ヌプンケシ151号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.151
 タイトルヌプンケシ
平成20年9月15日発行

馬場酒造店のこと(6)

◇貴重な資料の寄贈
馬場酒造店の甕と徳利 4月11日付の北海道新聞の記事を読んで、馬場酒造店でボイラーマンをされていた佐藤正修(まさしゅう)氏の息子さん、佐藤芳春氏が4月15日に市史編さん事務室へ来られ馬場酒造店の甕と徳利、写真3枚を当市に寄贈されました。
 陶器製の甕は直径26cm、高さ26cmで、ピンクの陽光を背景に中央に「北乃天」という文字が書かれ、左右に鳳凰を配し、その周囲に花があしらった、なかなかきれいなデザインです。徳利は高さ17cmでひょうたん型です。
 いずれも、これまで筆者も見たことのない物でした。
 下の写真は、その寄贈された写真の一枚ですが、裏書に「12.1.13」とあり、馬場本店工場とプレート表示があるボイラーの前で撮ったもので、中央の男性がお父様の正修氏です。
昭和12年1月13日馬場本店工場のボイラー前の写真◇佐藤芳春氏の証言
 その際に、貴重な証言も頂きましたので、次に紹介します。
 「私は、昭和11年(1936)、3歳の時に、瀬棚から父(正修)と共に野付牛にやってきました。父はもともと津別の丸玉でボイラーの見習い修業をして一人前になりました。馬場酒造では持参した写真にもあるとおり、ボイラーの管理を馬場酒造店が廃業するまで続けていました。昭和17年からは小林病院のボイラーマンをやっていました。
 馬場酒造店の場所は、現在の北見トヨペット本社附近で、瀬棚町から越してきた時の住いは現在の市民会館裏手にある、松月お菓子屋さんの付近でしたが、ボイラーの管理上、工場の近くにということで、農業をしていた上見様の借家に住むことになりました。
 馬場家には、私より4歳年上の男の子(多分、昌久氏の長男=俊久氏であろう。−引用者)がいました。馬場家へ父についていき、遊んでもらった記憶があります。」
 佐藤さんの証言と、手書きして下さった「昭和11〜17年頃の馬場酒造店付近の略図」のお蔭で、馬場酒造店の位置が現在の北見トヨペット本社のところであることが判明しました。
 古い地図と現在の地図を見比べて、あれこれ馬場酒造店の場所を考え悩んでいた筆者としては、これで一挙解決、本当に助かりました。一度散歩がてら、この本社の周りを歩いてみたのですが、馬場酒造店の敷地の広さが実感されました。読者の皆さんも一度お試しあれ。
◇子どもが見た馬場昌久氏の印象
 「私が子どもの頃の馬場昌久様は、見るからに鬼のように怖い顔で、あまりの怖さに父親のかげにかくれてみた記憶があります。
 今日までは馬場社長はどんな感じの人でしたかと聞かれたら、眼光鋭く、武士の風格を備えた方とお話しましたが、お孫様から贈られたという晩年の社長さんのお写真を拝見した時、人生を達観し、好々爺のお顔となり、70年前のお顔を思い出しながら、私もなんとなく幸せな思いにひたりました。」
 孫の森下さんからのお話でも、父親の俊久氏が子どもの頃に、昌久氏が「いつもドスを懐にしていて、怖い人だと思った。」そうですから、子どもにさえ一分の隙も見せなかったのでしょう。
◇あるエピソード
 佐藤芳春氏が中学生時代、ある友人の父親から、馬場昌久氏について次のような思い出話を聞かされたそうです。
 「昭和初期、馬場様はある生命保険の代理店をされていたそうですが、その小父さんもまた相対する大手の代理店をしており、ある日、勇敢にも勧誘に行ったところ、いきなり『表の看板を見てきたのか!!』と烈火のごとく怒ったそうです。
 しかし、小父さんは自社の保険が馬場社長様のところの保険より有利な点を縷々説明し、『社長様はご長命な方とお見受けするので、お勧めに来た。』と話したところ、『よし、分かった。』と言われ、当時としては相当高額な契約をされ、頂いた保険料の領収書を書く手が震えて、字が思うようにかけなかったそうです。」
 ライバル代理店のセールスマンであっても、説明を受けて、自分が納得すれば高額の契約をしてやるなど、昌久氏の太っ腹な面をしめす話です。
◇馬場酒造店の大庭園
大庭園写真 「酒造店は、当時の野付牛町で建物、敷地共に一番の大きさであったと思います。工場の裏手には仕込用の大きな樽が干してあり、隣接して大庭園がありました。園の中にお酒の神様を祀った松尾神社があったそうですが、私には記憶がありません。
 毎年、春の花見、秋の観楓会に関係者および取引先、従業員と大勢の人で、それは盛大な園遊会でした。父に連れられて何度か行った記憶があります。」
 上の写真は、その大庭園を写したものです。不鮮明なために分かりにくいかもしれませんが、右上奥には舞台があり、その手前には東屋が二つ見えます。万国旗もはためいています。
◇廃業後の工場
 昭和17年(1942)廃業後「工場はベニヤ工場になって、戦争末期には国民学校高学年になった私も勤労動員で搬出などの手伝いにいったことがあります。」
 この馬場酒造店廃業後の工場は、ベニヤ工場に転用され、「北見航空木材」という会社にもなったようですが、詳しい資料がありません。ただ『北見市史』年表編の昭和18年(1943)7月の項には「北見地方の合板工場、このころ航空機のプロペラ、舟艇用材の製作に忙殺される。」とあります。なお、戦後は「北見綜合木材株式会社」となりました。 

《中庭だより》
☆この間、市民の方から昭和16年頃の街中の様子を聞取りさせて頂いたのですが、個人の記憶は曖昧な部分がたくさんあるので、資料に基づく確認作業が大変です。その当時の地図でもあればと思いますが、当室には何もありません。どなたか、資料提供をお願いします。
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