、手元の資料・新聞をいくら探しても、その開催日程がでてきません。これも今後調査してみたいと思います。
 北見新聞の記事によると、昭和32年(1957)は名古屋から菊人形師を招き、「鞍馬天狗」「藤娘」など菊人形6体をつくり、10月27日から小公園で開催されました。この企画が当たって大変な人気になったようです。
 ところで、『北見市史』年表編では「道内で初めて枚方市から菊人形師を招き」とあります。新聞や「広報きたみ」の記事を見る限りでは、菊人形師は名古屋から招いたと書いてあっても、大阪府の枚方[ひらかた]市はでてきません。また、年表編では制作した人形が5体になっています。年表編が間違っているかどうかは、根拠資料が分からないので判断のしようがありません。これも今後整理が必要です。ただし、枚方市の菊人形は明治43年(1910)以来の伝統があり、全国的に有名なので、年表作成の際に混同したのかもしれません。
 昭和33年は10月25〜28日、菊人形師たちが作った18体と指導を受けた菊花会員の処女作品8体、合計26体の菊人形と300有余の菊花が展示され、一層の評判を呼びました。
◇「菊花展」が「菊まつり」になったのはいつからか?
 新聞記事をざっと眺めてみますと、「菊花展」がいつの間にか「菊まつり」になった印象です。「菊まつり」という名称が北見新聞に出てくるのは、昭和34年10月1日の記事で「今年は菊花展に彩りを添えようと“菊まつり演芸会”の新しい計画が練られており演芸会は来月三日午後一時から市庁舎前の特設舞台で行われるほか、菊人形の写真を百円で売る計画もある。」とあります。菊花展の添え物としての演芸会の頭に「菊まつり」が使われたのが最初のようです。この年の菊花展は10月31日から11月8日まで開催され、延べ15万人以上の動員があり、商店街も大売出しで相乗効果があったようです。
画像きく 正式に「菊まつり」になったのは昭和37年からのようで、新聞記事の中に「第10回北見菊まつり」という名称がでてきます。
 紙面がつきてきましたので、詳しくはかきませんが、「菊まつり」は会場を移しながら、全国、全道にも有名な行事に発展してきました。昭和49年からは、菊まつり実行委員会を組織し、全市的な取り組みになりました。平成2年には市内の女性有志が集まって北見菊人形着付会を結成し、自分達の手で菊人形づくりをはじめました。
 これからも市民の手づくりで「菊まつり」がますます発展することを祈念して、筆者も香り高い菊花見物にでかけてきます。

《中庭だより》 
☆10月8日、富山県にお住まいの島田久さんが来室されました。河童同人関係資料を提供して頂いて以来、親しく電話でお元気なお声はお聞きしていましたが、今回初めてお会いしました。でも全然初対面の気がしませんでした。島田さんは戦前「ホーリネス教会」の日曜学校に通われたとのことで、そのことを手記にされるようお願いしました。ホーリネス教会は戦前北見では一番信者数の多い教会だったのですが、権力の弾圧で消滅させられました。しかし、どこにも具体的な証言や資料がありません。島田さんにはぜひ書いて頂きたいと思います。
☆同日、小林正編集委員が書かれた史稿第6号『戦争体験と帰らない人々』が200部できあがりました。図書館にも配布しましたので、興味ある方はお読みください。
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