ヌプンケシ55号

北見市企画部(市史編さん担当) 〒090-8501 北見市北5条東2丁目 TEL0157-25-1039


市史編さんニュース NO.55
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平成15年9月1日発行

◎「戦時ポスター展」盛況に終わる 画像うさぎ 

 8月13日〜20日、北網圏北見文化センター2階にある講座室で開催されていた戦時ポスター展は、当初会場に用意した目録185部では足りず後で50部を追加するなど、おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。来観者名簿にお名前を書かれた方は283名で、正確な来場者数はカウントしていないので分かりませんが、少なくとも700人以上の方々がご観覧されたと推測しております。名簿を見ますと、帰省で北見に来た思われる京都・埼玉・横浜・札幌・旭川にお住まいの方や近隣町の方など、北見市民でない方もおいでになりました。感想はあまり書いてもらうことができませんでしたが、戦争体験をされた方たちからは「戦争は絶対に嫌やです。」「戦争は無駄なあらそいです。」「孫たちに同じ道をたどらせまい。」などの意見がありました。
 ポスターだけでなく、戦時中の新聞の複製も見て頂くようにコーナーを設置したところ、会場で紙面を見て昔を思い出していた年輩の方もお見受けいたしました。また、現在調査中の戦没者名簿も展示しましたが、「こんなに戦争で北見の人が死んでいたのか。あらためて戦争の恐ろしさについて考えさせられた。」との率直な感想も直接担当に寄せられました。
 市史編さん担当としては今後も貴重な資料の提供があった場合、こうした企画展を計画したいと考えております。ご協力頂いた皆様に心からお礼申しあげます。ありがとうございました。

◎『戦時ポスター展目録』の補足と訂正画像お月さま


 さて、『戦時ポスター展目録』を発行した後で判明した事実もありますので、折角ですから、この紙面を利用して補足と訂正をさせていただきます。
◇[紀元二千六百年記念 日本万国博覧会]ポスターの発行年について
紀元二千六百年記念 日本万国博覧会ポスター この中山文孝・作「万国博覧会」=「幻の日本万博」ポスターの発行年について、筆者は「昭和13年、14年頃」と推定したところです。ところが、その後入手した古川隆久著『皇紀・万博・オリンピック』(平成10年発行・中公新書)によると、日本万国博覧会の前売り入場券は昭和13年(1938)3月10日から24日までに百万枚が売り出され完売したそうですが、日中戦争が政府の予想に反して長期化し、経済が悪化するにつれて、「日中戦争遂行と軍備拡充」が至上命題となり、「民需」は削減されることになりました。万国博覧会もその対象となり、同年7月15日の閣議で「東京オリンピックの返上」と「万博の日中戦争終了後までの延期」が決定しましたから、従って昭和14年にポスターが作成されることはありえません。
 作家の中山文孝を人名辞典で調べた結果、該当ありませんでした。インターネットで検索しても、残念ながら九州で著名なデザイナー程度しかわかりませんでした。 
◇[海軍志願兵徴募]ポスターの軍艦名について
海軍志願兵徴募ポスター このポスター説明で、艦橋を「大和か武蔵の」といい加減な推量で筆者は書いてしまったのですが、清水昭典先生から間違いを指摘されました。清水先生によれば、この艦橋は重巡洋艦「愛宕」のもので、戦中世代であれば、どなたでも分かることだそうです。(すみません。)
 そこで手持ちの世界文化社発行『大日本帝国海軍 主要艦艇
150』にあった愛宕の写真と図面を見ると、ポスターと同じ艦橋がでてきました。その説明によると「巨大な城郭を思わせる艦橋を持つ『愛宕』は、まさに浮かべる城といった趣である。これは艦載兵器の飛躍的な向上によって、指揮装置も複雑・多岐にわたり、結果的に重要な施設も、あまり使われない施設も全て艦橋に集めたため、巨大な艦橋構造物となった。」とあります。
 この愛宕は昭和3年(1928)3月に建造され、太平洋戦争ではミッドウェー海戦など、数々の南方作戦に参加、昭和19年(1944)10月23日、米潜水艦の魚雷により、パラワン水道で沈没してしまいました。つまりポスターで少年兵を集めていた時には、愛宕は存在してなかったことでしょう。姉妹艦には「高雄」があり、昭和7年5月完成、これも南方作戦に参加、昭和20年7月、シンガポールで潜水艦の攻撃を受けて着底、行動不能で敗戦を迎えました。
 作家についても不詳としておりましたが、ポスター展にこられた画家・勝谷明男氏から、ポスターにあるサインで挿絵画家「松添健」であると教えて頂きました。この松添の経歴も事務室にある人名辞典には記載なく、インターネットでの検索では戦前の『少年倶楽部』などにSFや戦闘メカなどの挿絵を描いていたことくらいしか情報がありませんでした。しかし、その絵画像あひるのタッチからして間違いないようです。ありがとうございました。
◇その他のポスターで判明した作家
 紙面の都合でポスターを掲載できませんが、勝谷氏からは他にも作家を教えて頂きました。
  戦後つくられたと見られる、若い女性と空を舞う鳩を描いた[簡易保険]のポスターもサインのローマ字から、宮本三郎とのことでした。前号の「撃ちてし止まむ」のポスターで紹介した「戦争」画家として戦時中活躍していた宮本も、戦後は「平和」を描いていたことがわかります。収集者にも、この画家の変貌ぶりに感じるところがあったのかもしれません。
 [小説世界]のポスターに使用された浮世絵の作家は、落款からみて月岡芳年(よしとし)でした。インターネットで拾った芳年の略歴は次のとおりです。「天宝10年(1839)〜明治25年(1892)、姓は吉岡、のち月岡雪斎の養子となる。はじめは役者絵や武者絵を描き『英名二十八衆句』や『魁題百撰相』などの血みどろ絵で人気を博す。明治6年に強度の神経衰弱になるが、そのころから従来の浮世絵に飽き足らず、洋風画などを研究し、独自な画風を身につけるようになる。晩年は、『月百姿』『新形三十六怪撰』『風俗三十二相』が有名で、特に美人画である『風俗三十二相』の画風は、後に水野年方から鏑木清方、伊東深水へと受け継がれるようになった。54歳、2度目の発病で発狂して没した。」現在でも最後の天才浮世絵師として評判が高いそうです。

 《中庭だより》 
☆8月6日、武藤弘司様より、戦前の北見新聞関係の写真128枚を市にご寄贈頂きました。何でも北見新聞創業者の一人で、祖父にあたる石橋鉄一氏の遺品だそうです。年代が確認できない写真もありますが、昭和7年に阿寒へ旅行した写真などもあり、当時の風景、風俗を知る上で貴重な映像資料です。ありがとうございました。
☆8月19日、青年ジエットの事前研修に講師として参加しました。午後7時半から、1時間の講義予定が30分もオーバーして迷惑をかけてしまいました。今回は韓国が訪問先とのことで、団員の皆さんには「長幼の序」をわきまえ、礼儀正しく行動するようお願いしました。
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