ヌプンケシ185号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.185
 タイトルヌプンケシ
平成22年 2月15日発行

◎バキュームカー導入はいつか?                
   先日、市民の方から「旧北見市にバキュームカーが導入されたのはいつか?」との照会がありましたので、今回はそのレポートをすることにします。天秤棒で担ぐひとの写真
◇屎尿(しにょう)汲み取りは大変だった。
  筆者が幼少期 昭和20年代は屎尿の汲み取りは民間業者がやっていました。「黄金馬車」とよばれた駄馬が引く馬車には木製タンクが載せられ、後方に落とし口があって板で蓋をしてあるものの、絶えず液体が滴っていました。冬には木製タンクは橇に載せられ、その通った雪面には黄色い筋が走っていました。汲み取りは全くの手作業で、業者は長い柄の柄杓で便槽から屎尿を汲み取って肥桶に移し、右の写真のようにそれを天秤棒で担いで馬車まで運び、中身をタンクに空けました。想像するだけでも大変なように、便所の汲み取りがくると一日中、家中に通称「田舎香水」の悪臭が立ち籠め、閉口したものでした。
  汲み取った屎尿は郊外の貯留槽に集められ、発酵させて畑の肥料などに使われました。(充分発酵させないと 回虫など寄生虫の卵が死にません。)ですから、当時は春先など畑を見ると、便所紙(新聞紙など)がヒラヒラ風になびいていたものです。また、農家の畑の隅には肥溜めがあって、子どもが遊んでいる最中に落ちてはまる事故が多々ありました。
◇『バキュームカーはえらかった
  黄金馬車と比較すると、バキュームカーの登場は画期的でした。長いホースで狭い路地にも入り込み、作業は短時間で終わり、悪臭の発生も一時的になりました。
  そうしたバキュームカーの歴史をまとめたのが、平成8年(1996)5月に文藝春秋から発行された村野まさし著『バキュームカーはえらかった—黄金機械化部隊の戦後史—』で、著者は次のようにバキュームカーを誉めたたえています。『バキュームカーはえらかった!』表紙「バキュームカーは、日本の高度成長の隠れたシンボルにして最高殊勲選手なのである。/バキュームカーは終戦直後の日本で誕生した。細いホースを何十メートルも延ばすことによって、どんなに狭い路地の奥だろうと、いや狭い路地すら存在しない超住宅密集地域であろうと、便所とその下に掘られた便槽があれば、塀の上、屋根の上、畳の上までヨッコラショと大蛇のようなホースを渡して、あふれんばかりのし尿を吸い取ってきた。お陰で、昔ながらのヒシャクによる汲み取り方法では太刀打ちできない超過密レベルの住宅建設が可能になった。」「経済学的に見て日本の高度成長は、一極集中によって達成された。その一極集中は、言ってみれば、バキュームカーがあったからこそ、戦後、半世紀にもわたって、どうにかこうにか、だましだまし持続しつづけてこられたのだ。」
  この本によれば、バキュームカーの誕生は、占領軍が下水道の普及していない日本での屎尿処理(汲み取り)の余りの非衛生ぶりに驚き、改善を要求したことから始まったそうです。厚生省は「真空車」を開発し、昭和24年(1949)川崎市にむりやり購入させましたが、オート三輪でタンク車を牽引する全く実用性の乏しいものだったようです。そこで川崎市の初代清掃課長工藤庄八氏が1トントラックにタンクを載せる現在の方式を考えて、町工場で開発を進め、昭和26年(1951)に「バキュームカー」と名づけて実用化しました。
◇当市の導入は昭和30年(1955)5月
  当市のバキュームカー導入は早く、『昭和30年事務報告』に昭和30年「五月より市に於て吸引車一台購入 主として市施設(市内学校、保育所、産助院、共同便所、市役所)の汲取を行ふ、其の他の一般は従来どおり」民間4社に「し尿汲取業の許可書を交付代行せしめた」とあります。同年2月17日付『北見新聞』の事業予算記事に吸引三輪車(77万円)1台購入とあり、「市役所、小中学校など市関係の年間汲取料は年間五十二万円に達しているので、吸引車を買って、この分を浮かし」不足分は余力で官公庁に出向いた汲取料金から補う皮算用で、「これはテストとして行うもので、若し成功すれば三十一年から機動化する計画」と説明がありました。

昭和31年5月『市勢要覧/昭和31年版/北見市』に掲載された写真
   
   実際の作業が極めて良好だったので昭和31年度も吸引車を購入し、5月より屎尿汲み取りを本格的に市直営としましたが、当時の自動車は冬道に非力だったためでしょう、冬季間は民間会社の馬車に代行させました。上の写真は、昭和31年5月『市勢要覧/昭和31年版/北見市』の掲載されたもので、前年11月に落成なった市庁舎の前に誇らしげに全清掃車両を集めて撮ったもので、左から3台目の四輪車と続いて2台の三輪車が吸引車=バキュームカーです。 昭和32年10月発行の『躍進北見市の全貌』にある昭和32年度予算資料を見ると「し尿汲取りポンプ車一台230万円」とありますから、同年度にも四輪車1台を増車した模様です。
  市内の下水道が普及するに連れて、水洗化も進み、汲み取りの量も減りました。昭和40年(1965)3月末現在の屎尿処理の車両は大型2台・中型3台・小型1台計6台で1日平均収集量は76klだったのに対し、平成8年度では7,200ℓ1台・7,000ℓ2台・3,500ℓ1台(うち2台は予備車)で1日平均収集量は25.7kℓになり、平成9年(1997)1月1日から旧北見市では民間業者に業務を委託しました。そして、現在も北見2台、端野2台、留辺蘂2台、常呂1台、計7台のバキュームカーが、それぞれの自治区で汲み取りに走りまわっているのです。

《中庭だより》☆今回も資料が少なく、黄金馬車や当市で最初に導入したバキュームカーの写真を探したのですが、結局出てきませんでした。何しろ、最初のバキュームカーが三輪車だったことも中央図書館の北見新聞を調査して知ったしだいで、まだまだ勉強が必要です。(溜息)
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