ヌプンケシ230号

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市史編さんニュース NO.230

タイトル ヌプンケシ

平成24年1月1日発行


新年明けましておめでとうございます。 本年も本紙をご愛読ください。 


◎焼き肉の街=北見のこと()

◇ホームページ『北見、焼肉夜話』をご存じですか?

 旧年平成23(2011)8月29日、「焼肉の日」にちなんで『北見、焼肉夜話』のホームページが公開されたことを市民の皆様はご存じでしょうか。
 同ホームページは「北見市在住の管理人が、北見の焼肉に関する情報を趣味でまとめたサイト」で、【1章】北見焼肉総論、【2章】焼肉作法、【3章】肉のおいしい食べ方、【4章】焼肉と健康、【5章】焼肉名店街、【6章】ちょっと上行く玄人焼肉の楽しみ方、【7章】焼肉に関する取り組み、【資料編】まである構成で順次情報を収集して内容を充実する予定だそうです。

 なかなかの労作で、【1章】北見焼肉総論の「北見の焼肉店の多さ(道内各市比較)」では道内35市の平成21(2009)1231日現在の住民基本台帳の人口数と、電話の『タウンページ』に掲載された焼肉店数を拾って、各市の一万人当りの焼肉店数を出しています。そのトップテンは次のとおりです。(なお、当紙では1万人当りの店数は少数第2位まで表示しました。)

 第 1位は紋別市で、人口   25,114人・焼肉店数 12店・1万人当りの店数 4.78
 第 2位は北見市で、人口 126,075人・焼肉店数 60店・1万人当りの店数 4.76

 第 3位は砂川市で、人口 19,282人・焼肉店数    9店・1万人当りの店数 4.67

 第 4位は滝川市で、人口 43,974人・焼肉店数   18店・1万人当りの店数 4.09

 第 5位は芦別市で、人口 17,370人・焼肉店数    7店・1万人当りの店数 4.03

 第 6位は網走市で、人口   39,642人・焼肉店数   15店・1万人当りの店数 3.78

 第 7位は旭川市で、人口 354,272人・焼肉店数 120店・1万人当りの店数  3.39

 8位は稚内市で、人口  39,232人・焼肉店数   13店・1万人当りの店数 3.31

 第 9位は赤平市で、人口  12,991人・焼肉店数    4店・1万人当りの店数 3.08

 第10位は帯広市で、人口 168,658人・焼肉店数   48店・1万人当りの店数 2.85

 ご覧のとおり、当市は僅差で第2位ですが、同ホームページは旧北見市であった平成18(2006)1月31日現在で見ると人口110,222人に対して焼肉店数は57店で、1万人当りの店数はダントツの5.17でしたが、合併による人口増でこうした数字になったと解説しています。

 いずれにしても、当市が焼肉の街として道内トップにあることは間違いなく、インターネットのフリー百科事典『ウィキペディア(ikipedia)』の「焼肉」の項でも、15か所の「焼肉店密集地」の内、道内では「旭川市」と共に「北見市」があげられています。

 【5章】焼肉名店街を見ると、管理人自身が直接焼肉店に出かけて取材した3店の解説記事と鮮明なお肉の写真があり、ついつい食欲をそそられます。また、【資料編】の「資料2 北見焼肉店一覧」も平成23年4月末現在の焼肉店63店の状況が掲載され、地図にリンクしているので、北見市民が食べ歩きの参考になると思いますので、見ることをぜひお奨めします。

 前置きが相当長くなりましたが、そんなことで本年最初のニュースは『北見、焼肉夜話』に刺激されて、「焼き肉の街=北見のこと」をレポートしてみることにしました。

◇北見で最初のホルモン焼きの店は?

ホルモン焼きのお店写真 『北見、焼肉夜話』のホームページでも紹介されていますが、北見自治区で最初のホルモン焼きの店については、平成14(2002)2月号『広報きたみ』No.525の特集「もっと牛肉!北見は焼肉」での金鐘化氏の次の証言があります。

 「『私が北見で二件目(軒目では?-引用者)のホルモン焼き屋を出したんです』と言うのは、現在も市内で焼き肉店を経営している金鐘化(きんしょうか)さん(八二歳)。昭和三十一年(1956年-引用者)に、稲荷神社(幸町)の仲店で広さ九畳、十人余りが座れる店『ホルモン焼・大昌園』を構えました。金さんによると、北見で最初のホルモン焼きの店は狸小路にあった『力(りき)』という店で、そこの主人も朝鮮半島から日本に渡って来た方だったといいます。朝鮮半島では豚や牛をはじめ、鹿や猪などの内臓を食べる習慣があり、日本のと畜場で捨てられていた豚の内臓に目を付けたそうです。」

 上の写真は、昭和58(1983)11月発行の『写真集・北見』46ページ掲載のもので、正面に稲荷神社、右に大昌園の「ジンギスカン鍋/ホルモン焼」の看板が見えます。

 金氏の証言によれば、北見自治区最初のホルモン焼き屋は、「力」というお店だそうです。筆者も幼い頃に、その店名を聞いた記憶があります。「力」について『広報きたみ』以外に情報がないか、当室の資料を探ってみましたが、見つかりませんでした。ただし、不鮮明でこの紙面に紹介できませんが、『写真集・北見』の10ページ下段左「狸小路夜景(昭和32)」の写真の中に小さく「ホルモン焼」の看板が見えますから、それが「力」だった可能性はあります。「力」の開業年は不明ですが、大昌園が昭和31年創業とすれば、それ以前ということになります。

◇当市にホルモン焼きが定着したのは昭和301955)年代

 参考に『家庭北見』新聞で見ると、昭和28(1953)2月1日付の特集記事「青息吐息の/北見人二月の生態」には「最近の流行はおでん屋、焼きとり屋級、二級酒一本六十円~七十円、安直に飲めるとあって新規開店が目立つ」云々があり、「ホルモン焼き」は全くでてきません。

 しかし、同32(1957)11月5日付には「北見市秋の紅燈街/案外寂しい高級店/市民は専ら庶民酒場に」の見出しで「飲食店 いわゆる“いっぱい屋„が雨後のタケノコのように生まれ、その数だけでも市内にざつと五十余軒を数え、狸小路、稲荷横丁、銀座商館が、その中心街を構成している。/洋酒あり清酒あり焼酎、ビールにかんたんな小料店、それに焼鳥、ホルモン焼が夕闇迫るころともなれば、食欲をそそるかぐわしい香りを票わすのだ。」「景気、不景気にかゝわらずいつぱいの酒、いつぱいの焼酎にホルモン焼を頬ばりながら、明日への活力原を貯えている。」(原文のまま)とあり、「ホルモン焼き」が市民の好物になったことが分りますから、当市では昭和30年代に「ホルモン焼き」が定着したと見て間違いないでしょう。(続く)

《分室だより》☆皆様には新年をお元気でお過ごしのことと存じます。年々日々刻々と、考古学をはじめ歴史学では新事実が発掘・発見されて、今までの「常識」が「非常識」になります。筆者も少しでも学習し、見聞を広め、市史での事実掘起しに一層努力したいと思っております。

 

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