ヌプンケシ160号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.160
 タイトルヌプンケシ
平成21年2月1日発行

◎旧北見市「字名の由来」について(7)
 今号もまた昭和27年(1952)3月31日に開催された協議会の記事を基にレポートします。
◇部落字名の決定
部落の部でも終止(終始?−引用者)漢字制限にヒッカカリ議事サッパリ進行せず腹案字名に不満のない代表は〈いい加減にしろ〉とイライラ 制限漢字の字名には屯田(兵三)彌生、桂丘、上常呂の「呂」など 又部落は面積が非常に広く戸数も多いが部落は殆んど二分割された為 地元代表から何とかもとの一にまとめてもらいたい要望しきり 稲里、大正(大正)常川、彌生(上常呂川向)富岡、美畑(上常呂高台)豊栄、美郷(毛當別、上仁頃)など多数にのぼり面積の広い部落地方の行政区画の難かしさを如実に現した証左というべき 又変った所では北光社の北光、豊富の二分割にからむ〈北光〉の字名の奪い合いはトンダ人泣かせの区画整理ではある/決定字名次の通り
△北陽(下仁頃三区)△栄町(下仁頃二区)△大和(下仁頃)△大正区(同)△昭和(同)△小泉(兵一)△屯田(兵三)△三輪(兵四)△東山(川東)△豊地(同)△上常呂(同)△開成(同)△若松(同)△常川(上常呂川向—引用者) 
保留 豊栄、美郷(上仁、毛當別)北光、豊富(北光社)富岡、美畑(上常呂高台)桂丘(蘭國)など五字名で四月五日迄再決定の上 土木課に通報することとなった。

 この記事のとおり、兵村は一区を「小泉」、二区は前号で説明したように市街化で5分割された字名になり、三区は「屯田」、四区は「三輪」となりました。軍隊色の濃い兵村は使えない、しかも一区・二区・三区の呼称はすでに端野が使っているということで、苦心惨憺して屯田兵に縁のある字名を考え出したのでしょう。なお、よく誤解している人がいるのですが、「小泉」は小泉正保大隊長の功績をたたえて名付けられた字名で、そこに住んでいたからではありません。「三輪」も同様で、小泉の後任、三輪光儀大隊長の名前から採ったもので、全く居住地と関係ありません。
 「北陽」は前のニュースにもありましたが、北陽小学校の名から採ったものです。ちなみに同校は昭和22年(1947)4月7日「下仁頃小学校三区分校」として開校され、同25年4月1日独立して「北見市立北陽小学校」となり、過疎化で昭和47年(1972)3月閉校になりました。
 「彌生町」から一転した「栄町」(下仁頃二区)は、最終的に昔から馴染んでいる地名を採って「仁頃町」になりました。他部落の字名と違い、仁頃にだけ「町」がついているのは、昔は薄荷で当てた裕福な農家が多く、大正期には仁頃村として野付牛町から分村しようとしたほどで、今の様子からは想像出来ないかもしれませんが、映画館もある大きな農村集落だったからだと思います。昭和27年に北見市立仁頃高校が開設されたのもそうした背景があったためです。 (下仁頃一区)の「大和」の由来は、色々な資料を探してみても残念ながら出てきませんでした。誰かご存じの方がいたら由来を教えてください。
 「東山」は現「川東」のことです。これも議会提案前に昔から使ってきた名称に戻したということでしょう。
 「常川」(上常呂川向)も由来がわかりません。こじつければ「上常呂」の「常」と、「川向」の「川」を組合わせて、字名にしたのかもしれません。
 「大正」「昭和」「豊地」「上常呂」「開成」「若松」の由来は前にレポートしたとおりです。

◇保留された部落の字名は
 さて、この時に保留された部落の字名、豊栄(上仁頃)、美郷(毛當別)、北光・豊富(北光社)、富岡・美畑(上常呂高台)、桂丘(蘭國)はどのように整理されたのでしょうか。
 昭和27年5月20日付『北海道新聞』に「市街地は二十九町/部落を二十区分/字名、地番改正なる」との見出しで次の記事がありました。

【北見】土木課では昨年来 字名、地番改正協議会を設置して選定中であったが、このほど各地区から持寄った字名を検討、部落からの意向などをいれて最後的決定をみたので六月の市議会にはかり、実施の運びとなった。
  これによれば 市街地は 大通り(東六丁目−西六丁目)北一条(同)北二条(同)北三条(東六丁目−西七丁目)北四条(同)北五条(同)北六条(東四丁目−西七丁目)北七条(同)北八条(東四丁目−西一丁目)北九条(同)北十条(東四丁目−東一丁目)北十一条(東四丁目−東二丁目)を残して他は町名をとり、高台十七区分、鉄南八区分、東小学校附近は大町、農試北見支場附近は本町となり従来の山下町、常盤町を加え二十九町になる。
また部落方面では小泉(旧兵村一区)屯田(旧兵村三区)三輪(旧兵村四区)大和(旧下仁頃)仁頃町(同二区)北陽(同三区)美里(旧毛當別)大正、昭和、川東、豊地、上常呂、上仁頃、若松、開成、常川(旧上常呂川向)広里(旧上常呂高台)南丘(蘭国)北上(旧北光社)北光(旧北光社)と二十区分となっている。
『北見新聞』部落字名の位置図 この記事の通り、豊栄(上仁頃)はこれまでどおりの「上仁頃」に、美郷(毛當別)は「美里」に、住民同士が「北光社」の名を取り合っていた北光・豊富(北光社)は「北光」と「北上」に分離、(上常呂高台)の富岡・美畑は「広里」に一本化、当用漢字に引っ掛かった桂丘(蘭国)は方位をとって「南丘」に落着きました。
 同記事には各部落字名の位置図が掲載されているのですが、コピーが不鮮明なためかわりに『北見新聞』のものを参考として右に提示しておきます。
 当初4月議会を予定していた「字名地番改正」の提案は、地域住民との調整で6月議会にずれこんだようです。
 次号はその6月議会の議事録を中心にレポートしてみたいと思います。
 こうして調査を進めながら思うのは、昭和27年3月31日の「字名改称地番整理総合協議会」の議事録か説明資料があれば苦労して新聞記事を探し出す手間もなく、又推測で書かなくても「字名」の由来が明らかに出来たのに、ということです。保留された字名についても、公文書に地域住民との交渉経過と由来が記録されていた筈で、それが年限で廃棄されたのか所在不明なのは残念です。公文書は「市民の財産」ですから、保存年限で機械的に廃棄せず、内容を確認して市史編さんに必要と考えられる文書を移管してくれると大変助かるのですが・・・。(続)
《中庭だより》
☆数年前に物故された名士宅を最近訪問したところ、いずれ処分予定だという故人の資料がたくさんあり、早速お借りしてきました。今迄もご遺族に資料を照会すると「捨てた。焼却した。」との回答で無念な事が多かったのですが、今回は全く幸運にも間に合いました。
NO.161へ
よくある質問のページへ

教育・文化

教育委員会

スポーツ

青少年

生涯学習

学校教育

文化施設

姉妹友好都市・国際交流

歴史・風土

講座・催し

図書館