ヌプンケシ184号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.184
 タイトルヌプンケシ
平成22年 2月 1日発行

◎書店・本屋は文化の灯火(3)                

 

◇昭和25年版『北見商工名鑑』には・・・
 昭和25年(1950)1月発行の昭和25年『北見商工名鑑』の「第十類 書籍、日用雑貨関係」には、書籍を取扱う業者として次の店名が見えます。 
 

 

営業種目 種別 営業所の所在 屋号・商号・名称 経営者・代表者 創業年
書籍、雑誌 北四條西三丁目 富士書房 大石太平 昭二三
書籍 北三條西二丁目 福村商店 下斗米茂気 昭二二
書籍、雑誌 北一條西一丁目 ニレ書房 加藤正友 昭二二

書籍、雑誌

文房具、運

道具、衣料

北二條西三丁目 フミヤ 田中研三 昭八
書籍、雑誌  北三條西四丁目 賣文堂松井商店 松井恒幸 昭二三

書籍、野菜

菓子

小  大通西八丁目   佐々木和夫  昭二四

 この他、「雑誌」を扱う業者として「大通西二丁目・財団法人鉄道弘済会北見営業所」「大通東三丁目・植松商店・植松幸徳」「大通西七丁目・象屋・森島林」が記載されています。
 下斗米ミチさんの『母さんの風呂敷包み』によると、以上の業者の他に「ビルデイング百貨店の書籍部」もあったようです。それにしても、佐々木という人が開いた店では、野菜や菓子と一緒に書籍が売られていたというのには一寸驚きです。
 この名鑑で「フミヤ」の創業年が昭和8年(1933)で、一番古い歴史を持っている店であることがわかりました。ということは、大正3年(1914)7月29日生れの田中研三氏が、昭和7年3月に野付牛中学校を卒業して一年後の18歳か、19歳の時に「冨美屋」を開店したということになります。実家は大正元年(1912)創業の大通西2丁目の「田中商店」(創業者・田中順次郎)で、それなりの支援はあったと思われますが、大した独立心です。
 さて、このように昭和22年から24年にかけて本屋が急増したのは、戦後市民が文化的に飢えていて、新しい知識や哲学を知ることは「明日に希望を持って生きる」上で必要であったことの表れでしょう。まさに本屋・書店は「文化の灯火」であったのです。だから、下斗米ミチさんも『母さんの風呂敷包み』に、「この時代は、一冊一冊の本が多くの人の心に強い印象を残したものでした。」と記しているのでしょう。

◇『北見商工名鑑-1968-』では・・・
 調査したところ、昭和25年版『北見商工名鑑』に続いて発行されたものは、昭和43年6月発行の『北見商工名鑑-1968-』しかありませんでした。その間に本屋さんも相当な出入りがあったようで、この昭和43年の名鑑には書籍を扱う店は次ページの3店しかありません。

 

名称

(代表者名)

営業種目 業態 所在地

資本金

従業員

設立年月

(株)伊倉書林

(穴田麻都)

書籍・雑誌 1条西1

100万円

11名

昭和29年2月

(株)福村書店

(下斗米茂気)

書籍・雑誌 3条西2

120万円

20名

昭和23年9月

(株)フミヤ田中商店

(田中研三)

文房具

紙製品

書籍・衣料

2条西3

250万円

58名

大正元年10月
 フミヤ田中商店の創業が「大正元年10月」になっているのは、田中研三氏が実家の田中商店を継いでフミヤと統合したためで、福村書店が「昭和23年9月」創業になっているのも、文房具を商う「福村商店」から書籍の「福村書店」に変わったためでしょう。
◇伊倉書林
 伊倉書林は、北1条西1丁目の現在は喫茶店があるあたりで、資料が不十分で明確ではありませんが、昭和46・7年頃まで営業していたと思います。創業者は伊倉邦三(明治32年=1899年10月18日生れ)と言い、昭和32年(1957)10月発行の『躍進北見市の全貌』によれば、その時点で(株)伊倉書林取締役社長の他に北見石油株式会社専務取締役などの要職にあった経済人でした。その経営が穴田麻都(あなだ まつ)さんに移った経過は、北海道新聞で昭和39年(1964)1月に8回連載された特集『おんな経営者奮闘中』の1月21日付、第1回「伊倉書林社長/穴田麻都さん」に次のように書かれています。
 「伊倉書林を開いた伊倉邦三さんから店の経営をひき継いだのが三十五年十一月だからことしで四年目。社長のイスもすっかりなじんだようだ。二十六歳の若さでご主人に先立たれてからはともすればハリを失いがちな心を三人の子どもの養育でささえてきて子どもたちが成人して就職したとき肩の荷がおりたようだった。あとは静かにくらすことを願った穴田さんだったが...。/三十五年十月四日、青森市で開かれた母子連合会北海道、東北六県ブロック研修会に道代表として出席して帰ってきた穴田さんをまっていたのは三十一年からからだを悪くして療養生活を続けていた二男の雄二さんの『書籍店をやってみたい、一年間伊倉書林で勉強したい』ということばだった。伊倉書林店主伊倉邦三さんの夫人とは女学校時代の同級生の間柄、息子の願いだから...と話を持ち込んだところ『それならいっそ思いきって店の経営をやってみないか』とトントンと話がはずんでその一ヵ月後、不安の中に店を譲り受けたのだった。/穴田さんは社長となり、雄二さんは専務として書店経営の第一歩を踏み出した。」
 しかし開店から直ぐの昭和36年(1961)1月12日近所の火事で類焼、店舗を焼失。しかし、同年6月10日、新店舗を開店させました。「四十六平方メートルの店には一万六千冊の本がぎっしり並んでいる。将来はいま住宅につかっている二階を学術専門書部にし、ロビーをつくりたいと夢は大きい。『五十の坂をこえたばかり、働き盛りですよ。まだふけ込んではいられません』書店経営と前後して未亡人の協力会、むつみ会の三代目会長となり精力的仕事をしている。」
 穴田さんは当時の北見では「女傑」の一人に数えられていました。北見の書店は福村書店の下斗米ミチさんもそうですが、こうした働き者の女性の手で経営されてきたのです。
 その後、伊倉書林の跡には「アカシヤブック」、大通り西3丁目に「ブックセンター小林」が開店し、近年には大型資本の書店が北見に進出してきましたが、それらについては現在手元にある資料ではカバー仕切れませんので、またの機会に再度レポートしてみたいと思います。(完) 
《中庭だより》☆1月9日夜9時、NHKで『二本の木』という小沢爽・千緒ご夫妻の闘病日記が放送されました。爽氏は昭和36年頃北見局に勤務、(田中)千緒さんと結婚し、千緒さんが平成19年5月肺癌で死去、爽氏も同年12月に胃癌で死ぬまでの夫婦愛を描いた秀作でした。
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