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「ところ遺跡の森」便りは北見市常呂自治区内で『広報きたみ』に折込で配布されている社会教育情報内に毎号掲載しているものです。
イベント案内をはじめ、考古・自然など「ところ遺跡の森」に関連する情報を毎月お届けしています。
(毎月初め更新予定。ここに掲載したものは、写真・文章は当初掲載時のものから一部変更している場合があります。)
以前の記事は以下のリンクからご覧ください。
今回は、「常呂川河口遺跡墓坑出土品」の中からヒスイ製の玉についてご紹介します。写真は縄文時代晩期の墓である782号土坑から見つかったもので、全てヒスイ製です。
良質のヒスイは採れる場所が少なく、北海道で見つかるものは新潟県西部の糸魚川産であると推定されています。糸魚川産のヒスイは全国各地の遺跡で見つかっていますが、常呂川河口遺跡は、産地から最も遠い出土地点の1つです。
今回紹介する墓で見つかっている玉には2種類の形があり、細長い形の勾玉2個と、円形の丸玉6個があります。どちらも穴があけてあり、紐を通して首飾りなどに使われたと考えられるものです。勾玉は、元は動物の牙に穴をあけたものを起源とする説が有力です。しかし、そこから多様な形のものが作られるようになりました。2つ組で見つかる場合は、この墓のように、形の違う組み合わせになっていることが多いです。
このヒスイ製の玉は、漆塗りの櫛の断片と一緒に、墓に納められていました。ウルシの木は本来、北海道に自生しないことから、こちらも本州方面から入手されたものと考えられます。いずれも遠方から入手した珍しい品なので、ムラの中でも特別な地位の人の持ち物だった、と考えられています。
前回まで「常呂川河口遺跡墓坑出土品」の重要文化財指定についてお知らせしてきました。今回からは指定対象品について、いくつかご紹介していきたいと思います。
「常呂川河口遺跡墓坑出土品」の指定対象品は、全部で1,805点あります。多種多様な出土品の組み合わせが分かる、という集合的な価値が評価されたものです。
その中から今回は、「人面模様のある土器」(写真)をご紹介します。石器と11個の土器をまとめて埋めた墓から見つかったもので、縄文時代晩期・約2500年前に作られたものです。壷形の土器で、括れた部分より上に、目や鼻らしき模様が描かれており、人や動物の顔を表現していると考えられています。胴部には渦巻き形の文様が描かれ、また部分的に残る塗料から、元は文様が赤く塗られていたことが分かります。
顔のある縄文時代の遺物としては土偶が有名ですが、北見市とその周辺では出土例がほぼありません。顔が描かれた土器も他に例がなく、大変珍しいものです。一緒に見つかった土器にも、特殊な形や華やかな文様のものが含まれています。日常的に使う土器とは別に、祭りや葬送用の土器として特別に作られたものと考えられます。
【お知らせ】この土器は2023年2月19日(日)まで、東京国立博物館で開催中の「新指定国宝・重要文化財展」に出品されています。「ところ遺跡の館」で展示されるのは3月中旬以降となります。
先月号で、「常呂川河口遺跡墓坑出土品」の重要文化財指定についてお知らせしました。ところが、北海道に住んでいると、「重要文化財」というものに、あまり接する機会はないと思われます。そこで、今回は重要文化財とはどんなものか、についてご紹介したいと思います。
重要文化財については、「文化財保護法」という国の法律で定められています。この法律では、文化財は日本の歴史や文化の理解に欠かせない、貴重な国民共有の財産とされています。ここでいう文化財には、一般的な財産・宝物のようなものだけでなく、技術、芸能や動植物、景観など幅広い分野のものが含まれます。その中で、重要文化財の指定対象となるのは建造物・美術工芸品です。美術的な価値や技術的な特徴のほか、歴史的・学術的な評価も加えて、価値の高いものが指定されることになります。
重要文化財の美術工芸品は、今回指定されることになったものを含めると、全部で10,873件になります。かなり大量にある、と思われるかもしれませんが、その所在地は一部地域に集中しており、東京・京都・奈良・滋賀・大阪の5都府県に7割以上があります。これに対し、北海道にあるのはわずか30件です。さらにオホーツク管内に限ると、遠軽町の白滝遺跡群出土品(今回、国宝に指定されることになりました)と常呂川河口遺跡墓坑出土品の2件だけ、ということになります。重要文化財の建造物も、オホーツク管内では旧網走監獄だけですので、この地方で見ることができる重要文化財はごく珍しいものです。
ところ遺跡の森では、今春、現在文化庁に貸出中のものと合わせて、指定対象品の公開を計画しています。その際には、ぜひ足をお運びいただければと思います。
11月18日、国の文化審議会は、北見市ところ遺跡の森で収蔵している「常呂川河口遺跡墓坑出土品」を重要文化財に指定することについて、文部科学大臣に答申しました。今後、官報告示により正式に指定されると、北見市で唯一となる国の重要文化財が誕生することになります。
今回の指定対象となる出土品については、以下のページで概要をご紹介しています。
今回の指定の対象となった出土品は、文化審議会の中の専門調査部会で評価・検討を行うため、その一部が文化庁に貸し出されています。今回、新しく国宝・重要文化財に指定されることになったものは、令和5年初め頃に、東京・上野の東京国立博物館にて展示が行われる予定です。
それ以外のものについては、ところ遺跡の館で展示を行っています。今後も、貸出品の返却に合わせて、皆様に見ていただけるよう展示を行っていく予定です。
11月は、トコロチャシ跡遺跡群をテーマとした2つの行事を開催します。どちらも事前申し込み、参加費等は不要です。ご興味のある方はぜひ、足を運んでみてください。(詳細はリンク先の情報をご覧ください。)
〇日 時:令和4年11月19日(土)、14:00~16:20(開場13:30)
○会 場:端野町公民館・多目的ホール
現在、一般公開のための整備工事を実施しているトコロチャシ跡遺跡群の発掘調査の成果や整備計画について、アイヌ文化期のチャシ跡を中心に採り上げます。数多くのチャシ跡が残る根室半島の事例もご紹介いただき、チャシ跡についても理解が深められる内容です。
〇日 時:令和4年11月20日(日)、10:30~12:00
〇参加方法:開催時間中に旧「かもめ保育所」(常呂町字常呂86-1)までお越しください。自家用車は受付場所に駐車できます。
遺跡の現在の整備状況を先行公開します。整備工事は令和5年度も継続して行われ、野外の展示設備が追加されていきますので、今回見ておくと、今後、遺跡がどう変わっていくのかもお楽しみいただけます。現地では講師による遺跡の解説も行います。
公開講座・見学会のテーマとなっているトコロチャシ跡遺跡群について、簡単にご紹介しておきます。
トコロチャシ跡遺跡群は、常呂自治区にある国指定史跡「常呂遺跡」の一部を構成する遺跡です。常呂川東岸に位置し、アイヌ文化期のチャシ跡をはじめ、様々な時代と文化の遺構・遺物が発見されました。現在、この遺跡を一般公開するため、整備工事を実施しています。
整備工事では、敷地全体をめぐる遊歩道や解説看板を設置するとともに、遺跡の一部が再現展示されます。アイヌ文化期のチャシ跡(18世紀頃)では、空堀に沿って設けられたと考えられる柵のようすを再現します。また、オホーツク文化の竪穴住居跡(8~9世紀頃)では、屋内の様子を、実際の住居跡が発見された位置にほぼ原寸大で再現する計画です。令和6年度のオープンを目指しています。
大島2遺跡は、常呂森林公園の近くの山林の中に広がる遺跡です。ここでは、東京大学常呂実習施設による発掘調査が2009年から行われてきましたが、今年でひとまず調査が終了しました。遺跡には現在でも数十基の竪穴住居跡が地表に残っていますが、このうち5基の発掘が行われました。それ以外は保存区域として残されます。
発掘された住居跡はいずれも12世紀・擦文(さつもん)時代の終わり頃のものです。この時代の遺跡は、常呂では海岸部の砂丘などで多く見つかっていますが、大島2遺跡はひときわ標高の高い丘の上にある点に特色があります。5基の住居は全て建物が火災に遭ったものでした。このため、通常であれば完全に失われてしまう木材や植物片が炭化した状態で出土しました。住居の建材の他、木製品の断片も見つかっています。さらに、住居に設けられたかまど付近からは、雑穀や豆類の断片も発見されています。
上の写真は、今年度発掘された5号竪穴の調査最終段階の写真です。ほぼ正方形の竪穴の形がよく分かります。また、その内側に正方形に並ぶ形で、4箇所の柱穴があります。上方に2箇所、出っ張りがあるのは「かまど」と「煙道」(煙を外に出すためのトンネル)です。左右の壁に沿って、2列平行して並ぶ小さな穴がありますが、これはベンチ状の構造があった跡ではないかと推定されます。
この時代の北海道については文献による記録等はないため、こうした発掘調査によって生活の様子が少しずつ明らかにされています。大島2遺跡の調査成果については、これまで東京大学より2冊の本が刊行されていますが、最後の部分の成果についてはこれから整理が行われます。今後のさらなる分析が待たれるところです。
お問い合わせ |
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北見市教育委員会社会教育部 ところ遺跡の森 郵便番号:093-0216 住所:北海道北見市常呂町字栄浦371番地 電話:0152-54-3393 FAX:0152-54-3538 |