ヌプンケシ265号

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市史編さんニュース NO.265

タイトル ヌプンケシ

平成25年4月30日発行


◎大町桂月の北海道旅行(15

◇黒松内から、旅行の終点函館へ

 大正10(1921)1031日の日記には、何か気分を害するものがあったのか、「午後黒松内へ、澤田利吉、◎名取龍蔵」としかメモがありません。11月1日も同様で「晴/講演、書会」だけです。

 11月2日、晴。「午前十一時七分発黒松内、午後三時、/函館、五稜郭、噴火わん、羊蹄山を望む、菅谷」とありますが、どこに宿泊したかは不明です。有力者の菅谷という人物の家に世話になったのかもしれません。

 11月3日の日記は「晴/菅谷叶子、午前書、/小笠原松次郎夫妻来る、湯の川へ去る、晩方、田所、永瀬と共に千人ぶろ、四間に、七間」とあり、この日もどこに宿泊したか分りません。

 11月4日、雨のち晴。「三かひの上、放牛、雨中に立つ、湯川、田所氏の主人、高橋栄三郎来る、菅谷別荘に立よりはこだて、夜勝田にてかく、」とありますから、この日の夜には函館の勝田旅館で書を書いていたようです。

 11月5日、曇。この日の午前は丸田木石の友人、浅見稲香へ書を書いてから、世話になった菅谷、新聞社などを自動車でお礼に回り、その後は函館市内の名所を周遊見学したようです。図書館にも立寄っています。八幡宮を訪ね、函館戦争の記念碑なども見たようです。

 11月6日、曇。午前7時半、林濁川、三井順三郎、丸田木石、浅見稲香、田所貢、永瀬潔のの見送りを受けて、連絡船で函館を離れ、12時には青森に着きました。港には出迎えの人々が待っていました。7月11日夜函館に上陸して以来、一夏を北海道で過ごし、初冬の11月に青森へ着いたからでしょう、桂月は「八甲田山上雪すでに白し」と感慨を記しています。

 帰途、十和田湖を探勝後、16年ぶりに奥入瀬渓谷の蔦温泉に寄り、1219日帰京しました。

◇アルコール中毒で精神病院に強制入院

 これまでご覧になったように、北海道旅行中の桂月には、いつも金魚の糞か寄生虫のように酒飲みの取り巻きがついて回っていたのですから、幾ら書会で金を稼いでも、酒代が足らなかったことでしょう。その上に行く先々では毎日のように歓迎会があったわけで、これでは全く酒の気が切れることはなかったでしょう。

 そのためか、大正7年(1918)5月にもアルコール中毒で精神病院に1か月入院しているのですが、大正11(1922)になると桂月は酒の上での失敗が続き、4月には仙台での揮毫会で世話になった料亭の座敷で揮毫した襖などを墨でメチャクチャに汚して、東京行の切符一枚で放り出される酒乱事件まで起こし、再び5月9日から16日まで強制入院させられてしまいました。

◇大正11年にも北海道へ

 それでも精神病院退院直後に計画していた富士登山を決行し、9月26日には従者なしで再度来道、前年できなかった羊蹄山と駒ケ岳の登山を試み、10月1日には羊蹄山、10月3日には駒ケ岳に登頂しています。紙面の関係で割愛しますが、その経過も『桂月全集』別巻の日記に克明に記録されています。これらの記録から、桂月の登山に対する情熱と執念が並々ならぬものであったことが伺えます。

 (なお、『大町桂月の大雪山』の「登山年表」204ページで駒ケ岳登頂を「10月4日」としていますが、日記との照合では同書42ページにあるとおり「10月3日」が正しいようです。)

◇当時としては驚きの北海道大旅行

 最初筆者も短期で常呂・野付牛の部分の旅行記を紹介して終るつもりが、ついつい長くなり、読者の皆様も少々お疲れになったのではないでしょうか。

 しかし、連載してみて、日程はともかく、旅行先の交通機関なども事前に十分調べて、大正10年当時利用可能な鉄道・駅逓・船などを活用した大旅行であったことを確認させられました。

北海道地図

 現在の北海道地図を広げて、層雲峡、大雪山、網走、佐呂間湖、ワッカ原生花園、北海道家庭学校、斜里、野付半島、屈斜路湖、阿寒湖、雌阿寒岳、積丹半島、寿都、函館とその旅行先を目で追うだけでも、大正時代の本州の人達には知られていない秘境への大冒険であったことが分ります。また、当時高名であった桂月の来訪を喜んで大歓迎し、気前よく旅行に協力する北海道の有力者たちの姿も見えました。おかげさまで大正時代に北海道の自然、風景が広く全国に知られることになったわけですから、感謝ですね。

 また、後で紀行文を書くための基礎データになっているのでしょうが、これまでご覧のとおり、日記には必ず天候が書かれ、懐中時計を持参していたのか、旅の出発時刻と到着時刻を記録しています。当時の読者が紀行文を読んで、旅行を思い立った時の参考になったことでしょう。小学校の時に、夏休み日記の天気もろくに記録したことない身としては、頭が下がります。

 筆者が日記を読んだ限りでは、桂月は犬や子どもが好きで、他人に悪態をついた様子もなく、アイヌとも別け隔てなく付き合っていたようです。『桂月全集』別巻所載の紀行文などを今読んでみても、ユーモアがあって当時の青年達が好んで読んだのも肯けました。桂月はお酒にだらしなく、思想的に偏狭だった以外は、案外好人物だったのかも知れません。

◇「常識」を資料で確認の必要性を痛感

 さて、今回の連載は『桂月全集』別巻の日記を基礎資料にしたわけですが、これも清水敏一氏が『大町桂月の大雪山』でご紹介がなければ、筆者は知らないままに過ごしたことでしょう。また、常呂図書館でも別巻の関係部分をコピー保存していたことも、連載中に知りました。

 大町桂月については「層雲峡の名付け親」「龍宮街道の名付け親」云々と「常識」程度しか知らないのに、そのままにしてきたのも怠慢であったと反省しています。ただし、『桂月全集』の何巻かは当市中央図書館でも所蔵しているのですが、別巻は道立図書館にしかありませんでした。そのような貴重な資料・図書類をどのように確保するかも、今後の課題であります。()

 

 

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