ヌプンケシ101号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.101
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平成17年8月1日発行

◎シベリア抑留と北見市民(4)
jimuhokoku 前号はシベリア抑留から帰国する過程をおおまかに拾ってみましたが、今号は北見市での実態にせまってみたいとおもいます。公文書として記録が残されているのは、昭和17年に市制が施行されてから毎年市会に提出された『事務報告』しかありません。そこで、昭和21年(1946)、23年、24年、25年の『事務報告』から実態数値を見ることにします。なお、昭和22年の『事務報告』は残念なことに行方不明です。
◇戦争末期、北見市でどれだけの男たちが戦争に動員されたか?
 昭和21年の『事務報告』の援護係の項に、「終戦以降軍人軍属復員並びに未復員状況」の表があります。それを見やすく表にすると以下のとおりです。表にある「軍属」とは、軍人以外で本人の意志により職業として陸海軍に勤務した人のことです。また、「復員」とは、軍役を解除されて民間に戻ることです。

区分 陸軍 海軍 軍属
復員者 1,887 511 108 2,506
未復員者 496 23 15 534
合計 2,383 534 123 3,040

 この表では、昭和21年の時点で、戦争に動員された3,040人の男たちが記録上は生存していたことになります。これに市史編さん担当で調査した昭和16〜20年の戦死者625人が加わりますから、凡そ3,500人以上の働き盛りの男性が、当市から戦場に送り出されたと見られます。
 人口を見ると、昭和19年の北見市の総人口は33,204人で、昭和20年が36,999人、昭和21年が37,299人です。昭和19年と20年では、3,795人増えていますが、これは外地引き揚げ者と復員兵が北見に流入したことを示しています。そこで基本的な敗戦前後の当市の総人口を37,000人と想定すると、3,500人では9.46%、3,040人では8.22%となり、「人口の8〜9%」が戦争に動員された、と推定できます。
 この数字を現在と比較して見ましょう。平成12年(2000)国勢調査の当市総人口は112,040人、うち男性 (1)20〜24歳 4,693人、(2)25〜29歳 4,067人、(3)30〜34歳 3,339人でした。
(1)4,693人+(2)4,067人=8,760人で、総人口対では7.82%になります。戦争末期には30歳以上も動員されていますので、これに(3)を加えると、12,099人になり、比率は10.80%となります。この数値を見ても、青年層の「根こそぎ」に近い動員であったことが理解されるでしょう。
◇昭和23年(1948)の時点では?
 昭和23年『事務報告』にも、「終戦以降軍人軍属復員竝に未復員状況」が記載されています。昭和21年と大きく違うのは、「軍属」の区分がなくなって、備考に「陸海軍共軍属を含む」と書かれていることです。なお、原表では、「未復員及未引揚者」として未復員109人と並べて、未引揚者52人が記載してありましたが、下記の整理した表では省きました。

区分 陸軍 海軍
復員者 2,190 516 2,706
未復員者 109 0 109
合計 2,299 516 2,815

 これで明らかなのは、昭和21年の総数が3,040人だったのが、昭和23年では2,815人で、225人減っていることです。これは、記録上の未復員者の内で、しだいに戦死者が明確になり整理された結果と推測しています。それと昭和22・23年の2ヵ年の復員者の総数は、2,706人−2,506人で200人になります。昭和23年の『事務報告』の記録には、同年一年間の復員者数を132名としていますから、昭和22年の復員者数は差し引き、68人と見られます。
◇シベリア抑留からの復員者数は?
 さて、次にシベリアからの復員してきた人数ということになるのですが、昭和22年の68人の中に、シベリアからの復員者が何人いたか、分かる資料は現在手元にはありません。
 昭和23年の『事務報告』では、シベリアからの復員者数を99人としています。そして「復(未復)員一般の状況」という項目では、「イ.南方方面地区は次の者を残し復員完了/戦犯関係一名、部隊逃亡状況不明者二名」とあり、「ロ.ソ領地は本年度末(昭和24年のこと—引用者)を以って復員完了の予定/ソ連抑留者より留守宅にもたらされた音信現在65名」との説明がなされています。これを整理すると、南方地区は復員が完了し、3名が未復員ということは、未復員者109人から3人を引いた、106人のほとんどがシベリアに抑留されていた人の数ということになります。その内、音信で生存が確認できたのが、65名ということでしょう。
 昭和24年『事務報告』では、次の記述があります。「北見市外地引揚者受入本部について/市役所社会課に事務所を置く。北見市外地引揚者受入本部は、昭和24年度引揚の再開に伴ない七月一日、北見駅前に援護所を開設した。引揚者とは言え、殆んどがシベリア復員者であるが、北見市婦人会の輪番制による勤務により、所期の成績を収めて十二月二十七日閉鎖した。/その状況は次のようである。/一.出迎日数 55回、/一.下車人員 八十二人、/通過人員 百七十六人、/一.接待人員 二百五十八人、/一.婦人会員出動延人員 三百四十八名、/一.市民の出迎者概数三千名」この「下車」した82名の大部分がシベリア復員者と見られます。
 昭和25年『事務報告』にも「終戦以降軍人軍属復員並に未復員状況」があります。 

区分 陸軍 海軍
復員者 2,262 516 2,778
未復員者 27 0 27
合計 2,299 516 2,805

 総数では、昭和23年が2,815人だったのが、昭和25年は2,805人と10名の減になっています。この減は未復員者の内の死亡者だと思います。陸軍復員者では、昭和23年が2,190人に対して、昭和25年は2,262人で、72名の増になっています。これが昭和24年以降シベリアからの復員者実数だと考えています。未復員者27名はシベリアに残留させられた人達でしょう。
 北見市民でシベリアに抑留された人数は、昭和23年復員99人、その後の復員72人、残留組27人、これにシベリアで死亡した14人、以上の合計212人に、昭和21・22年にシベリアから復員してきた可能性のある人数をたした数ということになります。つまり、212人以上もの北見市民が「戦後」もシベリアに抑留され、貴重な人生を翻弄されていた、と言えます。(続く)

《中庭だより》
☆この連載を書くために様々な本を集めていますが、先日抑留を経験した画家香月泰男について書いた立花隆著『シベリア鎮魂歌』を読みました。昨年6月に道立近代美術館で彼の作品展がありましたから、「シベリア・シリーズ」をご覧になった方もいるかもしれません。この本で創作を通して国家を告発せずにはいられなかった、画家の内面が少し分かった気がしました。
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