ヌプンケシ119号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.119
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平成18年5月1日発行

◎常呂川の流れから(1)
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◇案外知らない常呂川のこと
 新市の地域を貫いて流れる常呂川が、新市統合のシンボルの一つであることは皆さんも異議ないと思います。しかし、案外、常呂川のことは知らないことが多いのではないでしょうか。 
 当市民で60歳前後までは、学校にプールがなかったので、子どもの頃に泳ぎを覚えたりするのに川遊びはかかせず、常呂川も遊び場の一つだったと思います。昔は子どもが溺死する事故もたくさんありました。しかし今ではプールの普及と護岸工事も進み、農家や漁業者以外は、子どもも大人も直接触れる機会は少なくなりました。でも、市民生活では上下水道をはじめ、常呂川に実際大きく頼っている事実にかわりはありません。
◇常呂川の源流は?

ohotukuai 「常呂川は、その源を大雪山系の一支峰、1,541メートルの三国山麓に発して、流路120.2キロの行程を経て常呂でオホーツク海に注いでいる。その最大の支流無加川も三国山麓から発して、 74.6キロで北見市で本流に合流していて、両川の流域面積、2,504平方キロメートルは、流路延長と共に網走支庁管内では第一位を占めている長流である」とは、前「北見市史」の編集委員長=(故)鈴木三郎先生が昭和51年に自費出版された『常呂川の先駆者』の書き出しです。
 ここにあるように、常呂川の源流は上川町にある三国山麓なのです。国道39号線で道央に向け石北峠を行くとき、左手に帯広に抜ける三国峠の表示が目に入りますが、あの辺から常呂川の流れが始まるのです。三国山に関して、平成17年9月1日、当時の留辺蘂町・上川町・上士幌町で次に見る〈『北海道大分水点』命名に関する趣意書〉を発表しています。「(前略)北海道には太平洋、日本海、オホーツク海の3つの海域の分水嶺がありますが、三国山には、遠く日本海に流れ出る石狩川、太平洋の大海原へ流れ出る十勝川、オホーツク海に流れ出る常呂川の本・支流の最上流部との交点が存在します。この地点は上川支庁、十勝支庁、網走支庁の3支庁が接する境界にも位置し、北海道の3つの分水嶺の交点にもなっています。/分水嶺の領域を分水界とも言われ、異なる海域との分水嶺は大分水嶺とし、その領域を大分水界と表現されます。さらに、この大分水嶺が3本も集まる大分水界は日本国内では例がありません/しかしながら、このような稀有な存在の大分水界が、さほど注目されることもなく正式な呼称がないことから、この分水界の中心点を北海道の『水、森林、川、海』の自然環境を保全するうえでのシンボルとして『北海道大分水点』と命名いたしました。(後略)」スケールが大きいですね。
◇常呂川=母なる川
 また『常呂川の先駆者』の続きを見てみましょう。
 「常呂川本流は、最奥の置戸町に始り、訓子府町、北見市、端野町を経て常呂川を貫流し、これに支流無加川の留辺蘂町を含めると、一市五町に跨り、その関連流域の総計は昭和48年の国勢調査統計によれば、人口にして13万1千余人、面積にして2,113平方キロメートルとなって、網走管内の、人口に於て58%、面積に於て23.6%を占めることになる。/いいかえれば、網走管内総人口の凡そ半分がこの常呂川流域にその生活の場を得ていることになる。/地質時代にその原形が形成されて以来、その流れは休むことなく続けられ、肥沃な土砂を下流に運んで沖積地を造り、時には隆起に伴う流勢は各所に河岸段丘を形成し、又流路変更によって河跡湖を生んだ。この沖積地や河岸段丘や河跡湖は、それぞれ人間の生産や生活を豊かにする場となった。人間はその恵みによって農耕地を開き、やがて沿岸に農村集落が点綴し、更にそれ等を統合して、今日の時には洪水という猛威を発揮するが、それは開拓意欲に対する試練と、生きる知恵を育てることにあって、常呂川は人間に対して変らぬ恵みを以て接して来た。この恵みの中に、人間社会は発展してきた。とりわけ北見市はその恵みの最も厚い場を占めていた。常呂、無加両河の合流点に位置したことは、広大な且つ肥沃な沖積地を得え、最適な場所に長大な河岸段丘が形成されたことで、北見市産業の中核を占める農業の発達を促し、ここに網走管内屈指の穀倉地帯を現出させた。更に、沖積地は交通路としての役割を果し、特に北見市が両川の交点に位置していることから、物資や人間蝟集への中心地となり、管内の中核的都市へ発展する原動力となった。こうした意味で、常呂川は将に母なる川と言って良い存在である。」
◇原始常呂川と古北見湖
 しかし、常呂川がいつから流れていたのか、誰も知りません。ここら辺は地学の問題です。『北見市史』上巻には次のように書いてあります。「常呂川・無加川 この二つの川はおそらく白亜期末か古第三紀始めに起った地殻変動で生じた断層線にそって流路ができたものと考えられる。」つまり、約6,640万年前から流れていたようです。古いですね。そして、この原始常呂川は端野を横断して美幌町で網走川と合流してオホーツク海に注いでいたと推定しています。ずいぶん現在とは違った風景であったことでしょう。
 ところが、3万3千年以前、屈斜路火山からの噴出物が端野で50mも堆積し、その川をせきとめ、この北見地方の中央に、右にあるような「古北見湖」が存在した時期もあったのです。「その範囲は下流は端野町付近、上流は東相内に至る延長17キロメートル・幅員4キロメートル、湛水面積およそ80平方キロメートル程度」で、その「規模は屈斜路湖に相当するもので、最大水深は40〜45m、水面高度は現海水面上120m前後であったと推定される。」この湖は1万年間存在したと考えられています。「古北見湖に、再び火山灰泥流が流れ込んできた。屈斜路火山の第III堆積層となった泥流である。このために古北見湖はあふれ出し、流路を端野町忠志を走る断層線の方向に求めた。仁頃層群を切っている断層によって破砕された部分を刻りながら水位を下げて、古北見湖は消滅し、常呂川は忠志から常呂町へ向う現在の姿になった。」 

      
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 このように、有史以前から常呂川の流れにも壮大なドラマがあったのです。(続く)

《中庭だより》
☆4月20日の「銀河線」廃止に前後して、マスコミ関係から色々と問合せが続き、自分の仕事ができず、正直まいりました。図書館で調べてもらった方が、正確で情報も豊富なのですがね。
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