ヌプンケシ190号

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市史編さんニュース NO.190
 タイトルヌプンケシ
平成22年5月1日発行

◎上杉病院のことから(5)
◇観兵式に関係した飾付け?
大正10年秋 野付牛街並写真 右にある写真を見ると、駅前にはアーチが組まれ、停車場通り(現在の中央通り)の両脇には柵が設けられています。ですから、最初は前号で紹介した青年大会参加者歓迎のために飾りつけられたものかと思いました。しかし、写真の説明には「大正10年秋 野付牛街並」とありますから、この大会だけに限定できないと考えるようになりました。
 この停車場通りは 同年10月に実施された第七師団機動演習終了後の観兵式(20日)に前後して「観兵道路」と言われるようになりました。北見新聞特集『街』にも「北鎮の精鋭七師団の機動演習がこの地を中心に行われた折、大詰めの観兵式をこの通りを舞台にして盛大に行った」、「駅前の観閲台上の師団長閣下の閲兵を受けながら歩武堂々と行進する将兵に歓呼した」とあり、町民が見物に来た規模を考えると「観兵式に関係した飾付け」が妥当でしょう。

◇大正時代の野付牛警察署
 下の写真は久永さんのファイルに「上杉病院 横から」撮ったものとの説明がありましたが、屋大正時代の野付牛警察署写真根の形状から上杉病院とは違う施設と考えました。この病院との位置関係から見ると、現在中央公園になっているところにあった警察署と考えられました。私達の記憶にある警察署は昭和13年(1938)12月19日に落成したもので、特に大正時代の警察署を写した写真は筆者の記憶にはありませんでしたので、探してみましたが、大正15年(1926)12月発行の『野付牛町誌』にあった、次ページの小さな正面写真しか出てきませんでした。決め手は屋根の上にある「望楼」でした。当時は警察が消防も監督していましたから、火の見用の望楼が建物についていたのです。平成2年(1927)3月発行の『北見の消防』には次のように書かれています。
 「消防組時代、警察署長は消防司令として消防組を指揮監督し、組頭以下消防組員に対する任免権(組頭の任免は道庁警察部長)を持っていた。これは、消防組のみならず、火防組合も衛生組合も火防野付牛警察署写真衛生婦人会も全て警察行政のもとに置かれていたのである。消防組の場合、町村はその費用については町会の決議に基づいて支出したが、指揮権はなかった。/野付牛における警察機関の設置は、明治30年7月に野付牛巡査駐在所が旧市街に設置され阿部八十治巡査が着任したことに始まる。この当時の警察の管轄は、網走警察署下常呂分署に属していた。/明治40年になって、巡査駐在所は巡査部長派出所に昇格、更に大正2年6月には網走警察署野付牛分署になった。この分署は初め仮庁舎を大通東5丁目に置いたが、間もなく4条西1丁目の高台に庁舎を新築移転した。そして大正10年9月、野付牛分署は庁令第85号で、全道13分署と同時に昇格して野付牛警察署になったのである。」このことは『北見市史』年表編にも、大正10年(1921)9月26日「野付牛警察分署、野付牛警察署に昇格」とあります。
 前ページの写真は、汎氏が上杉病院2階の窓から、大正2年(1913)6月以降に建った(『北見の消防』)、大正時代の警察署の側面を撮ったもので、大変貴重な写真だと思いました。

◇貴重な写真と資料の保存

上杉病院内写真 右の写真は、病院内と思われる一室で何やら大きな電気仕掛けの医療器械を上杉院長(左の人物)が操作し、邨瀬薬剤士(右の人物)が補助している場面のようです。
 この器械が何であるかは、裏書には大正13年(1924)5月とあるだけで、他に何も情報はなかったようです。筆者もこの器械が何物か見当がつきませんが、当時としては最新式の医療器械だったのでしょう。この写真も研究者が見れば、何の治療もしくは検査に使った器械か分かることでしょう。これも貴重な写真です。
 これまでの市史編さん事業での経験では、有力者でたくさん古い写真や史料があっても、その所有者がお亡くなりになると、ご遺族が燃やしてしまったり、処分してしまうケースが多く、調査に行って何も残っていない、残念な場合がありました。
 それに比べて今回は、邨瀬汎氏による撮影年月日等の裏書があり、それをもとにお孫さんが遺品を整理し、ファイルを作成されていた素晴しいケースだと思います。それで幸運にも邨瀬汎氏が撮影した写真や資料の情報を今回頂くことができ、今号までレポートしてきたとおり、その裏付け調査に基づいて「野付牛病院火事」の災害年等、明らかになった部分も出てきました。これらを保存されてきた邨瀬愛さん(汎氏長女)ご一家はじめ、ご遺族に深く感謝します。
 読者の皆様の中に、もしご自宅に古い写真や資料がありましたら、処分する前に一度、市史編さん担当者に見せてください。その中に大発見があるかも知れません。(完)
 

《中庭だより》☆上杉病院のことを連載していましたら、戦後に上杉医師が中央小学校近くで開業した頃、近所に住んでいて、同医師に大変可愛がられたという60歳代の男性が現れました。また上杉医師のご遺族が札幌にいるとの情報もあり、これから何か発見があるかも知れません。

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