ヌプンケシ219号

北見市総務部 市史編さん主幹  〒090-8501  北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039

 

 


 

市史編さんニュースN0.219

 

タイトル ヌプンケシ

 

平成23年7月15日発行

 

 


 

◎『子なさせ地蔵』とお産婆さん(14)
◇北見市立助産院
 前号のとおり、筆者は新聞の特集記事で初めて「市立助産院」を知りました。そこで実在したかどうかを確認するために、当室に保存してある公文書類を探ってみたところ、『昭和24年/事務報告/北見市』に「助産院建設」という次の報告がありました。

 全て国民は児童が心身共に健やかに生まれ且つ育成されるやうに努めなければならない、国および地方公共団体は児童の保護と共に児童を心身共に健やかに育成する責任を負う、の定義により児童福祉法第二十二条の規定により助産院を建設したもので、此の助産院は昭和二十四年度厚生省児童局第一回の施設で全国三ヶ所の中一ヶ所が北見市に施設されたもので、七条西四丁目蓮池テル所有の家屋を買収し増改築を行い建坪七十六坪総工費一五六万六千円内国庫六十万 道費三十万 計九十万円の補助を受け 本年八月十日着工 十月三十一日竣功 十一月一日より開院したもので宿直室、職員室、手術室、待合室、診療室、分娩室、事務室、湯沸場、浴場を設け、産室は七室、二〇床の施設であります。
 

地図 北見市立助産院  北見市立助産院利用状況
初診数  入院数  (入院)分娩数  往診数  備  考
二三名      八           八   重産


 この北見市立助産院があった場所は、現在は「割烹うめ笹」隣の駐車場のところです。右の地図は昭和28年(1953)5月発行 『北見市内明細図』の該当部分を縮小コピーしたものです。
 昭和25年の『事務報告』を見ると「昭和二十四年十一月開院以来市民の利用状況は累月増加し近頃では毎日数名以上の在院を見、市民福祉の一つとして利用されています」との報告とあわせて次の利用状況が提示されています。

 

 

初診数     入院人員    入院延日数   分娩人員  収入金額        減免人員  減免金額
二七〇人   一〇八   一,一九八日  一四二人 二〇四,三七〇.0   一三人 二七,七八五円

 

 20年ほど前に亡くなりになりましたが、筆者の親戚で、東京でお産婆さんをやっていたおばさんから「焼け跡だらけの終戦直後にはお産費用も払えない、すごく貧乏な家もあって、お金をもらうどころか、気の毒で産着を置いてきた。」という話を聞いたことがあります。そのような経済的に貧しい人達の入院費用を減免できる、こうした公立助産院が必要だったのでしょう。
 昭和28年の『事務報告』にある職員名簿を見ると、助産婦に「加藤、熊切、皆川」とあり、雇員に蓮池の、4人体制であったようです。しかし、昭和29年の『事務報告』では皆川さんの名が消えて、3人体制になり、手元にある資料では昭和34年『事務報告』までは確認できました。熊切一枝さん以外の氏名は「加藤キヨ」、「蓮池テル」で、皆川さんの名は不明でした。
 利用状況についてまとまって記録されていたのは、昭和29年(1954)4月発行の昭和29年版『市勢要覧』で、5か年分の数値が載っていました。

 

年   次  初診数  院内分娩数  院外分娩数  収入金額  減免数  減免金額  備     考
昭和24年      8        3        ‐       6,540       ‐        ‐  昭和24年11月1日開院
昭和25年  226       108       34    204,370    13    27,785

昭和26年  231      123       55    347,730    10    23,770

昭和27年  292      177       69    503,285     6    14,850

昭和28年  399      251       65    611,782    16    41,315

 

 上の表の昭和24年の数値が昭和24年『事務報告』とは全然違う数字ですが、『事務報告』のは水増しした数字だったのでしょうか、不明です。また昭和25年では初診数が違っています。
 これ以後の利用状況の数値は各種資料を見ても、断片的で紹介することができません。
 結局、この北見市立助産院は昭和41年(1966)3月31日に閉院になりましたが、同年3月議会での市長説明は次のとおりです。
 「助産院の廃止でありますが、昭和23年(ママ)開院以来妊産婦の利用が多く大きな効果をあげて参りましたが、近年の市内助産施設の充実と近代化によりまして、その利用は激減しており、助産院本来の目的がすでに達成され、使命を果たした次第でありますので、施設の老朽化の現状から見て本年4月より廃止いたしたいと存じ、別途議案も提案しております(後略)。」
 昭和43年(1968)8月、この施設はマザーズホームに転用されたようですが、いつ取壊したかは不詳です。市立助産院関係の公文書類は所在不明で、これ以上の追跡は不可能でした。
◇助産院・助産婦のその後
 前にも述べたとおり、戦後の助産婦・助産院については、まとまった資料がありません。
 そこで北見市議会事務局から毎年発行されている『市政のあらまし』をみましたら、昭和48年(1973)版に昭和44年10月から実施されている「入院助産制度」の昭和47年度実績報告があり、そこに対象になった助産施設が記載されていました。それ以降の年度にある情報も含めて整理すると下の表のとおり、対象施設が4か所あり、そのうち3か所が助産所でした。

 

設置経営主体  施設名        施設長名  所在地
         北見赤十字病院  芝木秀雄  北見市北6条東2丁目
          浅野助産所     浅野みさを 北見市北5条西4丁目35
        〃     加藤助産所     加藤皐月  北見市北6条西5丁目13
    〃     岡助産所      岡マキ   北見市春光町3丁目10-25

 

 その後、昭和51年度の実績報告には浅野助産所の名はなくなりました。ということは昭和50年度中に閉業したのでしょう。岡助産所も昭和52年度実績報告に名があるのに、昭和53年度では消えています。加藤助産所も平成元年度までは記載されていました。平成2年度には北見赤十字病院だけになっています。こうして市内の助産所は徐々に消えていったようです。
 あとは過去の職業別電話帳で調べてみたのですが、当室にあるのは昭和60年(1985)8月発行が一番古く、そこには「助産婦・助産所」として「加藤助産所・・・・・・25-6811 6西5」「添田ヒサ子・・・・・・24-3340 春光4-9」が掲載されていました。昭和61年10月発行のものには「加藤助産所」しか見えませんでした。添田さんは、昭和60年8月から昭和61年10月の間に助産婦の仕事を辞めたのではないでしょうか。
 一時は「絶滅」したとまで言われた「お産婆さん」ですが、現在では助産師としてその親身な指導が見直され、各地で助産所が出来ています。北見市内でも2か所の助産所施設があり、少し古い数字ですが、平成18年度(2006)末で北見市内の助産師の数は51名だそうです。(完)

 

《中庭だより》☆開拓期から生命誕生を助けてくれたお産婆さんのことを、少しでも市民に知って頂こうと長期連載になりましたが、予想以上に資料類がなく、最後はご覧のとおり尻切れトンボになってしまいました。これにめげず、今後も地道に資料の発掘作業を続けていきます。

 

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