ヌプンケシ212号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

市史編さんニュース NO.212 
 タイトルヌプンケシ
平成23年4月1日発行

 

◎『子なさせ地蔵』とお産婆さん(7)野付牛町勢一斑
◇野付牛での大正時代のお産婆さんの数

 当室所蔵で野付牛でのお産婆さんの数を記録した一番古い資料は『北見市史』編集委員長=鈴木三郎氏が収集された現在の『市勢要覧』とも言うべき大正5年(1916)5月調査の『野付牛町勢一班』で「6」とありました。同年4月に町制を施行したので、作成したのでしょう。大正6年(1917)8月印刷の『野付牛町勢一班』には「10」、大正7年(1918)7月印刷の『野付牛町勢一班』には「13」とあり、年々増加していたことを示しています。
 しかし、大正10年(1921)1月発行の『野付牛町勢一班』では「6年 8」「7年 11」「8年 15」と3か年の数がありますが、調査月か、記載対象が違うのか、前記資料の大正6年・7年の数字と合致せず、それぞれ2人の差があります。
 続く大正14年(1925)10月発行の『野付牛町勢一班』には、「9年 15」「10年 12」「11年 15」「12年 16」「13年 19」と5か年のお産婆さんの数が記載されています。
 大正15年(1926)12月発行の『野付牛町誌』では「明治44年 -」「大正5年 9」「大正10年 12」「大正15年 25」ということになっています。
 207号の広告にあるとおり那須さんが明治45年に開業していたのは間違いないのに、『野付牛町誌』でいけば明治44年(1911)は産婆数は「0」です。これは仮説ですが、那須さんと舛川さん、旧来の「限地産婆」2名は、大正9年前後から正式な産婆の数に含まれなくなったのではないでしょうか。それであれば最初に示した資料と後の資料の2人分の差も説明がつきます。
 このように資料によって数字はまちまちですから、いずれにしても正確な数字を得るには北海道立文書館などで別に資料を探さなくてはなりませんが、少なくとも野付牛でも大正時代には試験に合格したお産婆さんが野付牛の主流になったと見て間違いないでしょう。

◇久永万里子さんから頂いた関係資料から

 この特集を組むきっかけの一つは、上杉病院シリーズでお世話になった久永万里子さんのお
祖母様、邨瀬(旧姓・江口)スエさんが野付牛でお産婆さんを開業していたことにもありました。
 その久永さんが独自で北海道立文書館で調査された『北海道廰公報』にあった野付牛関係の
「産婆登録」のコピーなどを当室にご提供頂いたので、順次ご紹介します。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名

族籍

 

氏名

生年月日

第四二號

大正二年

三月十二日

常呂郡野付牛村大字野付牛

二百六十八番地

同上

試験合格

明治四十五年五月二十三日

山形縣

山形縣

平民

 

齊藤榮

明治二十三年

一月一日生

 この資料で、山形県で22歳で「産婆試験」に合格した明治23年(1890)生れの齊藤さんという女性が、翌大正2年(1913)に「野付牛村」で産婆登録をしていたことが分かりました。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第三六九號

大正五年

五月十八日

北見國常呂郡野付牛町

鉄道官舎二號

同上

試験合格

大正三年十月三十日

北海道廰

北海道

平民

 

江口スエ

明治二十八年

六月八日生

 上にあるのは、久永さんのお祖母様スエさんの「産婆登録」です。明治27年(1894)に江部乙(現・滝川市)に入植した屯田兵の妹として明治28年(1895)に生れたスエさんは、大正3年(1914)19歳で資格を取得。その後、鉄道員になったお兄さんの転勤で「野付牛町」に来ました。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第四一九號

大正五年

十二月一日

常呂郡野付牛町大通

西五丁目三十七番地

同上

試験合格

大正三年四月二十五日

北海道廰

北海道

平民

 

 庵原かぢよ

明治二十七年

三月五日生

 この庵原さんは、スエさんより半年早い試験に合格しています。明治27年(1894)生れですから、ちょうど20歳で資格を取得し、大正5年(1916)の暮れに野付牛町で開業したということです。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第五七〇號

大正七年

三月四日

常呂郡野付牛町二条通

西七丁目百二十二番地

同上

試験合格

大正五年十一月一日

北海道廰

北海道

平民

 

大原公惠

明治二十八年

十一月一日生

 大原さんも21歳で資格取得、当地で22歳で開業し、大正8年(1919)4月1日付、北海道廰告示第百七十五号で住所・開業地を「常呂郡野付牛町三百七十一番地ノ一」に異動したので、3月29日に産婆名簿を訂正したとあり、同じ町でも厳密に届出していたことが分かります。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第五七五號

大正七年

月二十九

常呂郡野付牛町字オン

ネメーム番外地

同上

試験合格

大正二年四月十九日

宮城縣

宮城縣 

平民 

 

赤野とみよ

明治十九年

八月五日生

  赤野さんは26歳で宮城県での試験に合格し、野付牛町では32歳で産婆登録しています。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第五八二號

大正七年

月二十九

常呂郡野付牛町北一條

東一丁目十五番地

同上

試験合格

明治四十一年五月十八日

長野県

長野県 

平民 

 

鹽島阿喜野

明治二十年

一月七日生

 鹽は「しお」と読みます。この人は長野県で産婆登録し、開業していた可能性があります。住所は野付牛病院のあった場所で、同病院でお産婆さんとして勤務していたのかもしれません。

登録番號

登録年月日

住所

開業地

資格、資格取得年月日

受験地方廰名 

族籍

 

氏名

生年月日 

第六二二號

大正七年

九月二十

常呂郡野付牛町北二条

通西三丁目三十三番地

同上

試験合格

大正五年十月二十三日

北海道廰

北海道

平民 

 

大江ナヲ

明治二十七年

二月二十八日生

 大江さんは22歳で北海道の試験に合格、24歳で野付牛町の中心地に開業しています。

《中庭だより☆3月11日、突然に千年に一度という東日本大震災が起き、数日間テレビに映しだされた地震と津波の阿鼻叫喚の地獄に戦慄、重ねて原発の恐怖。深く哀悼の意を表します。

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