「ところ遺跡の森」便り

 「ところ遺跡の森」便りは北見市常呂自治区内で『広報きたみ』に折込で配布されている社会教育情報内に毎号掲載しているものです。
 イベント案内をはじめ、考古・自然など「ところ遺跡の森」に関連する情報を毎月お届けしています。
 (毎月初め更新予定。ここに掲載したものは、写真・文章は当初掲載時のものから一部変更している場合があります。)

2021年 3月号 遺跡の森の考古学講座「常呂遺跡と竪穴住居 ~斜里の竪穴住居の形状とその時代的変遷からみた古代文化~」のお知らせ

 現在、ところ遺跡の森では古代人の竪穴住居の復元建物を順次リニューアルしています。これに合わせて年1回、各地から講師をお招きし、竪穴住居やそこでの生活をテーマにした考古学講座を実施しています。

 昨年度は感染症拡大のため中止となってしまいましたが、今回はそのとき予定していたテーマで改めて開催いたします。常呂遺跡と同じく、オホーツク海岸で多数の遺跡が発見されている斜里町での発掘調査成果をもとに、オホーツクの古代文化についてお話しいただきます。

  • 日 時:令和3年3月14日(日)  14:30~16:00(開場14:00)
  • 会 場:北網圏北見文化センター 2階・講座室
  • 講 師:松田 功さん(NPO法人オホーツク自然・文化ネットワーク理事)
  • 入場無料、申込み不要です。

※詳細のお問い合わせは会場ではなく、ところ埋蔵文化財センター(電話0152-54-3167)までお願いします。

チャシコツ岬上遺跡
▲空から見た斜里町の国指定史跡・チャシコツ岬上遺跡

〇国指定史跡・チャシコツ岬上遺跡

 詳しい話は当日のお楽しみとして、ここでは斜里町内の遺跡について少しだけご紹介しておきます。 斜里町でも、常呂地域と同様に多数の遺跡が発見されており、旧石器時代からアイヌ文化期まで各時代・文化のものがあることが分かっています。

 中でも最近注目されたのが、上の写真にあるチャシコツ岬上遺跡です。この遺跡は斜里町教育委員会による発掘調査を経て学術的な重要性が明らかになり、平成31年2月26日に国の史跡に指定されました。現時点で北海道内では最も新しく指定された史跡であり、まだ現地の見学はできない状態です(安全な通路等がありません)。が、遺跡のある岬は海にむかって首を出した亀のように見える変わった形をしており、離れた場所から眺めても独特の景観を楽しむことができます。

 発掘調査の成果は『チャシコツ岬上遺跡 総括報告書』(2018年、斜里町教育委員会発行)にまとめられています。それによると、この遺跡ではオホーツク文化からトビニタイ文化の竪穴住居跡31基や墓などが見つかっていますが、中でも特徴的な出土品に「神功開宝」があります。これは765年から日本で作られたお金で、日本の銅銭としては和同開珎から数えて3番目(富本銭も入れると4番目)に古いものです。この地域のオホーツク文化の人々が交易網を通して遠方の産物を入手していたことを示す証拠ということができます。これは必ずしもオホーツク文化の人々が直接本州まで交易に行ったというわけではなく、道央・道南に住んでいた擦文(さつもん)文化の人々を介して間接的に入手したものと考えられています。

 逆に、オホーツク文化の人々が交易材料としたのは何だったかというと、動物の毛皮が重要品目だったと考えられています。特にヒグマの毛皮は奈良・平安時代には身分の高い貴族が使用するものとして珍重されており(※)、北海道から本州への交易品として重要でした。オホーツク文化の遺跡では多数のヒグマの骨が出土することが多く、その毛皮を交易品としていたことが考えられています。

 チャシコツ岬上遺跡はオホーツク文化・トビニタイ文化の代表的遺跡であると共に、間接的に本州側ともつながる交流の証拠が出土した遺跡として評価され、国指定史跡となったのです。

 ※ 例として、『続日本紀』巻第六には霊亀元(715)年の記事に、特別な儀式の日を除いて六位以下の官人が鞍や刀の帯の飾りに虎・豹やヒグマの皮を用いるのを禁じたことが書かれています。ヒグマの毛皮には身に着けた人の身分の高さを示す意味合いもあったことが分かります。

 

2020年 10月号 ワッカの「オタチャシコツ」

 前回はワッカ遺跡を紹介しましたが、今回はその近くに残るアイヌ語の地名をご紹介したいと思います。18・19世紀ころは、サロマ湖の砂州が常呂・湧別間の主な交通路となっていました。このため砂州上にはワッカ以外にもアイヌ語地名のある場所が点々とあります。

 その中の1つに「オタチャシコツ」と呼ばれる地名があります。これは、現在の第二湖口の東側の場所にあたるものです。

 この地名は「オタ・チャシ・コツ」と3つの言葉から成っています。「チャシ」はアイヌの城や砦のことで、常呂川河口の右岸にある「トコロチャシ」がその代表例です。「オタ」は砂、「コツ」は跡という意味ですので、全体で「砂の砦の跡」という意味になります。

 下の写真の場所がオタチャシコツに相当すると思われる丘です。周辺に続く丘と比べて際立った特徴があるようには見えませんが、地名があるということは通行の際の目印になっていたのでしょう。「チャシ」と呼ばれてはいますが、実はアイヌの人々がチャシとして利用した証拠や言い伝えが残っているわけではありません。北海道チャシ学会による測量調査では、平坦地や溝状のくぼ地があるものの、いずれも自然地形ではないかとされています。海岸沿いにある砂丘をチャシに見立てて付けられた地名なのかもしれません。

オタチャシコツ
▲「オタチャシコツ」と推定される丘

 

2020年 11月号 ヤマブドウ

 遺跡の森も紅葉の季節を迎えました。遺跡の森では黄色から橙色になる葉が多い中で、ところどころに真っ赤な葉の木も混じっています。その多くはヤマブドウの木です。

 ヤマブドウには雄株と雌株があり、雌株だけが実をつけます。遺跡の森にはヤマブドウの木が多く見えるわりに、実のなる木はあまりありません。ヤマブドウは実が小さく種子が大きかったり、酸味が強かったりするため、現代の栽培種のブドウと比べてしまうと美味とは言えません。けれども、遺跡からはヤマブドウと見られる種子が発見された事例があり、大昔から利用されてきたことが窺えます。

 常呂では、特にアイヌ文化期(14~19世紀ころ)の遺跡でまとまって見つかっています。常呂川河口(ところがわかこう)遺跡では「物送り場」(動物の骨や植物の種子、灰などを集め、祭った場所)からヤマブドウの種子が見つかりました。また栄浦第一(さかえうらだいいち)遺跡では墓から510粒もの種子が見つかりました。ヤマブドウの実を副葬したものかもしれません。

 さらに、大島2遺跡では擦文(さつもん)時代後半・12世紀の竪穴住居跡からブドウの仲間と見られる種子が見つかっており、ヤマブドウの利用はアイヌ文化期以前にもたどれそうです。

 現代ではジュースやワインに加工して楽しまれているヤマブドウですが、古くから秋の味覚として親しまれてきたものだったのです。

ヤマブドウの木
▲赤い葉がヤマブドウの木

ヤマブドウの実
▲ヤマブドウの実 熟すと黒紫色になる

 

2020年 12月号 常呂遺跡の竪穴住居跡群

 遺跡の森では、11月前半に木の葉がすっかり色づいたと思ったら、後半にはあっという間に散ってしまい、すっかり冬の様相になりました。気候も寒くなってきましたが、遺跡を見るのに向いているのは実はこの季節です。

 遺跡には完全に地面に埋もれてしまっているものばかりでなく、地表に形が残っているものもあります。代表的なのは(この地域にはありませんが)古墳や山城跡などですが、常呂遺跡の竪穴住居跡もそうしたものの1つです。こうした遺跡は、地面を覆っていた草木が冬枯れした後の方が見やすくなってきます。

 国指定史跡である「常呂遺跡」は、遺跡の森の場所だけでなく、かなり広い範囲にわたっています。「西5線」バス停近くに「常呂遺跡」の看板がありますが、その背後の丘の林の中は常呂遺跡でも最も竪穴住居跡が密になっている場所です。この季節には地面がかなり凸凹しているのが分かりやすく見えます。こうしたくぼみの1つ1つが竪穴住居跡です。竪穴住居は地面に大きな穴を掘ってつくられますが、その穴の跡が残っているわけです。

 こうした遺跡は、平面的な写真ではなかなか伝わりませんが、数えきれないほどの竪穴住居跡が広がる様子はなかなか圧巻です。機会があれば一度は訪れてみてください。

竪穴住居跡
▲遺跡の森の竪穴住居跡と復元住居

 

2021年 1月号 土器の復元

 遺跡の森では多数の土器を展示しています。来館者の方から時々「本物ですか?」という質問を受けることがありますが、展示品の土器は全て遺跡から出土した本物です。

 多くの土器は壊れた状態で見つかります。破片をつなぎ合わせて元の形に復元を行いますが、破片が見つからなかった部分は石膏(せっこう)などで補っています。この部分だけは現代の復元ということになります。

 「土器の復元のために破片を探すのはどれくらい時間がかかりますか?」というのもよくある質問ですが、実は完形に近い状態に復元できている土器は、ほとんど同じ場所で破片が見つかっています(写真1)。本来置かれた場所にそのまま埋まっていたり、あるいは割れた土器がまるごとまとめて処分されていたりといった場合です。

復元された土器 ▲写真1:竪穴住居跡から出土した土器とその復元 写真では土器1個がつぶれた状態で出土しています。破片を合わせるとほぼ元の形まで復元されました。

 一方で、奇跡的にほぼ完全な状態で見つかる土器もあり、つい最近作られたかのように良い状態で見つかることもあります(写真2)。特に昔の人が穴を掘って埋めておいた土器などは壊れずに残る確率が高くなりますが、土の重みで潰れてしまうことも多いため、完全な状態で残っているものはわずかです。2000年以上昔の土器でも形の残った状態で見つかったものがありますが、これはかなりの貴重品ということになります。

完形の土器
▲写真2:ほぼ完全な形で見つかった約2000年前の土器
(常呂川河口遺跡出土・宇津内(うつない)IIa(にえー)式土器、高さ約28cm)

 

2021年 2月号 市外で見られる常呂の遺跡出土品

 常呂は北海道の中でも早くから多くの遺跡が知られてきた地域の1つであり、貴重な出土品の存在が知られてきました。このため、北見市外の博物館でも、常呂からの出土品の展示に出会うことがあります。今回はそのうちいくつかをご紹介します。

 近年リニューアルされた北海道博物館(札幌市)では、北海道の歴史が常設展示で紹介されています。その中に、常呂で発見されたオホーツク文化のラッコ彫像や擦文文化の機織機部品などのレプリカが展示されています。いずれも実物はところ遺跡の館で展示中です。また、旭川市立博物館では、詳細な出土地は示されていませんが、常呂町出土とされるオホーツク土器が1点展示されています。

 遠方では、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に常呂(栄浦第二遺跡)出土の縄文土器を貸し出しています。こちらは全部見て回るのに1日かかるほどの大きな博物館ですが、全国各地の縄文土器を紹介する展示コーナーの中で、北海道代表の1つとして展示されています。

 現在は世の中が遠くの博物館に出かけようという雰囲気ではありませんが、これらの展示品は常呂から離れた土地でその広報に一役買っているものと言えます。 今後、もしこれらの博物館を訪れる機会がありましたら、ぜひ常呂の出土品を探してみてください。

貸出中の縄文土器
▲写真:国立歴史民俗博物館に貸出・展示中の縄文土器
栄浦第二(さかえうらだいに)遺跡出土・北筒(ほくとう)式土器)

 

 

お問い合わせ

北見市教育委員会社会教育部
ところ遺跡の森

〒093-0216
北海道北見市常呂町字栄浦371番地(ところ遺跡の館)
電話:0152-54-3393
FAX:0152-54-3538

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