ヌプンケシ107号

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市史編さんニュース NO.107
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平成17年11月1日発行

シベリア抑留と北見市民(10)

◇収容所書記トリコ
 清水豊吉さんの『俘虜追想記』で「ザマトフ爺さん」のことを紹介しましたが、この『語られざる真実』にも「トリコ」という親切な老人が登場します。
 「トリコというのは、わたしたちの収容所につとめていたウクライナ人の書記の名前である。/やせて歯の抜けた老人だった。そのころ、わたしは通訳として彼と共に働いていた。」
 「トリコは、妻も息子も財産も、こんどの戦争でみんな失ったそうである。」
 捕虜の間に「死人が出たとき、その埋葬はトリコの仕事である。トリコは、墓地のどこに穴を掘り、どう針金をはるか、などといったことを熱心に計画する。トリコがいつになく顔を赤らめ、ひどく怒るのはウオエンノプレンニク(捕虜−引用者)たちが、身体の疲れと心の荒みから、死体をそまつに取り扱う場合であった。死体が裸で葬られるのに堪えられなくて、ジュバンとズボン下を着けさせるようにしたのも、彼である。」
 彼は自分のタバコを捕虜たちに与え、自分の喫煙する分もなくなってしまう。「そういう時彼は所在なさそうに頬づえをついてつぶやく。『タバコをのむのは悪い習慣だ。わしはタバコに月給の半分以上も費してしまう。』」どの捕虜も「あのじいさんだけは神さまみたいだ」という。
 「1946年の夏の間に、わたしは、プーシキン、レールモントフ、ベリンスキィなどのいくつかの作品を読むことができた。それらをトリコ老人がわたしのために町の図書館から借りて来てくれたのである。/人目を忍んでそれらを彼はわたしに渡した。人目を忍んでそれらわたしは読んだ。」後に彼は収容所を去るのですが、何も代償を受け取ろうとしなかったそうです。
◇ロシアの老人達

roba 他の抑留記録を読んでも、総じてロシアの老人たちは日本人捕虜に親切に接し、若い世代は粗暴で傲慢な態度を取っていたのが読みとれます。老人達の方が宗教心もあり、帝政ロシア以来の戦争の悲惨さを身にしみて感じて、捕虜に同情し、若い世代はソ連が戦勝し、世界の「大国」になった驕りにすぐ染まって行動していたということでしょうか。
 菅が心荒んで「死んでしまえ、死んでしまえ。おまえなんか死んだって、人類の歴史は、これぽっちも動揺しない。」と自嘲して雪道を歩いているとき、「わたしのすぐ前で、やわらかな『ズドラーストウィチェ(こんにちは)』という声。顔を上げて見るとプラトーク(頭巾)をかぶり買物かごをさげた見知らぬ老婆である。この婆さんは、ウオエンノプレンニクのわたしがあんまり哀れな姿で歩いているので、あたたかい慰めといたわりを『ズドラーストウィチェ』のあいさつにこめてわたしに送ってくれたのであろうか。彼女の声は、わたしのからだ全体にあたたかくしみわたった。『ズドラーストウィチェ』のもとの意味が『健かであれよ』である、ということも、思い出された。/それ以来、あの婆さんの顔は、わたしのふるさとの老いた母の顔となり、声だけはロシア語で、わたしの心をうるおしつづけている。」
 またある時、菅が一人で汽車に乗った時「車内でわたしはえんりょして立っていた。すると、近くに坐っていた労働者風の老人がわたしに呼びかけた。『ヤポンスキィ(日本人)! なにも恐ろしがる必要ないよ、ここえ座れ!』そして、彼はわたしの腕を取って自分の前に坐らせた。老人は酔っているらしかった。」婆さん連れの老人はタバコをのまない菅に、何度もタバコをすすめるので「まわりの人々は笑う。婆さんは、気をもんで、老人の膝をたたいたり、腕を引っぱったりする。しかし老人はかまわないでわたしに話しつづける。『戦争はいやだな、おれだって、こんどの戦争で、方々で戦ったんだぜ。人も何人か殺したさ——上官の命令だってんでね。憎くもなんにもないのによ。』婆さんはついに老人の顔を両手ではさんで窓の方に向けさせた。『ほらほら、あそこをごらん。』すると老人は窓を見た後、のんびり言った。『うん、あそこにも人間が歩いとる。』」
 レンガ工場の食堂で計算係の昼食が終わるのを待っていた菅の背後から「わたしの前のテーブルの上に、一皿のばれいしょのスープがさし出された。そして太い低い情のこもった声、『ワイナー・プローホ(戦争は悪い)』」といった労働者もいました。当然のことですが、ロシアの民衆にとっても、あの「戦争」は悪であったのです。
◇女性軍医ドクトル・ザニコ
 「わたしたちの収容所にザニコというロシア女の軍医大尉がいた。34、5歳、小がらでやせている。夫があったか、どうか、しらない。日本人の軍医たちは、かげでは、『ばばあ』とか、『オールドミス』とか呼んでいたが、そのくせ、何かと関心を示していた。彼女の服装は、普通の軍服の上に白衣を着ていた。それが一種の潔ぺきな美しさを出していた。化粧は全然しない。わたしは一度彼女にたずねた、『ソ同盟の女性は、化粧しないんですか?』彼女は笑いながら答えた、『化粧する女性もいる。しかし、わたしは化粧に意味を見出さない。』」
 菅が注目したのは外見でなく、その仕事ぶりでした。「冬の朝、わたしたちのウオエンノプレンニクは、作業出発のため、営門前に立ちならぶ。冬のさなかには、零下20度から30度になり、しかもひどい風が吹いた。凍傷の可能性は多分にあった。ザニコは、作業出発には必ず立ち会った。そして、ウオエンノプレンニクたちに、『誰かからだぐあいの悪い者はないか?』とたずね、わたしたちの服装、とくに手袋と靴をしらべた。そして、からだぐあいの悪い者、服装の不備な者を列外に出して、彼らを作業に出さないのである。収容所の作業班は、一人でも多く作業に出したいので彼女に文句を言う。しかし、彼女は、はねつける。『これは私の権限です。わたしは司令部医務部長以外の者の命令に服従しません。』」
 彼女は、毎日3人の日本人軍医を指導し、巡視して収容所内の清潔を徹底させました。
 「月に3回、ウオエンノプレンニクの身体検査が行われる。ソヴェートの軍医がウオエンノプレンニクを裸にして、その尻をつまむ、その肉のつきぐあいによって、ウオエンノプレンニクのカテゴリア(体位)が定められるのである。第一級、第二級は生産的労働に、第三級は所内の軽労働に従事し、ホーカー級は労働を免除されることになる。」「時々、彼女はウオエンノプレンニクにたずねる。『労働はつらい?』たいていの者は、『つらくない』と答える。すると彼女は疑わしげに『ニエ、プラウダ(うそ)』と言う。たまに『つらい』と答える者がいると、彼女は、『プラウダ(真実)を語る者が出た』と笑う。この身体検査には、たいてい収容所長と作業係が立ち会う。彼らは、もちろん第一、第二級が多くて、第三級、ホーカーが少ないことを望んでいる。ところがザニコは、彼らの顔色を無視して、どんどん第三級、ホーカーを出す。」
 菅は、女性が自分の判断でバリバリ仕事をしていく姿に、目を見張る思いをしたのでしょう。

《中庭だより》
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