ヌプンケシ235号

 〒090-0024  北見市北4条東4丁目 北見市役所第1分庁舎 市史編さん主幹   TEL0157-25-1039 


市史編さんニュース NO.235

タイトル ヌプンケシ

平成24年3月15日発行


◎焼き肉の街=北見のこと(6)

◇野付牛町立屠場の開設年月日は不詳

大正8年の「屠蓄場」の施設状況の表 前号の例で考えると「大正九年には、と場は町営となり、野付牛町浜村(兵村の間違い―引用者)二区に移転され、さらに十二年に森永町に移転経営された」云々という『北海道食肉名鑑』の記述もあやしくなりました。

 そこで当室にある古い資料を見ると、大正5年(1921)5月調査の『野付牛町勢一班』の「衛生」の項に、町立かどうかわかりませんが、「屠畜場 一」とあります。以下、大正6年・7年の『町勢一班』も同様の表示です。

 大正10年(1921)1月発行の冊子形態の『町勢一班』の屠場関係の項目を見ると大正6年(1917)から同8年までの屠畜数が右表のとおり記載されています。しかもご覧のとおり、その下段には屠場として「野付牛町立屠場」とあります。これで、大正6年時点で町立の屠場があったらしいことがわかりました。

 また、大正8年(1919)の「屠畜場」の施設状況も右の表にあるとおりで、位置は「野付牛町東3号」とありますから、現在の桜町=昔の「森永町」ということです。

 道立文書館、道立図書館にも野付牛町立屠場の開設年月日を照会しましたが、該当する資料はありませんでした。

 第2代町長鈴木浩気(在任大正9~12年)の実績の中に「屠場の新設」を挙げた資料も見つけましたが、確証となる資料はなく、正確な町立屠場の開設年月日については今後とも別資料を探索して調査するしかありません。

『大日本職業別明細図』◇屠場の変遷

 大正時代、野付牛町立屠場があった東三号は、人家のない郊外で昭和4年 (1929)に森永練乳工場が兵村一区から移転してきてからは地域の人から「森永町」と呼ばれていました。左の地図は、昭和8年(1933)12月に発行された『大日本職業別明細図』の該当部分です。この屠場がどのような形態の施設だったのか、知ることのできる施設図や写真などの資料を探してみましたが、今のところ何も見当たりませんでした。ご存知の方がいましたら、教えてください。

 東三号の屠場が老朽化したので泉町に施設を新築移転し、町から酪聯(北海道製酪販売組合聯合会の略)に経営が移り、昭和13(1938)8月22日から操業を開始しましたので、以後「事務報告」には屠場の統計は載らなくなりました。左の地図は昭和32(1957)10月発行『躍進北見市『躍進北見の全貌』付録地図の全貌』附録地図の該当部分で、この屠場の具体的な資料・写真類も全く未見です。

 昭和48(1973)4月に当市の職員になった筆者が実際に見た屠場は、北光(現・北央町)で昭和40(1965)1月18日に操業を開始した市営家畜処理場でした。『北見市勢要覧(昭和41年度)』には下の写真があり、当時としては先進的な施設だったのでしょう、その説明に「家畜処理場/昭和3912月総工費8千万円で建設、年間5万頭の処理能力をもっている。また、食肉加工場も同時に操業した」と誇らしげに書いてあります。

 話が飛びますが、平成21(2009)8月28日付の『どうしん情報紙みんと』に、「この直営のと畜場で当時昼食時に洗いたての腸などの内臓肉を入れてグツグツ煮込んだ『屠場鍋』が、その後、市役所の職員らが大鍋に一頭分の豚の内臓肉と生姜、ニンニク、牛蒡、白菜などの野菜を入れ、味噌や塩で味を整えグツグツ煮込み仕上げ、大勢の仲間たちと楽しんだ『モツ鍋』のルーツといわれています。」と紹介されていますが、筆者も青年時代に家畜処理場へ用事で出かけた際、この「屠場鍋」を一度ご馳走になったことがあります。職員休憩室の石油ストーブの上にこってりした脂肪が縁にこびりついた鉄鍋が置かれ、毎日昼食のオカズとして食べる分だけ内臓肉が投入されていました。見ただけでもコレステロール値の高そうな鍋でした。『北見市勢要覧(昭和41年度)』写真

それはさておき、左に提示した地図は昭和53(1978)8月発行『北見市内住居戸別明細図』の家畜処理場周辺部分です。紙面の都合でここには掲載できませんが、昭和44(196912月発行の『北見局内住居戸別明細図』と比較すると、同地図には「と場」だけしか施設がなかったのに、昭和53年版にはご覧のとおり、二号線から家畜処理場へ至る道路の入口付近に坂口肉店・日本臓器食品・小西畜肉などの建物が並んでいます。これは昭和40年から50年代にかけて当市での内臓肉・ホルモン関係の需要が伸びたことを間接的に示していると思います。

 なお、昭和57(1982)4月12日から市営家畜処理場の運営は市から()北見畜産公社に委託され、市直営ではなくなりました。この時点で「屠場鍋」は幻になりました。『北見市内住居戸別明細図』

 常呂川河川改修に伴い豊田に新築移転し、昭和63(1988)12月1日に操業開始した「北見市食肉センター」は、平成12(2000)4月1日に市からチクレンミートに譲渡され「北見食肉センター」となりました。

 以上、不完全ですが、屠場の変遷を概観しました。しかし、不明なことばかりなので今後もアンテナを広げて、機会あるごとに資料を探し出し、調査を続けたいと思っております。(続く)

 

《分庁舎だより》☆先日、市民の方が来室、当紙と『広報きたみ』掲載の「四方山話」との違いを質問されました。「四方山話」は一流の研究家=伊藤氏が執筆する市史を平明に紹介するもので、当紙は編纂事業の広報、調査報告・市民からの質問への回答掲載である事を説明しました。 

 

NO.236へ

 

よくある質問のページへ

教育・文化

教育委員会

スポーツ

青少年

生涯学習

学校教育

文化施設

姉妹友好都市・国際交流

歴史・風土

講座・催し

図書館